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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅21 備中松山城・その7 御根小屋跡  

城見橋公園と中洲公園を巡った跡は御根小屋跡を見てきます。

戦国時代の城は戦に備えるべく山に天守などの主郭部が造られていたのですが、平時においては山頂部に政庁を置くのは大変不都合な面もありました。
そこで多くの城は日常の政務や生活を行う場所を麓において、有事が発生したときのみ山城に立て籠もる形がとられています。
備中松山城もその例に漏れず、小松山の麓に御根小屋と称する備中松山藩の政庁と藩主の居館が江戸時代初期に整備されました。

御根小屋周辺には武家屋敷など建っていましたが、廃城後は売却されて解体。
跡地には旧制高梁中学校が設立され、それが現在の県立高梁高等学校に引き継がれて本校の敷地となっています。

内部には入れないので表から石垣を見てきます。

まずは西向門跡。

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御根小屋石垣西面。
上の建物は有終館と呼ばれる高梁高校の図書館。

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正面奥が御根小屋上中門跡。
現在は高校の正門となっています。

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写真奥のテニスコート入口付近が作事門跡。
階段の下り口付近が下中門跡。

現在はスロープになっていますが、藩庁が置かれていた時代は門前が石段となっていました。

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下中門跡から見る御殿坂。
正面の踏切が伯備線・高梁高校前踏切道。

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踏切を渡って。
下中門跡を撮影。

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そうしていると「やくも号」が通過。

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御根小屋から下の段は武家屋敷跡。

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この辺りは石火矢町ふるさと村のように武家屋敷が残されおらず宅地化されています。
その一角の御殿坂南西側は岡山県高梁日新高等学校(私立高校)があります。

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方谷橋南詰交差点付近から備中松山城がある小松山を撮影。
写真中央に見える手前の山が下太鼓の丸跡がある前山、その直ぐ奥に見えるのが備中松山城の天守がある小松山。

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これで備中高梁での活動は終了。
このあとは伯備線に乗って倉敷へ移動します。

→次に続く。
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅20 城見橋公園・中洲公園  

備中松山城の主郭部を見終えて下山します。
鞴峠では土休日限定でシャトルバスが乗入れていますが、スルーして歩いて下りていきます。

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往路とは違って車道の方を使って(遠回りですが・・・)

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高梁市街地。

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しばらく下りて行くと集落が見えてきます。

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城見橋公園への車道は金網と電気柵で囲まれているが、これは臥牛山に生息する猿による獣害対策。

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登り口まで下りてきました。

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登り口の近くに城見橋公園があります。
何度も書きましたが鞴峠の駐車場は14台分しか収容でいないため、利用の多い土休日には110台収容できるこの城見橋公園の駐車場に止めておき、ここから鞴峠までシャトルバスを利用します。

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駐車場は出入口側と奥の2ヶ所が通常使用され、収容しきれない場合はさらに上段のスペースが使用される感じ。

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駐車場から下流側を見る。

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鯉のぼり~。

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では、棚田の間を下りていきます。

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しばらくすると城山トンネルが見えてきます。
ここで中洲(ちゅうしゅう)公園とのT字路がありますが、渋滞を避けるため一方通行が推奨されているため、市街地へはトンネルを抜けて運動公園の脇を抜けて県立高梁高等学校東門付近へ回り道する形となります。

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トンネル前のT字路を西へ下り行くと中洲公園にたどり着きます。

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中洲公園は陽明学者で備中松山藩の執政であった山田方谷の門人の一人である三島中洲にちなんでつけられたもので、中洲が備中松山城の登城口近くに建てた虎口渓舎の跡を公園として整備したものだそうです。

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このあとは麓の御根小屋を見てきます。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅19 備中松山城・その6  

天守を出て搦め手側などを見てきます。

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本丸東御門。
復元された城門で天守の左脇にあり本丸の勝手口という扱いとなっていますが、本丸で唯一引戸になっています。
これは平時において本丸内に人がいなかったと思われます。

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腕木御門。
本丸の裏門に辺り、ここを出て下りて行くと搦手門跡の前に出ます。

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二重櫓。
南北に出入口を構える二層二階建ての櫓で北は後曲輪、南は天守裏に通じています。

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二重櫓から見た天守裏。

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本丸を出て搦手へ向かいます。
ここは搦手の途中にある腰曲輪。

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本丸石垣東面。

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本丸東御門。
今度は腰曲輪側から。

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腰曲輪から見る搦手門跡。
正面奥の石段を登ると水の手門曲輪と後曲輪跡がある。

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搦手門跡。

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かつてはここから大手御門へ通じる道(犬走り)があったが、現在見る影も無い。

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城外から見る搦手門跡。

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水の手曲輪見る二重櫓と腕木御門。

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水の手門脇曲輪。
この奥に水の手門と十の平櫓跡があり、ここから備中松山城のルーツである大松山の城へ通じているのですが、2010年の豪雨で水の手門脇曲輪と後曲輪の石垣が崩落したため、修復工事が行われています。
このため、2012年春までの復旧完了までは大松山へ行くことができません。

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後曲輪石垣。
豪雨で石垣が崩落した箇所がブルーシートで覆われています。。

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二重櫓側から後曲輪跡と水の手門脇曲輪跡を撮影。

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後曲輪側から見る二重櫓。

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大松山へは行けないのでここから引き返します。

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これで備中松山城の主郭部は終わり。
下山して御根小屋跡を見てきます。

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→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅18 備中松山城・その5  

備中松山城の天守へ入ります。

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八の平櫓跡。
本来はここから入って渡櫓を経て天守へ入るのですが、これらを復元するには絵図や古写真がないと国の許可が下りないため、更地の状態となっています。

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八の平櫓跡から見る天守。
渡櫓は写真の入口と八の平櫓を結ぶ形で連結されていました。」

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現在の入口は天守地階に張り出す廊下の一部が代用されています。

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天守地階。
ここでスリッパに履き替えて内部に入ります。

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1階。
天守内部は展示物がなく築城からの経緯や3回実施された修復に関するパネルが掲示されています。

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囲炉裏。
天守では異例だそうですが、火気厳禁で実際に使用されたというわけでは無いそうです。

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一段高い場所にある部屋へ。

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ここは装束の間。
籠城時における城主の居室で、床下に隙間無く石を詰めて忍びの者でも進入できないように工夫されています。
また、ここは戦いに敗れ落城したときに城主一家の死に場所として部屋でもあるそうです。

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装束の間から見る搦め手側。
写真の櫓は腕木御門と二重櫓。

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急な階段を上って2階へ。

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天守最上階は御社壇がある。

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最上階から見る眺め。

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天守の内部はこれで終わり。
次は本丸裏側の門と櫓、搦め手側などを見てきます。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅17 備中松山城・その4  

備中松山城本丸に入ります。

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これまで触れた通り臥牛山は猿の生息地なのですが、城の建造物などが破壊される被害があったことから、獣害対策として1997年に復元された土塀に電気柵を設けて本丸内へ進入を防いでいる。

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本丸南門御門前の窓口で入城券を購入。

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来場者に対し窓口の方の「よく参れた」と声をかけられるのはある意味新鮮です。
確かに標高430mの場所にありますからそうなるのかも知れませんが、多くは車で来訪されることが多いので「下から登ってきた」という私発言には流石に驚かれた様子でした。

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本丸南御門から見る備中松山城本丸。
周囲の土塀は1997年の復元工事により復元されたもの。

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五の平櫓。

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六の平櫓。
五の平櫓と本丸南御門・路地門・土塀と共に1997年に復元されたもの。

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七の平櫓跡。

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こちらは復元されずそのままとなっている。

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正面から見る備中松山城天守。

山頂の岩盤の上に天守台を置いてさらに二階二層の天守が立っていますが、現存天守の中では最も小さな天守であり、最も高い場所に建ている天守でもあります。

そのことが廃城後も解体を免れた理由でもあります。

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このあとは天守の内部に入ります。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅16 備中松山城・その3  

それでは、備中松山城の主郭部を見てきます。

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三の丸跡。

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厩曲輪石垣南面から三の丸跡を撮影。
右側のベンチがある辺りが足軽番所跡、大手門に近接する正面奥が上番所跡。

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三の平櫓跡。

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三の平櫓跡に隣接して建てられていた路地門跡。

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一段上の厩曲輪へ登ります。

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黒門跡。

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黒門に隣接する四の平櫓跡。

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四の平櫓跡の反対側に位置する厩門跡。
厩門自体は簡易な高麗門形式でした。

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その先が厩曲輪。

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厩曲輪から三の丸を望む。

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四の平櫓跡より一段高い場所に位置する御膳棚跡。
この場所は便所が設けられています。

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では二の丸跡へ。

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鉄門跡。
二の櫓門とも呼ばれています。

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鉄門礎石に建つ石碑。

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二の丸跡。

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この場所は中国自然歩道のルート上にあるためベンチとテーブルが置かれて休憩場所となっています。
また、当時の二の丸は鉄門以外に大きな櫓がなく土塀で囲まれていたそうです。

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このあとは本丸へ入ります。

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→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅15 備中松山城・その2  

鞴峠駐車場から備中松山城の主郭部に向けて登城道を登っていきます。

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駐車場を出て直ぐ近くにある合流点。
左がさっき登ってきた道、右が備中松山城と大松山への道。

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合流点から右に入るとしばらくして上り坂になります。

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急な石段を登った先に。

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整備されたらしき石垣。

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と思ったら展望台。

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その直ぐ背後にあるのが中太鼓の丸跡。

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先端に櫓を有し天守のある小松山と下太鼓の丸との中間点に位置する中太鼓の丸は防衛の要と共に通信の中継点として位置づけられていました。

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中太鼓の丸からさらに奥へと進み、再び石段を登ります。

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しばらくすると主郭部のものと思われる石垣が見えてきます。

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ようやく主郭部の入口となる大手門跡に到着。

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大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣。

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圧巻ではあるのですが、巨岩の上に乗る厩曲輪石垣が変形していることから詳細な調査が行われた結果、巨岩の割れ目に樹木が貫入しそれが成長したため、割れ目が次第に大きくなっているのと同時に巨岩の上に載る石垣の重みで岩のズレを生じていることが判明。

ここままでは崩落の危険があることからこれらを中心に各種センサーが設けられて継続的な監視が続けてられているそうです。

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大手門の枡形虎口。
虎口内には足軽箱番所が置かれていました。

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手前が大手櫓跡、奥が二の平櫓跡。

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大手門は櫓門を渡す形で建てられていました。

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このあとは備中松山城の主郭部を三の丸跡から順に見てきます。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅14 備中松山城・その1  

旧城下町巡りを一旦終了し、小松山山頂にある備中松山城へ向かいます。

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御根小屋跡南面にある坂道を登ります。

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道なりに進むと写真のような三叉路に出てきます。
この付近は御根小屋跡南東側に位置し現在は県立高梁高等学校の東門が左側の橋を渡って直ぐの場所にあります。

この先は道路が狭いため土休日利用できる臨時駐車場がある城見橋公園へ向かう車は中央の道を川沿いに進み、復路はトンネルを経て右手から出てきます。
城山への登山道は中央の道を進んだ川沿いに登山口があるのでそちらへ入ります。

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しばらく登ると櫓台のような石垣が見えてきます。

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この近くの橋を渡って登山口へと進みます。

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石垣からの眺め。
奥に広がるのが高梁市街地。

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それでは登山道を進みます。
この登山道は中国自然歩道の一つ吉備高原を横断するルートの一部となっています。

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臥牛山一体はニホンザルの生息地ですが、計画的な獣害対策である程度棲み分けられているとのことです。

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鞴峠駐車場までをショートカットする形で登るため、途中から急な坂道になります。

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大石良雄腰掛け。

一般には大石内蔵助として知られる大石良雄が1694年に備中松山藩の藩主だった水谷家の跡継ぎが居なくなりお家断絶で改易されることになったから、主君である浅野長矩(浅野内匠頭)と共に収城使として備中松山入りし、鶴見内蔵助の交渉により無血開城されました。
その後は浅野長矩は赤穂へ戻りましたが、安藤重博が藩主として入城するまで大石良雄が城番として当地に留まったのだそうです。

写真の岩は在藩中に城の調査などで登城した際、この岩に腰を掛けて休息したとされています。

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さらに登ると上から声が聞こえてきます。
どうやら鞴峠の駐車場が近いようです。

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左手上方から備中松山城への登城道が合流して階段を数段上ると・・・。

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鞴峠駐車場に到着。
この場所は車で来場する人向けの登山口になっていて、14台分の駐車スペースと小さな休憩所があるのですが、臥牛山東麓にある城見橋公園に110台の駐車スペースが用意されていることから、来訪者が多い行楽シーズンや土休日はここを閉鎖して城見橋公園の駐車場とを結ぶシャトルバスが運行されます(乗車券は城見橋公園で購入、往復300円)

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一般車はここ鞴峠駐車場までですが、道路自体は一般車進入禁止の管理専用道扱いで中太鼓の丸付近まで続いています。

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この場所は中太鼓の丸と下太鼓の丸跡の間にあり、臥牛山の前山山頂にある下太鼓の丸跡へは写真左側に見える階段を登ると行くことができます。

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道なりに進むと下太鼓の丸跡にたどり着きます。

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標高320mの前山山頂に位置する下太鼓の丸跡は西麓の御根小屋と小松山山頂の本丸との中間点に位置し、尾根伝いに4段で構成された曲輪跡には入母屋造りの下太鼓櫓が建てられていたそうですが、火災で焼け落ちたとされています。

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櫓跡。

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貯水のために用意されたと思われる石組みの跡

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下太鼓の丸最上段全体。

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下太鼓の丸最上段からの眺め。

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下太鼓の丸の中段から下は今ひとつ整備されていないようで、パスしました。

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このあとは駐車場からの登城道を通って本丸を目指します。

→次に続く。

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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅13 高梁の城下町・その3  

石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村に2軒ある武家屋敷。
先の旧埴原家住宅に引き続き旧折井家住宅へ来訪。

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入館料は一般券が400円で旧埴原家住宅との武家屋敷共通利用、これとは別に郷土資料館と商家資料館との3館共通券が700円(いずれの大人料金の場合)

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先の旧埴原家住宅と違い人形が置かれていて、油断していると玄関で出迎えられる人形にビックリさせられます(実物大の人形があるのは知らなかったので・・・汗)

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次の間。

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奥座敷。

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居間。

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台所と土間。

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物置。

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広敷。

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風呂。

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井戸。

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資料館。

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これで城下町の方を一旦終了し備中松山城に向けて登ります。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城    備中松山城  石火矢町ふるさと村 
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2011年4月30日 吉備国の城を巡る旅12 高梁の城下町・その2  

備中高梁の城下町。
次は武家屋敷の方へ向かいます。

写真は伯備線ですが、実は旧城下町を南北に突き抜けるように敷設されているわけです。

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踏切を渡って北東に県立高梁高等学校がありますが、ここはかつて備中松山藩の藩庁や御殿などがあった御根小屋の跡地なのですが、それは下山後見て回ります。

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武家屋敷通り。

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石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村として整備されているこの通りには2軒の武家屋敷があり、まずは旧埴原家住宅。

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屋敷の内部はこんな感じ。

広敷。

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玄関。

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奥座敷。

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次の間。

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居間。

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土間と台所。

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井戸。

20110430_bicchu_takahashi-26.jpg

この土倉は非公開らしく閉ざされていました。

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裏側。

20110430_bicchu_takahashi-28.jpg

→次に続く。

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