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2010年8月15日 日本100系城を巡る中国地方の旅39 備後福山城・その4  

再び本丸に戻ってきました。
写真の冠木門は鏡櫓の近くにあるのですが本来存在しないもので、公園として整備するのに際し設置されたものと思われます。

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鏡櫓。

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月見櫓。

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御湯殿。

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本丸御殿表向側から天守側を撮影。
写真中央にある庭園は後年整備されたもの。

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庭園。

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庭園北側から天守を見る。

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それでは福山城天守へ入ります。
福山城の天守は廃城後の破却から逃れて現存で残されたのですが、第二次世界大戦での福山大空襲で焼失し、現在建っている天守は戦後再建されたものです。

現在の天守自体は戦後再建された中では最も史実に正確でない建造物のため復興天守と言う扱いになっています。
これは中実さよりも現代的であることと建築基準法への遵守が優先されたため、このようなものになったと言われています。

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天守へは天守台の穴蔵から。

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天守内は福山城博物館となっていて、福山城にかかわる史料が展示されている展示室は撮影禁止となっています。

最上階の展望室からの眺め。
順に東西南北で撮影しています。

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最後に三ノ丸西側に出ます。
写真の芝生があるあたりから広島県立歴史博物館付近までが城代の筆頭家老屋敷があり発掘調査でも検出されたのですが、ご覧の通り痕跡さえ消されています。

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屋敷跡西側に建てられた広島県立歴史博物館。

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西外堀跡に建てられたふくやま美術館。

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二ノ丸北西側にある小丸山中腹に建つ旧内藤家長屋門。
1710年以降の備後福山藩の藩主阿部家の家臣として代々仕えた内藤家の長屋門で、元は西外堀に面した場所にあったものを1976年に当時の所有者から福山市に寄贈されこの場所に移築したものです。

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福山城址めぐりはこれで終わり。
この後は鞆の浦を目指します。

→次に続く。
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category: 中国地方遠征

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2010年8月15日 日本100系城を巡る中国地方の旅38 備後福山城・その3  

福山城址めぐり。

本丸を一度出て二ノ丸上段へ出ます。
写真は櫛形櫓跡から伏見櫓を見る。

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同じ場所から。

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現状は南側に山陽本線・福塩線・山陽新幹線の福山駅の高架が構えられていますが、藩政時は二ノ丸下段で、手前側から順に櫛形櫓・鑓櫓・鉄砲櫓と3つの櫓が連結されていて、石段を下りきった辺り(正確には高架下になりますが)に鉄御門がありました。

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神辺一番櫓側から伏見櫓を見る。

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二ノ丸上段西側。
写真中央奥に西腰郭御門がありました。

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神辺一番櫓跡。

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二ノ丸下段西側。

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西坂口門跡。
廃城後にかなり改変されたため元の状態が分からなくなっています。

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二ノ丸上段南側。

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本丸石垣上にあるのは御湯殿。

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二ノ丸上段南東側にある石碑。

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月見櫓。

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月見櫓から鏡櫓の間ですが、来訪時はこの箇所の石垣が崩落する危険があるため写真のように立ち入りが制限されていました。

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それでは本丸へ戻ります。

→次に続く。

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2010年8月15日 日本100系城を巡る中国地方の旅37 備後福山城・その2  

一度本丸へ入ります。
写真は棗門虎口と二ノ丸上段西側。

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棗(なつめ)門虎口。
正面の冠木門は史実とは関係ないもの。

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冠木門をくぐると棗門虎口内です。

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本丸へ。
石垣が張り出している辺りが荒布櫓跡。

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荒布櫓から本丸を見る。
左手にある井戸は黄金水とも呼ばれています。

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馬出門跡。
御台所門とも呼ばれていましたが、廃城後の改変が著しいため城門があった判別できない状態となっています。
2枚の写真右側にある櫓台は人質櫓(時代により内八番櫓とも呼ばれている)

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馬出門跡から鐘櫓を見る。

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鐘櫓。

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伏見櫓。

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筋鉄御門・伏見櫓付近からから本丸を見る。

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本丸御殿跡。
写真のあるあたりは藩政を行う場所である表向と呼ばれるところ。

もとは伏見城の御殿を移築したことから近代になってからは伏見御殿とも呼ばれるようになっています。

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筋鉄御門。
福山城址では数少ない現存建造物で、建物自体は築城時に新規に建てられたものだそうです。

本丸側から。

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虎口側から

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二ノ丸南側から。

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続いては二ノ丸西側と南側を見てきます。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

tag: 日本100名城  備後福山城 
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2010年8月15日 日本100系城を巡る中国地方の旅36 備後福山城・その1  

遠征最終日を迎えました。

この日は福山城へ登城するため広島から山陽本線を福山へ移動しますが、なぜ4日目の宿泊先が広島だったのかと言うと、福山へ移動するのに際し呉線の快速「瀬戸内マリンビュー」に乗る予定をしていたためです。

ところが7月の豪雨により呉線内で法面崩壊の災害が発生して一部バス代行が行われた影響で「瀬戸内マリンビュー」が運休。
長期運休になる前にホテルの予約が済んでいたため、当日の予定が狂ってしまったものの、広島出発を少し繰り上げて福山城登城の後に鞆の浦観光に急遽組み直すことにしました。

広島から三原までは糸崎行に乗車。
18きっぷ組が多く締めているせいか満席で且つ立客まで出る状態でしたが、海田市を出たあたりから本郷まで爆睡。
115系3000番台の弾力性がある座席とは違い、反発力が少なめでホールド性が良い115系2000番台のリニューアル車のものなのでお尻が痛くなくて済みました。

データイムでは岡山・広島両支社の境界で運用が分離されているため、三原で岡山行きに乗り換えて福山へ。
相変わらず満席状態ですが先ほどとは違って立客が少なめでした。

昼前に福山に到着。

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福山駅は福山城二ノ丸下段南側と三ノ丸南側を横断する形で建設されていて、駅ホーム階や駅北口に出ると福山城の石垣や櫓などが目の前に来るロケーションとなっています。

これは福山駅周辺にも言えるのですが、明治維新後の福山城址を巡る様々な政治的動きや諸事情が集約される形の表れとはいえ、他の城址も同じことが言えるわけです。

駅自体は最上階を新幹線、中層階を在来線、地上側を改札内外コンコースとした三層構造の高架駅となっています。

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北口。

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北口を出て左手に福山城があります。
この手前右側が内堀があった場所、正面から左手が二ノ丸下段南側跡。

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昼食を挟んで福山城へ登城します。
まずは三ノ丸跡側から東坂口御門へ向かいます。

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東坂口御門へ向かう途中にある二ノ丸下段東側。
ここを南へ進むと・・・。

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遊具施設があります。
ここは防御施設は特になかったようです。

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東坂口御門跡。
外枡形形式の虎口です。

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写真右側が東坂口御門の西側にあった鹿角菜(ひじき)櫓、左手奥が東坂三階櫓で、それぞれ外一番櫓、外二番櫓とも称されていました。
ちなみに現地にある鹿角菜櫓は二重櫓跡と記されていることがあります。

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二ノ丸上段東側。

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二ノ丸上段東側に建てられた水野勝成像。
この場所は一時期、孔雀や鹿を飼育する檻があったそうですが、写真の像を建てるにあたり福山ファミリーパークに移されています。

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東坂三階櫓跡。

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東坂三階櫓跡から二ノ丸東側を見る。
右手奥には鬼門櫓(外三番櫓)跡があります。

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五千石蔵をも言われた米蔵跡。
写真のテニスコートがその西半分で右手前側が御蔵口御門、礎石を挟んで奥側が乾櫓跡。

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米蔵跡にある礎石は戦時中の空襲で焼け落ちた福山城天守の礎石を移設したもの。

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米蔵跡東側に建てられた福寿会館。
廃城後は梨園となったが、その後削り節の考案者で鰹節王とも呼ばれた安部和助(あんべわすけ)が現在の会館となる別荘が建てられました。
戦中・戦後混乱を切り抜けて所有者が福山通運の創業者である渋沢晃へ1953年に福山市に寄贈されています。

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乾櫓跡と思われるあたりから撮影。

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続いては本丸へ入ります。

→次に続く。

category: 中国地方遠征

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中国地方遠征日記 2010年8月15日  

2010年8月15日(

最終日である15日は呉線の瀬戸内マリンビュー号に乗車する目的で前日を広島泊まりにしたのですが、ご存じのように7月の大雨による法面崩壊で一部区間が運休している影響で当該列車も運休したため、見事に思惑が外れてしまいました。

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このため広島出発を少し繰り上げて福山城登城の後に鞆の浦を急遽組み込むことにしました。

広島から三原までは糸崎行に乗車。
18きっぷ組が多く締めているせいか満席で且つ立客まで出る状態でしたが、海田市を出たあたりから本郷まで爆睡。
115系3000番台の弾力性がある座席とは違い、反発力が少なめでホールド性が良い115系2000番台のリニューアル車のものなのでお尻が痛くなくて済みました。

データイムでは岡山・広島両支社の境界で運用が分離されているため、三原で岡山行きに乗り換えて福山へ。
相変わらず満席状態ですが先ほどとは違って立客が少なめでした。

福山に到着後は昼食を挟んでから駅北側にある福山城へ登城。

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「保存よりも開発を最優先」とした福山市の方針によってかなり手が入ったため物議を呼んでいる福山城跡は遺構の破壊も進んでいるそうで、実際の城門跡が分からなかったり、公園整備で冠木門風の入り口が付いていたりとなかなかの土建屋思考の破壊ぶりで、本丸だけが辛うじて保っているという状態でした。

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現在ある建造物は伏見櫓と筋鉄御門を除いて再建されたもので、天守は戦災復興のもので鉄筋コンクリート造りとなっています。

福山城を出て二ノ丸跡にある広島県歴史博物館と旧内藤家長屋門へも行ってきました。

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福山城関連の後は、その昔海上交通の要衝であり現在は漁港であり景勝地でもある鞆の浦へ。
鞆鉄バスに乗って鞆の浦を目指したのですが、思っている以上にスムーズに進んでしまいました。

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到着後は鞆の浦の市街地めぐり。
海上交通の要衝だった時代を残す建物があるなど景観上は良いのですが、江戸時代からの区画の状態であるため、市街地の道路交通は散々で、バスでのアクセスは市街地外延部の整備されたところまで行けるため大きな問題はないものの、生活道路としては使い物にならないというの現地で感じました。

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鞆の浦には2つの城跡があり、一つは円通寺が建っている場所にあった大可島城と鞆の浦歴史民俗資料館の場所にあった鞆城がありました。
今回の来訪では鞆の浦歴史民俗資料館に入館する関係で鞆城跡へ登城してきました。

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この後は福山へ戻り、福山から山陽本線を乗り継いで帰阪しました。

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category: 日記

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