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2010年01月の記事一覧

週末日記 2010年1月31日  

2010年1月31日(

1月最後の休みは終日雨に降られたため自宅に引きこもりましたが、明け方までサイトの更新をしていたため、起きたのは15:00頃でしたので、いずれにしても影響無しなのかも知れません・・・。

特にネタがないのでブログ画像の準備を進めてみましたが、スッキリしない頭では集中力もなくダラダラと過ごしてしまいました。

次の週末は東京へ遠征してきますが、ここを過ぎると4月までの週末が日曜だけとなりますので、この間の遠征は2月は次の週末と28日の2回を予定しているものの3月の遠征は無しなので、2009年10月の遠征記を2010年1月末の時点で書いているぐらいの差があるブログをこの間に詰める算段です。

2009年は2ヶ月遅れを4月までで解消という実績があることから、遠征の内容によるものの、今年のGW遠征までには解消出来ると考えています。
ここ2年ぐらいその繰り返しなのですが・・・。
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category: 日記

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週末日記 2010年1月30日  

2010年1月30日(

昨年末から続いた炎上続きだった仕事に目処が立ちましたので30日はお休みになりました。

この日は13:00過ぎまで爆睡。
日頃の寝不足が溜まっているのでしょう・・・。

この日の外出は近鉄奈良線の連立事業を見聞するため自転車で。

まずは行き付けの理髪店へ行って五分刈りにしてもらい、スッキリしたら河内小阪駅前のマクドナルドで軽く昼食(夕食までの時間が短かったのを考慮して)

昼食後、メインの近鉄奈良線の連立事業を府道中央環状線側から順に工事終点付近まで見てきました。
今春下り線の高架切替が控え、架線柱の整備や信号関連の工事、駅舎の構築が進められています。

詳細は2月1日更新分から順次報告しますので、本項ではダイジェストとして一部写真を提示します。

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架線柱が立ち並ぶ近鉄奈良線の高架橋(近鉄ハーツ南側から撮影)

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若江岩田駅

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河内花園駅

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東花園駅

こうして見てみると、近年の近鉄の駅舎は資材やカラーデザインを統一する傾向があるようです。
けいはんな線もそうですが、外壁などにブラウンとホワイトを多用している感じです。

帰宅後はサイトの更新準備をしながら時間が過ぎ去っていきました・・・。

category: 日記

tag: 連続立体交差事業  近畿日本鉄道 
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2009年10月11日 伊那・甲斐の城跡を巡る旅4 高遠城・その3  

続いて本丸跡へ。

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二の丸側と接する桜雲橋(おううんきょう)と問屋門。
写真の問屋門は1945年代に問屋役所が解体された際、売却されたのですが、地元の有志により買い戻されて現在の場所に移築されています。

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南曲輪側から見た本丸跡。
各区画に植えられているのは廃城後の荒廃ぶりを見かねた旧藩士たちの手により植樹された桜ですが、高遠城址公園にあるのは独自の交配により生み出されたタカトオコヒガン(高遠小彼岸)と言う品種です。

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中村元恒・元起記念碑。
高遠藩儒官で医者であった中村元恒と元恒の次男で藩校「進徳館」を建てた中村元起の記念碑。

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高遠公園碑。
廃城後の高遠城が旧藩士達により公園として整備されるまでの沿革が記された公園碑で、1881年に建てられたもの。

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下の写真の場所には中村不折寿像があったそうですが、老朽化と破損が激しいため中村不折の美術作品を所蔵する高遠美術館へ移転されています。

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太鼓櫓。
江戸時代には搦手門の側らにあり、時を告げる太鼓を打っていたそうです。
廃城後に現在の本丸南西隅に移築された跡は1943年まで時を告げる太鼓が打たれていたそうで、実際に使用された太鼓は戦後に三ノ丸跡の高遠高校で授業開始終了を告げるために使用された後、高遠町歴史博物館で展示されるに至ります。

写真の太鼓櫓は破損著しいため立入禁止となっています。

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新城・藤原神社。

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武田信玄の五男で高遠城の戦いで壮絶な死を遂げた仁科五郎盛信の例を新城神として祀った新城神社とそれ以前の城内にあった藤原社を合祀した神社。

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南曲輪を経て法憧院曲輪へ向かいます。
写真の橋は南曲輪と法憧院曲輪を結ぶ白兎橋。
廣瀬省三郎により掛けられたこの橋の名称は曾祖父である廣瀬治郎左衛門の俳号である白兎が由来。

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南曲輪と法憧院曲輪の間にある空堀。

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法憧院曲輪。
かつて法憧院という寺院が有った曲輪で、城郭内であるという立地上の制約から一般に利用しやすいよう寺院を麓へ移転し桂泉院と改名されています。

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高遠国民学校・高遠拓殖青年学校・高遠実家高等女学校の校長を歴任し歌人でもあった松井芒人の歌碑。

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広瀬奇壁・河東碧梧桐の句碑。
広瀬奇壁は広瀬省三郎の俳号、河東碧梧桐は省三郎と交友のあった俳人・随筆家です。

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→次に続く。

category: 甲信越地方遠征

tag: 日本100名城  高遠城 
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2009年10月11日 伊那・甲斐の城跡を巡る旅3 高遠城・その2  

高遠城址公園に到着しました。
高城跡でも城址公園は二ノ丸・本丸など城郭の中核部分である箇所になっています。

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城址公園の北ゲートは二ノ丸に面しています。

ここから入ってまず見えてくるのは、1936年に建てられた高遠閣。
高遠閣は地元の集会や観光客の便を図るために建てられたもので、現在は観光客向けの休憩所として利用されていますが、基本的には桜のシーズン時に開館されているようで、来訪時はシーズンオフだったため閉まってました。

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その側らにある検問所のようなボックスは有料時の料金所のようなもの。
高遠城址公園は基本的に無料開放されているのですが、桜の開花時期には有料となるため、このようなゲートが必要となり、ここではゲートは写真の北ゲートと反対側にある南ゲートの他、勘助曲輪にある駐車場側の西ゲートとグランドゲートの計4箇所あります。

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高遠城址公園の案内板。

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先に桜の開花時期と触れましたが、高遠城址公園には各曲輪跡に桜の木が植えられています。

まずは二ノ丸跡。
主に役所関係の建物があった場所ですが、馬屋や土蔵の他に広庭があり、出征時には広庭に集められて準備をしたとされています。

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二ノ丸南側にある「無地の碑」
高遠出身の政治家・伊澤多喜男の高徳を顕彰するため頌徳碑を建てようとしたところ、本人の反対により文字が刻まれずに建てられたもの。

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明治から昭和に掛けて活躍した俳人・荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の句碑。

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二ノ丸と南曲輪の間にある空堀。
下の2枚は南側・北側と言う順に提示。

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本丸の南側に位置する南曲輪。

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南曲輪にある靖国招魂碑。

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南曲輪の次は本丸などを巡ります。

→次に続く。

category: 甲信越地方遠征

tag: 日本100名城  高遠城 
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2009年10月11日 伊那・甲斐の城跡を巡る旅2 高遠城・その1  

高遠駅に到着しました。
ここからは高遠城跡にある高遠城址公園へ向かいます。

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高遠城址公園は高遠駅から東へ歩いた場所にあるため高遠町の市街地を東へ歩いていきます。

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断層で出来た地溝盆地である伊那盆地の東端に位置しているため山の斜面が急に立ち上がる感じの地形になっているらしく、天竜川水系の河川に架かる橋がある場所は急激に落ち込む形になっています。

高遠城址公園はその対岸に位置し急激地立ち上がる地塁の上にあります。
このためバウンドするボールのように橋から斜面を登って行くことになります・・・。

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対岸の道を登って行くと高遠城への登山口である殿坂口があります。

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ここから住宅地の中を進むと大手門跡へ向かう階段の登り口にたどり着きます。

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大手門跡付近から高遠の市街地を一望する。

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大手門跡。
築城当初は裏門である搦手門だったのですが、徳川家康が戦乱の世を治めた江戸時代に表門である大手門となりました。

廃城後は競売に掛けられて大手門自体も民間に払い下げられたのですが、戦後に建てられた旧高遠高校の正門として寄贈・移築されてからは現在に至るまでその場所に残されています。
この門については本文後半で触れます。

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旧高遠高校の跡地。

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旧高遠高校の正門として使用された旧大手門。
往時のものに比べて幅が切り詰められているため当時の姿ではないそうです。

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写真左側は三ノ丸跡、右側は勘助曲輪。

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下の写真で写真で言うと南側が勘助曲輪で北側が武家屋敷だったでそうで、両者の間には空堀があったそうです。
この曲輪周辺の堀は戦後に埋められて旧高遠高校のグランドとして使用された後、現在の駐車場として整備されました。

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右手に空堀を見つつ進むと高遠城址公園の入口が見えてきます。

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→次に続く。

category: 甲信越地方遠征

tag: 日本100名城  高遠城 
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2010年1月24日 学研都市線ホーム延伸工事5-2 祝園駅  

続いて祝園駅のレポです。
前回は上りホームの切替が行われたところまで報告しました。

今回は下りホームの延伸箇所が舗装と点字タイルの整備まで進んでいますが、構内外を仕切る柵の設置は該当箇所のコンクリートの養生が終わっていないようなので、また設けられていません。

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新設ホームと近接する旧上りホームは撤去工事が進められています。

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撤去は京橋方のみですが、今春のダイヤ改正にあわせて行われるであろう新上りホームへの全面切り替え後に撤去工事が着手されると思われます。

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その上りホーム工事は木津方の基礎工事が進められていて、来訪当時はコンクリートの打設を控えている段階でした。

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京橋方で切替えられた本線は交換設備の有効長延伸工事が進められています。
現在は新たに挿入される分岐器を組み立てているようです。

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今回のレポは以上です。

category: 学研都市線ホーム延伸工事の話題

tag: JR西日本  輸送力増強工事  学研都市線 
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2009年10月11日 伊那・甲斐の城跡を巡る旅1 高遠へ  

2009年10月11日から10月12日に掛けて日本100名城巡りをしてきました。
今回は南信地方の高遠城と甲州の甲府城・武田氏館(躑躅ヶ崎館)とし、11日に高遠城、12日に甲府城と武田氏館を巡る予定にしました。

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初日となる11日は高遠城へ向かいます。

高遠城は伊那市東部の旧高遠町に位置するため、まずは最寄り駅である飯田線伊那市駅へ向かいます。
距離ベースで言うと塩尻経由の鉄道を利用するよりも木曽山脈を横断してショートカットする高速バスと言う手も考えられるのですが、今回は鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを利用するため鉄道という事にしました。

往路はのぞみ100号からスタート。

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名古屋からはしなの3号に乗り換え。
この列車には過去2回乗ってますが、基本6両から増結された10両編成とは言えガラガラです。

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塩尻に到着。
ここから中央東線に乗り換えるのですが、このパターンは2006年10月の鉄道系サイトのオフ会参加の前日入りも兼ねて実行に移した中央本線走破遠征でやりましたが、この時は普通列車のみであって今回のしなの号を挟むパターンは初めてです。

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塩尻からは岡谷までのショートリリーフとして長野色の115系に乗換え。
乗った段階ではボックス席に空きが無くロングシートに座りました・・・。

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岡谷からはJR東海の119系に乗り換えて伊那市へ向かいます。
写真の車両はJR移行後に冷房改造された5000番台となったものにワンマン運転対応機器設置と押しボタン式半自動回路の設置が行われた5300番台です。

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諏訪盆地の南西部を抜けて伊那盆地をのんびりと進むこと約1時間で伊那市に到着。

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伊那市は2面2線で隣の伊那北の2面3線よりも規模は小さめですが、伊那市の中心駅となっています。

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駅前のロータリーには伊那バスやJRバス関東の路線バスが乗り入れていますが、伊那市内へ乗り入れるバスはここ以外に伊那バスターミナルがあり、伊那市駅から南へ3分の距離にあるバスターミナルからは一般の路線バス以外に大阪・名古屋・新宿からの高速バスも発着しています。

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高遠城は伊那市の中心部から約10kmほど東にあることから、伊那市駅からJRバス関東高遠線に乗って旧高遠町のバス駅である高遠駅へ向かいます。

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JRグループの路線バスに乗るのは北海道の様似駅から襟裳岬を往復する時に乗って以来。

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市街地を南へ進み伊那バスターミナルを過ぎてしばらくすると東へ向きを変えて飯田線を渡り、伊那盆地を南北に流れる天竜川も渡ると伊那市役所を経由し、ここからしばらくの間は比較的新しい住宅地をしばらく進みます。
住宅地を北へ向きを変えて進み、警察署東交差点から国道361号線を東へ進みます。

利用は全般的に5人程度と言ったところで旧高遠町の足という位置付けを反映した感じです。
桜の名所である高遠城ではシーズン外なのでこんなモン言えばそうなのですが・・・。

伊那市駅から約30分程で高遠駅に到着。

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ここからは城跡の高遠城址公園へ向かいます。

→次に続く。

category: 甲信越地方遠征

tag: JR東海  JR東日本  JRバス関東 
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2010年1月24日 学研都市線ホーム延伸工事5-1 同志社前駅・下狛駅  

先日、学研都市線工事に関して動きがあったそうなので、1月24日に現地へ赴きました。
まずは同志社前駅と上狛駅から。

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同志社前駅の工事は京橋方が延伸されているのですが、私の見立てだと1両分足りません。

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木津方に動きがないのですが、ホーム延伸対象外となった2番のりばが現在でも一部列車や輸送障害発生時に使用されているため完全に閉鎖出来ないため、7両編成乗入れ開始となるダイヤ改正前日終電後から初電までに仮設で延伸させるのかと思われますが・・・。

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続いて下狛駅。
こちらは木津駅方に3両分延伸されますが、支障となる南改札口をどうするのか気になってました。

今年に入ってから動きがあったようで、南改札口がホーム延伸箇所の木津方に移設されることになったそうです。

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移設先となる辺りはこれまでよりも歩道の幅が広くなる場所で、すぐ近くに奈良交通のバス停留所が設けられています。

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延伸末端部はスロープが設けられることになっています。
ここに移設される南改札口はこれまでと同じ簡易なものになるか、屋根無しになるのかはこの時点では不明です。

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南改札口は休止後にスロープと共に撤去され、現在は仮設の出入口が設けられています。
ここには簡易型改札機などがないため、ホーム中央部にある改札機などを利用するように案内されています。

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スロープが撤去された跡ではホーム延伸の基礎工事が進められています。

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4-2に続く。

category: 学研都市線ホーム延伸工事の話題

tag: JR西日本  輸送力増強工事  学研都市線 
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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅47 清洲城・その2  

大手橋を渡ると清洲城天守にたどり着きます。

清洲城は清洲奉行であった時代の織田信長の居城として使用されたことでも知られていますが、徳川家康が世を治めたあとは現在の名古屋城へ遷府されることになり、清洲城は廃城となりました。
その際、天守で使用されていた資材が名古屋城御深井丸北西隅櫓に使用されています。

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現在ある天守は本来の場所とは異なり五条川を挟んだ清須市清洲地域文化広場にあります。
また、天守自体は平成に入ってから建てられたもので、実在した当時のものを想像して建てられた模擬天守です。

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鉄筋コンクリート造りの天守に入ります。

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天守内部は清洲城に関する資料が展示されています。

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最上階は展望室となっていて、ここからは清須の市街地の他に庄内川を挟んだ名古屋の市街地まで見渡すことが出来ます。
ちなみに城郭そのものは周辺の開発の手が入り、東海道本線・東海道新幹線によって分断されてしまってます。

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天守の側らにある芸能文化館にも入りました。

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ここは御殿とも呼ばれ内部は鎧などの武具が展示されているほか、名古屋城本丸御殿の一部に移築した「黒木書院」を模した和室と「芸能の間」があり、伝統芸能などの育成に利用されています。

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外に出て天守を撮影。

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これで現地での予定は終了。
名古屋駅へ戻って鞄を回収、名古屋からはこだま661号に乗って帰阪しました。

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#「2009年9月19日~9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅」おわり

category: 東海地方遠征

tag: 日本の城郭  尾張清洲城 
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週末日記 2010年1月24日  

2010年1月24日(


今週末唯一のお休みとなった24日は学研都市線のホーム延伸工事関連を中心に見聞するため出掛けてきました。

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24日の昼食として頂いたBig America第1弾である「テキサスバーガー

昼食後に自宅を出発。
たまたま乗って列車にインバータ制御の試作車である1420系が繋がれていたので折り返してくるところを鶴橋で捉えました。

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学研都市線では京橋から快速に乗って同志社前へ。

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ほぼ完成形かと思われそうですが、延伸されたホームは見立てベースだと1両分足りません。
京橋方は完成形のようなのであとは木津方を取り急ぎ仮設で延伸させるのでしょうか?

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下狛へ移動。
こちらは既存の南口がホーム延伸と同時に木津方へ移設されるようで、現在は仮設となっています。

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祝園は下りホームに点字タイルが敷かれるところまできていますが、まだ完成形にはない状態。

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新祝園から近鉄へ乗り換えて額田へ向かい、石切駅との中間点にある東石切公園へ。

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夜景が見られそうかなと思ったのですが、木々に遮られ撃沈。
公園の標高がちょっと低すぎるのですね・・・。

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公園近くを通る近鉄バス(70番:石切線)に乗って新石切へ向かいけいはんな線に乗って高井田へ。
各車に5~10人程度と余裕で座れる状態でした。

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高井田からおおさか東線(高井田中央駅)に乗って帰宅しました。

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category: 日記

tag: JR西日本  輸送力増強工事  学研都市線  近畿日本鉄道 
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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅46 清洲城・その1  

名古屋での最後は清洲城としました。

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大曽根から名古屋乗換えで清洲へ。
清洲駅前は手狭。

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手狭な駅前から名古屋方に向かう細い路地に入り清洲城へ歩いていきます。

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路地を抜けると東海道線と工場挟まれる格好で南へ。

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時折出てくる立て看の案内に沿って東海道線沿いを進み、高速道の下を通ったしばらくすると公園らしきものが見えてきます。
それが清洲古城公園です。

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清洲古城公園は清洲城の天守があった場所で、ここに清洲古城の石碑が建っています。

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大手橋の北側にある清洲ふるさとのやかた
ここは休憩所ですが、織田信長の偉業に因んだお土産も販売しています。

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同じく大手橋の北側には五条川護岸工事で出土した清洲城の石垣があります。
写真の石垣は出土後に復元されたもの。

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このあと五条川に架かる大手橋を渡り清洲城天守へと足を進めます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本の城郭  尾張清洲城 
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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅45 徳川園  

名古屋城をあとにして尾張藩の二代藩主だった徳川光友の大曽根御屋敷跡地に造られた日本庭園の徳川園に向かいます。
地下鉄で行くと大曽根が最寄り駅。

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出口は3番出口を利用します。

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大曽根駅から歩かされて約15分で徳川園に到着。
写真は北門。

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北門から入ると徳川園に東側を通ります。
通り抜けた先に徳川美術館などがある広場に出てきます。

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広場を突っ切って正門へ。
正門は黒門とも呼ばれ、1889年に建立された欅造りの三間薬医門で、戦災を逃れた徳川邸の遺構として残されています。

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正門側から見て広場。
左手が徳川園、正面が徳川美術館、右手が名古屋市蓬左文庫です。

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まずは日本庭園徳川園へ。

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徳川園は尾張藩の二代藩主だった徳川光友の大曽根御屋敷跡地にある回遊式日本庭園で、徳川光友が隠居後の邸宅として利用し、その後明治中期に尾張徳川家に戻るまで成瀬家など尾張藩家老が所有していました。
その後は尾張徳川家の邸宅として使用された後、尾張徳川家第19代当主徳川義親に時に名古屋市に寄贈されたものの、戦災で消失し跡地は公園として一度整備され、2005年に日本庭園として再整備され現在に至ります。

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龍仙湖から北側を撮影。

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西側にある茶屋「瑞龍亭」

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龍仙湖から南側を撮影。
写真の建物は観仙楼。

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渓谷「虎の尾」

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大曽根の瀧

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続いて徳川美術館と名古屋市蓬左文庫に入ります。

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徳川美術館は徳川御三家の1つである尾張徳川家伝来の道具類が展示されています。

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通路伝いにある名古屋市蓬左文庫は、尾張徳川家が所有していた旧蔵書を所蔵する公開文書で、1950年まで旧蔵書を管理していた徳川黎明会から名古屋市へ移管され、それ以降は徳川園と同じ敷地で管理されています。
ちなみに蓬左とは名古屋ことで、蓬莱の宮と位置づけられていた熱田神宮の左側にある町というのが語源となっているようです。

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徳川園での関連はこれで終わり。
続いては清洲城へ向かいます。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本100名城  尾張名古屋城  日本庭園  徳川園 
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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅44 尾張名古屋城・その4  

名古屋城天守から下りてきました。
入口の小天守がバリアフリーに対応されていないことから、大天守にエレベーターが設けられています。

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本丸不明門。
こちらも戦災で焼失した門で、現在ある門は復元されたもの。
このもんは大奥へ通じる秘門だったそうで、実際に使用されていた当時は厳重に施錠されていたそうです。

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深井丸に出ると正面に天守礎石があります。
これは戦災で消失した天守の礎石ですが、現在の天守再建に際してこの場所へ移転させたものです。

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御深井丸展示館。

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北西隅櫓。
この櫓で使用された木材は清洲城の天守などで使用された古材を活用したもので、清洲櫓とも呼ばれています。

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深井丸側から見た大天守。

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同じ場所から見た内堀。

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深井丸と西ノ丸の間にある鵜の首。
曲輪間にある防衛上の堀で、名古屋城では5ヶ所有る。

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西ノ丸側から見た南西隅櫓と外堀。

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先の写真からやや正門へ後退して撮影したもの。

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西ノ丸展示館。
来訪当時は本丸御殿障壁画習作展が催されていました。

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正門にある金鯱模型。

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名古屋城正門。
明治時代後期に旧江戸城内の蓮池御門がこの場所に移築されたのですが、戦災により焼失し天守と共に再建されています。

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この正門は主に観光バス利用の入口となっています。

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正門近くには恩賜元離宮名古屋城と記した石碑が建っています。
ここから道路を挟んだ側が三ノ丸となっていて、現在は名古屋の官庁街となっています。

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名古屋城観覧はこれで終了し、徳川光友の隠居所だった大曽根御屋敷跡地にある徳川園へ移動します。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅43 尾張名古屋城・その3  

名古屋城の天守に入ります。

名古屋城の天守は大小2つの天守で構成されていますが、戦災で消失しているため現存天守ではなく戦後再建されたもので、鉄筋コンクリート造りとなっています。

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来訪当時は大天守2階の企画展示室において名古屋城再建50周年を記念して名古屋城天守閣物語が催されていました。

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天守内は一部フロアが撮影禁止またはフラッシュ撮影禁止となっていますが、他のフロアは撮影可能のようです。
ペットの同伴不可ですが、補助犬の同伴は可能となっています。

また、小天守は一般の出入口でここにはトイレがありますが「大天守にはトイレがないため小天守で」と案内されています。

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小天守を抜けて大天守へ入ります。

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大天守は名古屋城に関連する資料などが展示されています。
地階にある金鯱模型。

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1階にある名古屋城の城郭模型。

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3階は藩主のくらしなど生活に関するものを。
写真は城下町の一日を約5分間で体験するというもの。

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5階には石塁で使用する石を運ぶ石引体験コーナーがあります。

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6階は天守閣展望室で、ここから名古屋市内を一望出来ます。

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お次は天守を下りて深井丸へ向かいます。

→次に続く。

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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅42 尾張名古屋城・その2  

さて、本丸へ入ります。

まずは本丸大手馬出側にある本丸表二之門。
枡形の外門に当たります。

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本丸表二之門から見る内堀。

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この内堀には鹿が放たれています。
名古屋城にいる鹿は1952年に東山動物園から分けてもらったそうで、当時は3頭で一時は50頭ほどいたそうです。

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本丸表一之門跡。
枡形の内門に当たりますが、二之門と違い戦災消失して現存しません。

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本丸側から見た東南隅櫓。
戦災から逃れた遺構の1つで、普段は非公開であるため立入禁止となっていますが、時折一般公開されることがあるそうです。

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表一之門を通ると本丸となりますが、現在この曲輪の殆どが工事区画となっています。
これは戦災で消失した本丸御殿復元工事によるものです。

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本丸東一之門跡。
現在は二ノ丸に接する本丸搦手馬出の石垣修復工事で本丸東二之門側が閉鎖されています。

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二ノ丸に接する本丸東二之門は愛知県立体育館建設により解体・保管された二ノ丸東二之門を移設再建したもので、門の形式としては高麗門とよばれるものだそうです。

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清正石。
天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正が自ら音頭をとって運んだと伝えられていのですが、実際の施工大名が黒田長政であることから異説が唱えられています。

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本丸御殿復元工事区画の一角には復元工事を見学コーナーが設けられています。
ここには復元工事の概要などを紹介した資料が展示されています。

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工事のフェンスには復元工事の完成イメージなどが掲示されています。
本丸御殿の復元工事は三期にわたり、竣功は2017年度の予定となっています。

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このあとは名古屋城の天守へ入ります。

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→次に続く。

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2009年9月23日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅41 尾張名古屋城・その1  

遠征最終日は名古屋城登城からスタートします。
地下鉄の利用だと名古屋城へは名城線の市役所駅が最寄りです。

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案内板に従って進むと突き当たりに名古屋城内郭絵図が出迎えてくれます。

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絵図の左手にある7番出口を出ると名古屋城の外堀の一角に出てきます。

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ここの出口は城門に似た屋根になっています。

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外堀と駐車場に挟まれつつ北へ進むと東鉄門跡があります。

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東門から外堀を見る。

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東鉄門跡。
正式には二ノ丸東二之門であり、戦後の再建に際して本丸東二之門へ移築されたため、石垣のみ復元された状態となっています。

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東鉄門を通ると二ノ丸跡となり、南側には愛知県立体育館があります。

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東門の券売機で観覧券を購入し有料ゾーンへ入ります。

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東門を通ると左手に二ノ丸庭園があり、その奥には埋門跡や南蛮たたき鉄砲狭間があります。

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本丸側の東南隅櫓。

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加藤清正石曳きの像

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石曳きの像の反対側は二ノ丸と本丸大手馬出の間にある石垣が・・・。

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本丸大手馬出跡と西ノ丸広場。
本来は明治以降の離宮整備に辺り馬車の通行に支障を来たすため埋め立てられたそうです。

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お次は本丸へ入ります。

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→次に続く。

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週末日記 2010年1月17日  

2010年1月17日(

17日は京浜東北線から撤退する209系0番台を追いつつ他の編成写真ゲットを絡めてみました。

実際にところ時に計画無く動いていたのですが、東京に鞄を預けて移動する時に乗ったのが209系0番台だったのでこれを追うことにしたわけです。

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ほぼ撮れるであろう撮影ポイントは撮影隊が占めていて、一部の駅の両端にはビッシリ詰め掛けていましたが、この状況で撮るのが大変です。

と言うことで軟弱撮影人である私は人気が少ない赤羽を皮切りに撮影してきました。
大宮では編成写真ではなく形式写真も撮っておくことにし、特に6ドア車であるサハ208形は転用されることが無いことから確実に撮っておくことにしました。

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大宮から折り返して東北本線で上野まで先行し、上野から京浜東北線で獲物の1本前のE233系2000番台に乗って山手まで先行。
爆睡しつつ車外を眺めているとメジャークラスの撮影ポイントには10人を超える撮影隊が・・・。

山手はホーム用端がやや狭いことから撮影隊はチラホラしかいません。
山手から先の209系に乗って大船へ移動し、大船で形式写真と編成写真を撮っておきました。

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ついでに入線してきた253系の車内写真も撮っておきました。

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昼食を挟んで午後からは国府津へ移動し、御殿場線に乗って松田へ移動。

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理由はただ何となく思いついただけなのですが、この後乗り換えて小田急で箱根登山鉄道乗り入れ専用塗装の1000形に遭遇出来たので結果良しとしておきます。

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小田原ではE231系近郊仕様の形式写真の撮影。
ここで撮るぐらいだったら橋上駅舎でない熱海で撮影した方が良かったかも・・・。

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大船でも形式写真と編成写真を撮って横浜へ。

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横浜からこれも思いつきで京急本線に乗り換えて新子安へ移動。
新子安は撮影ポイントとしては知られている場所で、今回見てきた東京方には撮影マナーを守ってとか三脚は使用禁止と言った注意書きが見られました。

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新子安でまたまた209系に遭遇したことから上野までこれに乗って、上野からは東北本線・高崎線に乗り換えて大宮まで先行して取り残した大船形先頭車の形式写真と撮りました。

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これで予定は終了するところだったのですが、臨時のホリデー快速むさしの号の案内表示に反応してしまい、立川まで乗ってしまいました。
このままだと指定しておいたのぞみ号には間に合わないため、立川の指定券券売機で指定の変更をして難を逃れます。

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立川から中央特快で東京へ戻り、鞄の回収と夕食の調達をしてのぞみ135号に乗り込んで帰阪しました。

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category: 日記

tag: JR東日本  京浜東北線  根岸線  209系  253系  小田急電鉄  京浜急行電鉄 
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週末日記 2010年1月16日  

2010年1月16日(

18きっぷの残りを消費するため今週末は首都圏の鉄道撮影に充てる事にしました。
と言ったものの、初日から変わってゆくのですが・・・。

私の上京における基本は前日入りなのですが、今回は前日長時間の残業の可能性が予測されたので当日入りすることにしました。
実際にその通りになりましたが・・・。

往路はのぞみ204号。
当日入りする基本の列車で今回は自由席。

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当日の関ヶ原越えは雪で真っ白。
当然減速のため名古屋着では遅延していたが品川に到着する頃には定時。

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品川に到着すると着替えなどが入った鞄をコインロッカーに預けてから西船橋経由で京葉線入り。
そのとき品川でE259系に遭遇。そのときはアイコンショット的に撮っただけでしたが、後ほど編成写真で捉えることになります。

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午前中は京葉線での編成写真撮影をすることにしたのですが、撮影隊が先に入っていたため撮影しやすくて人気のない新習志野で撮影することにしました。

撮影自体は順調でしたが、吹きさらしの中の撮影は酷で思わすダウンのフードを被ってしまうほどです・・・汗。

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新習志野から蘇我へ移動し昼食。

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午後からは千葉へ移動し編成写真撮影タイム。
丁度いいタイミングで京浜東北線から転用されてきた209系2000番台グループが入線。
千葉支社管内のローカル列車はこれに置き換えされるのですが、例の組合が主張と称してごねても無駄なのです。

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千葉から総武本線に乗って東へ移動中、日本100名城に認定されている佐倉城が同線の沿線にあることから最寄り駅となる佐倉で下車。
佐倉城へは城跡の一角にある国立歴史民俗博物館または国立博物館入口へ京成系列のちばグリーンバスを利用することになるのですが、今回は城跡南側から入るためあえて徒歩で・・・。

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佐倉城は明治維新後に廃城され、跡地は軍の駐屯地となったものの、後に空掘りや土塁などが復元されています。
思っている以上に広いため城跡に入ってから一通り巡るまで2時間ほど掛かりました。

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佐倉城址を巡った後は京成佐倉から成田へ京成本線で移動。
そのとき乗った京成3700形の行先表示がフルカラーLEDだったのを見逃しませんでした。

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成田からは成田線・総武本線で千葉へ戻って夕食を調達した後、総武快速に乗って鞄を預けている品川へ。

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品川へ戻ってきたところ後追いの成田エクスプレスがE259系の編成写真をゲット。

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この日はこれで終了。
山手線に乗り換えてホテルへ向かいました。

category: 日記

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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅40 岩村城・その5  

岩村城の出丸です。

出丸は東曲輪同様、防衛上重要な曲輪で下の写真左側には二重櫓が2基と多聞が配されていましたが、現在は車で登城されるための駐車場となっています。

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出丸と本丸との間にある帯曲輪。
正面にあるのが本丸の石垣。

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氷餅蔵跡。
戦闘時の籠城に備えて氷餅を貯蔵していた蔵があった場所で、現在は売店「売店蘭丸」があるのですが、来訪時は閉まっていました。

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立身出世の鐘。
力加減をミスッたので大音響の鐘の音が響き渡りました・・・汗。

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南曲輪。
奥にそれらしき移行があるのですが、むやみに藪の中に入るのは避けようと言うことで今回はパス。

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以上で岩村城観覧は終了。
下山してきて藩主館跡付近にある下田歌子勉学所。

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岩村出身である歌人・教育者の下田歌子の勉強部屋を再現したもので、勉強部屋自体は元々彼女の父が使用していた書斎だったそうです。

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勉強所の敷地内にある下田歌子銅像。
こちらは比較的新しく造られたものです。

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石畳の道を挟んだ勉強所の向かい側には下田歌子顕彰碑があります。
この石碑は亡くなる一年前に実践女子学校関係者の善意により、同校の校庭で製作されてから岩村の地に運ばれてきました。

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4日目の来訪予定はこれで終了し岩村駅へ戻ってきました。
岩村駅には2004年まで使用されていた腕木信号機が復元されています。

これら写真のものは基本的には産業遺産としてのモニュメントですが、駅員の指導の下で操作することが出来ます。

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恵那からは中央西線快速に乗り換えたのですが、レジャー利用と部活帰りの学生で混雑していました。

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多治見で混雑した快速から降りてガラガラの各駅停車の乗り換えて名古屋へ向かい遠征4日目を終えました。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本100名城  岩村城  下田歌子  明知鉄道 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅39 岩村城・その4  

岩村城本丸に到着しました。

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本丸全景。

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本丸北側の眺め。

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六段壁上部の東曲輪。

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六段壁から二ノ丸と菱櫓跡を見る。

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本丸埋門跡。
本丸裏門として位置づけられていた。

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虎口は曲がるくねる構造で、進入を防ぐ門としては狭く造られていることから厄介だったようです。

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二ノ丸側から見る本丸埋門跡。

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二ノ丸跡。
ここには馬小屋・米倉などがあった。

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本丸埋門跡から六段壁側を見る。

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上の写真の反対側にある赤時門。
不明門とも呼ばれている。

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不明門跡から出丸へ下りてみます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅38 岩村城・その3  

さて、岩村城跡の中枢となる区域にたどり着きました。

八幡曲輪・三の丸を通ってまず見えてくるのは本丸虎口石垣である六段壁。

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東曲輪門跡。

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同じく東曲輪門跡で下の写真は東曲輪へ上がる途中にある。
写真左手が二重櫓跡。

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二重櫓跡。
水晶山方面からの来る敵を監視するための櫓があった場所。

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東曲輪跡。
防備の要である。

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長局埋門跡。

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本丸南門跡。

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本丸平重門跡。

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平重門を上がって岩村城本丸に到着です。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅37 岩村城・その2  

さて、山城の登山道を本丸の方へ登っていきます。
下の写真は藩主居館から少し登った場所で、坂道は藤坂と称されています。

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まず現れるのは一の門跡。
ここからは土岐坂を登っていきますが、雨が降ったため石段が滑りやすくなっていました。

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ほどなく見えてくるのは土岐門。

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廃城後は岩村町内にある徳祥寺の山門として移設され、現在もその姿を見ることが出来ます。

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土岐門から左手にある空堀に沿って進むと空堀を渡る畳橋跡があります。

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破脚されたため整備された登山道は空堀から大手門の方へ上がる形に造られています。
写真右側にある石垣は三重櫓跡のもの。

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武家屋敷跡の石垣が見えてくると大手門跡が近くに見えてきます。

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大手門を通ると道の両側になる南北に武家屋敷跡があります。

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さらに奥へ進むと八幡曲輪に入ります。
この曲輪は八幡神社が置かれていた場所です。

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岩村城の八幡神社は守護地頭制度の発足により遠山庄地頭となった加藤景廉を祀った神社で、八幡曲輪にはそれらしきモノがありますが、神社自体は城跡内の別の場所に移転しています。

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八幡曲輪にある霧ヶ井戸。
岩村城の別名の由来とも言われています。

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お次は本丸跡へ向かいます。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

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週末日記 2010年1月11日  

2010年1月11日(

11日は午前中に瀬野へ来訪してスカイレール再乗車。
昼食を挟んで午後からは広島城を登城し、その後は撮影を軸に夕方まで現地で滞在することにしました。

瀬野へ行く前に広島で編成写真の撮影。
来年度から車体塗装が順次イエローに変更されるため、十数分間の間に手際よく撮影します。

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そんな中、戸袋つきの103系に遭遇。
JR西日本在籍の103系は戸袋窓を埋めていることから貴重な編成なので撮っておきました。

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撮影後は広島から快速シティライナーで瀬野へ移動しスカイレールを乗り直し。

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乗り直した理由は2008年8月遠征で初乗車した時は夜間だったため、今回は明るいうちに確認しておきたかったらです。
みどり中央まで乗車したあとは徒歩で下りることにしましたが、急傾斜の地にあるため半分は階段。
延々と下って瀬野駅に着いた時には膝が笑ってました・・・。

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瀬野から115系3000番台に乗って広島へ。
体質改善工事が施工された同区番代は元が転換クロスだったので塗装の変更の他は、内壁の交換と半自動時の押しボタンが付いた程度でした。

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広島へ戻って広電に乗車し紙屋町へ。
紙屋町で昼食を挟み午後からは広島城へ登城しました。

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広島城は原爆の投下による被爆で廃城後に残されていた建物が破壊されています。
そのため、天守や二の丸の櫓等を含めて全て戦後に再建されたものです。
再建された天守は鉄筋コンクリート造りで、内部は広島城やここへ移る前の移転元となる吉田郡山城に関する資料が展示されていました。

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広島城を観覧したあとは紙屋町で広電の編成写真の撮影。
手短に撮影を終えて西広島へ移動し山陽本線を宮島口へ。

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宮島口で広電の連接車の車内写真を撮影。
ダイヤ上2本並ぶ形なので後発になる方が無人になるというメリットを生かしてですが・・・。
今回は5000形のみでしたが、天井周りは簡素な工法が用いられているものの、上手くデザインされているのが国内メーカーや事業者とは感性が違いますね。

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宮島口から廿日市まで広電に乗車。
広電廿日市駅は駅舎が残されていましたが、その傍らに猫が丸くなっているところを撮影。

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廿日市からは再び山陽本線に乗って広島へ戻ってきたのですが、戻ってきた先に221系に追われて京都総合運転所から転用されてきた113系に遭遇。
近いうちにイエローに塗装変更されることから湘南色のまま使用されていました。

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これで今日の予定は終了。
広島からこだま号に乗って大阪へ帰り、帰宅後は撮影した写真の整理に追われてこの週末は終わりました。

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category: 日記

tag: JR西日本  スカイレールサービス  日本100名城  安芸広島城  広島電鉄 
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週末日記 2010年1月10日  

2010年1月10日(

10日から11日に掛けて遠征しています。
遠征初日である10日は午前中を柳井の重要伝統的建造群保存地区を散策し、午後は日本100名城に選定されている岩国城へ行ってきました。

広島から3月の改正で削減される快速シティーライナーに乗って柳井へ。
山陽本線の広島シティネットワーク区間では宮島口辺りまで利用が分厚いものの、それ以南になると座れてしまいます。
前回と今回の改正で快速が削減されるのは、各駅停車の本数を維持して混雑度のバランスをとった方が優等を無理に残すよりもサービス水準が大きく低下しない判断されたようで、コスト削減とサービス低下の影響度との微妙なバランスで成り立っているのではと思われます。

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柳井は江戸時代における拠点で商業都市として反映した時代の建物が軒を連ねている白壁の町並みがあり、この場所が重要伝統的建造群保存地区に指定されています。
ここでは基本となる白壁の町並みを見て、ここからやや離れた国木田独歩旧宅へ足を伸ばしました。
白壁の町並みは飛騨高山の景観保存地区などと違い規模が小さくあっという間に見終えてしまい少々物足りないかもしれません。

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柳井を離れて岩国へ移動。
その際乗った列車は時刻表の上ではトイレなしの列車なのですが、やってきたのは223系5500番台の導入によって山陰本線・舞鶴線から転用されてきた115系2両編成。
どうやら以前残存していた初期車からの改造された2両編成をこの編成に置き換えたようです。

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岩国城・錦帯橋は中心部から離れた場所にあり、中心部の東側にある岩国駅からは岩国市営バスで錦帯橋バスターミナルまで移動(片道は240円)
バスターミナルから交差点を挟んで斜め向かいに錦帯橋は冬場なのでそこそこの人出。

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錦帯橋を渡って岩国城の旧城下町を散策。
途中、旧目加田家住宅やシロヘビ観覧所を巡り山城の麓にあるロープウェーに乗って山城の山頂へ。

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天守へは山頂駅から5分程度で車道と山道の2ルートがあります。
往路は山道を利用。ここからだを破却されて後も残された石垣が確認できます。

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現在ある岩国城の天守は当時の場所ではなく、再建されたときに麓から景観を考慮した場所を決めたもので、当時の天主台は奥まった場所にあり、再建された天守のすぐ近くに天主台が残されています。

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先に天守に入り最上階から岩国の町並みを堪能し、その後は東矢倉跡と北の丸跡を巡ってきました。

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本丸と北の丸との間に残されている空掘は山城としては異例の規模だそうです。

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麓の旧城下町へ下りて岩国藩の藩主である吉川家の纏わる資料が保存されている吉川史料館や岩国の歴史に纏わる資料が展示されている市立岩国徴古館を観覧。

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その後は18:00から行われる錦帯橋のライトアップまで河岸で粘ることに・・・。
そしてライトアップされた錦帯橋を撮影し遠征初日は終了。

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撮影後はホテルへ戻り、2010年最初の遠征初日を終えました。

category: 日記

tag: JR西日本  重要歴史的建造物郡保存地区  柳井市  日本100名城  岩国城  日本三名橋  錦帯橋 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅36 岩村城・その1  

岩村に到着しました。

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日本三大山城である岩村城を背後に控える旧岩村町の玄関口である岩村駅には「女城主の里」と言う看板が掲げられています。

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岩村駅の駅舎。

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ここから岩村城に向けて歩いていきます。

岩村城の登城口となる城主居館跡までは重要伝統的建造物群保存地区である岩村本通りを通るのですが、高山にあるような、いかにも景観保存地区然としておらず、メジャーどころで見られるような物販店がずらりと並んでいるわけでもなくそこそこ並んでいる程度です。

ここを訪れる人の殆どは自家用車での来訪で山城の山頂付近にも駐車場があることから、公共交通での来訪という形にはつながりにくい環境です。

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旧城下町を過ぎると閑静な住宅地を通ります。

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突き当たりに近い場所に城主居館跡があります。
廃城後に破脚されているため、ここに建っている太鼓櫓などは近年復元されたものです。

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城主居館跡にある岩村城復元絵図。

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城主居館跡の合成パノラマ写真。

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旧藩校・知新館正門。
この門は移築されたもの。

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太鼓櫓と御殿門。

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岩村歴史資料館。
岩村城に関する資料などが展示。

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民俗資料館。
民家を移築して資料館として利用されています。

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居館跡の片隅にある広島市庁舎被爆礎石。
この藩主居館跡には広島に投下された原爆で被爆した広島市庁舎の礎石です。

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お次は山城を登っていきます。

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category: 東海地方遠征

tag: 日本100名城  岩村城 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅35 日本大正村・その4  

日本大正村巡りに続きです。

まずは市街地を通る中馬街道にある「うかれ横町」
中馬街道を跨ぐ木造の橋は芸妓置屋から料亭へ移動するためある渡り橋です。

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ギャラリーみたかや。
中馬街道と南北街道との合流点にある施設で、来訪当時は休館中でした。

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有料施設であるおもちゃ資料館
明治~昭和に掛けて流行したおもちゃが展示され、展示物は定期的に入れ替りが行われているそうです。

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天久資料館と大正資料館。
京都の老舗元カフェーを復元した天久資料館は1階が喫茶店・2階が展示室、写真手前の大正資料館は大正時代の明智町の生活をテーマにした資料が展示されています。

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これで日本大正村を一通り巡りましたので、明智駅へ戻ります。

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駅ホームに置かれている植物。

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明智駅到着直後に撮れていなかった写真をこの時撮っておきました。

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恵那から通し乗車した時に乗車したアケチ10形の11号車待受けています。

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お次は日本三大山城である岩村城を目指します。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本大正村  明知鉄道 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅34 日本大正村・その3  

さて、麓の市街地へ下りて日本大正村の有料施設などを巡ります。

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先ずは逓信資料館。

明治時代からある郵便局跡を利用したもので、当時は郵便の他に通信事業も兼ねていたそうです。
戦後は一般の民家として使用されていたそうですが、現在は旧郵政省・NTTから寄贈された資料などが展示されています。
(この隣に明智郵便局があります)

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逓信資料館の向かい側にある日本大正村資料館。
3つの建物で構成されていて、正面右側の休憩所兼売店・同奥にある大正村資料館・正面左手にある大正の館からなっています。

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奥にある大正村資料館は濃明銀行の繭蔵を利用したもので、明治以降からの文化などを紹介する資料などがあり、教科書や蓄音機などが展示されています。
ちなみに濃明銀行は濃明会社が前身で、その後岩村銀行と合併して恵那銀行に改称し、1942年に十六銀行に営業譲渡し解散しています。

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銀行蔵の側らにある通路からさらに奥へと進み大正の館へ。

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消防用の手動ポンプ

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水を汲み上げる井戸ポンプ。

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大正の館は明智の名門橋本家の住居で3代にわたり使用された後、重要文化財として保存されることになり現在に至ります。

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あと残り2つの有料私設を巡ります。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本大正村 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅33 日本大正村・その2  

大正村役場からさらに山手へ登っていきます。

下の写真は小川記念館。
この記念館は故小川潤三氏(元名古屋女子大理事)が国内外から集めた美術品を集めた私設展示館ですが、来訪当時は改修工事で休館となっていました。

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小川記念館の並びの南側から延びる道をさらに登ると北側に明智陣屋跡があります。

ここは明智城の大手門があった場所で写真の冠木門がその場所を示しています。
明智城が1615年の一国一城令により廃城となってから大手門跡に代官屋敷として陣屋が建てられ、明治まで当地での行政が行われた場所でした。

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この明智陣屋跡の反対側となる南側に大正ロマン館があります。

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先の明知鉄道の一日乗車券を提示すると割引が適用されます。
写真のクーポンは4館共通の割引クーポンです。

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日本大正村のパンフレット。

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大正ロマン館は日本大正村初代村長の高峰三枝子氏、同村議会議長春日野清隆氏の記念館として利用されているほか、大正時代に関する資料などが定期的に入れ替わる形で展示されています。
また、明智町出身である画伯・山本芳翠氏の作品もここで展示されています。

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正面入口の側らにある初代村長である高峰三枝子の銅像。

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大正ロマン館の裏手にある旧三宅家の屋敷。

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明智城城址であった明智遠山家の家老であった氏の住居で現在は母屋だけとなっていますが、本来はこの場所にはなく明智町に寄贈された翌年の1992年に当地へ移設されたものだそうです。
2009年8月遠征での多賀城跡付近に移設された今野家住宅と同じく内部が公開され、囲炉裏が実際に使用されています。

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お次は下へ降りて市街地側の方も見てきます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 日本大正村 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅32 日本大正村・その1  

明知に到着しました。

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日本大正村の最寄り駅であることから改札口付近には旗が掲げられています。

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線路の末端側は車両基地となっていて、車両を収容する車庫が設けられています。

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明智駅の発車時刻表。
13本(土休日ダイヤはこれより少ない)しか設定されていません。

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日本大正村の一部となっている明智駅の駅舎。

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駅前広場には東濃鉄道の路線バスが乗り入れています。

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では旧明智町の市街地を巡ります。

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交差点を渡りしばらくして路地へ入ると大正時代の雰囲気が漂う場所へ出てきます。

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写真の大正路地は明治末期から大正時代に掛けて年貢米を収めていた米倉と江戸時代からある呉服問屋の庫が連なって手いる場所です。

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大正路地を抜けた場所にある旧交番跡(写真左)

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さらに奥へ進むと大正村役場があります。

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建物自体は明治後期から昭和中期に掛けて明智町役場として使用されたもので、1984年の立村時に無料休憩所「大正村役場」として活用され現在に至ります。

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1階が休憩所となっていますが2階には村長室の他、これまでの大正村に纏わる写真などが展示されています。
ちなみに村長室は明智町役場時代は町長室として使用されていました。
(来訪当時の日本大正村では大正98年と記されており、大正100年となる2011年にはイベントも催されるそうです)

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元小学校跡を利用した絵画館。
側らの門柱には山本芳翠記念館と記されていますが、山本芳翠の作品などは大正ロマン館に展示されているため、現状は他の絵画や書物を展示する企画展示館として利用されているようです。

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絵画館から大正路地を撮影したもの。
この路地の石畳は日本大正村を立村する際し整備したものです。

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このあとはさらに山手にある大正ロマン館などを巡ります。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 明知鉄道  日本大正村 
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2009年9月22日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅31 明知鉄道  

遠征4日目は明知鉄道を軸に日本大正村と岩村城を巡ります。
まずは明知鉄道の起点である恵那へ向かうため中央西線快速に乗車。

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写真の先頭は211系5000番台ですが、後部の編成は313系がつながっています。

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後の方の313系に空席があったので、難なく席を確保し恵那までまったりと過ごします。
途中の勝川で上下線とも高架切替が完了したことをここで知ります。

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名古屋から約70分で恵那に到着。

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JRと明知鉄道の駅である恵那は乗換え口はあるものの、両社とも自前の改札口を有しています。
(写真の駅舎はJR恵那駅)

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駅舎は棟続きではなく別々の建物を利用する形になっています。
ここは恵那峡の玄関口でもあることから写真中の一番奥にある建物に恵那市の観光案内所が入居しています。

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明知鉄道の恵那駅。
シンプルな駅舎は建設年代がいつだったか良く分かります。

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今回の明知鉄道の乗りつぶしは日本大正村と岩村城を巡るため単純往復でないことから「極楽フリーきっぷ」を利用します。
この「極楽フリーきっぷ」は土休日限定の一日乗車券で今回遠征する直前に発売されることが発表されたため、事前に知っていた次第です。

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改札を通るとすぐのりばですが、元は切り欠けホームだったのを閉鎖する形にしているようです。

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車止め側に中央西線との乗換え口がありますが、ここはTOICAカードリーダが設置されていません。
このためTOICAなどで中央西線へ乗り換える際はJRの改札口を利用することになります。

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車両は明知鉄道の主力であるアケチ10形。
このアケチ10形は富士重工業のLE-DCシリーズの中でも後期に登場したもので、車体・足回りなどの仕様を統一化した地方私鉄向けの標準設計化車両の第1号として製作されたものだそうです。

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中央西線の接続を受けて恵那を出発。
駅構内東側すぐの踏切を越えると上り勾配に入り中央西線と別れて南へ向きを変えていきます。

明知鉄道の路線自体は駅間は田園地帯や山間部を行く形で峠越えが2ヶ所あり、途中にある飯沼と野志は急勾配上に駅があり、当時の運輸省特認となっています。

利用状況としては岩村で入れ替りがあるものの、全体的には座席が埋まる程度の利用があります。
ただし単行が基本のようなので実際に数値化すると厳しいと言うのには変りませんが・・・。

恵那から約50分で終点の明智に到着。

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このあとは旧明智町内の日本大正村を巡ります。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: JR東海  中央本線  連続立体交差事業  勝川駅  明知鉄道 
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