- 2010/09/11 2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅21 月山富田城・その5
- 2010/09/09 2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅19 月山富田城・その3
- 2010/09/08 2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅18 月山富田城・その2
- 2010/09/07 2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅17 月山富田城・その1
- 2010/08/12 中国地方遠征日記 2010年8月12日
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2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅21 月山富田城・その5 
2010/09/11 Sat. 19:06 [edit]
最後は本丸に入ります。

いったん堀切に降りてから登っていきます。

本丸跡。

山中鹿之助の墓碑。

本丸はもう一歩奥がありそうなので進みます。

本丸奥にあるのは勝目高守神社。


山頂部はこれで見終えたので下山してきました。
写真は菅谷口側にある登山口。

こちらは富田川の河川敷ですが、ここにはかつて城下町があったそうです。
しかし、廃城後十数年経過した1666年の洪水で川の流れが変わり城下町自体が水没したため、これ以降川底に埋もれてしまうことになったそうですが、上流のダム建設により川底の堆積物が流れたため多くの遺構が発見されたことから発掘調査されたとのことです。


これで月山富田城は終了。
安来へ戻って2日目の宿泊先へ移動します。

→次に続く。
2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅19 月山富田城・その3 
2010/09/09 Thu. 23:59 [edit]
2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅18 月山富田城・その2 
2010/09/08 Wed. 23:59 [edit]
続いては花の壇へ向かいます。
千畳平への登り口に戻って月山山頂方面へ歩いて行きます。
しばらくすると二手に分かれるところがあり、下の写真の左手の道に入ります。

ここは先ほど来た太鼓壇と二の壇への道で、少しきつい坂道を登って行くと獣道のような道が見えてきます。
これが二の壇へ向かう道で、ちゃんと案内板が建っています。

登山道を案内に従って進むと開けた場所に出ます。
ここが花の壇です。

花の壇は多くの花が植えられていたことが由来で、東側奥に主屋と侍所が復元されています。

侍所。

主屋。

花の壇・主屋側から隣の郭を撮影。

花の壇の下にある通路跡。

花の壇の南側にある郭は名称は不明ですが、石垣などの遺構が残されています。



次は山中御殿跡を見てきます。
→次に続く。
2010年8月12日 日本100系城を巡る中国地方の旅17 月山富田城・その1 
2010/09/07 Tue. 23:16 [edit]
安来駅自体は安来市の北部に位置していることから現地までは安来市のイエローバス・広瀬米子線で向かいます。

松江を出た時点ではまだ雨が降っていましたが、安来に到着する頃にはすっかり止んでいました。
安来に到着すると駅出入口正面で待機しているイエローバスに乗り込みます。
ちなみに安来市内は200円均一です。

安来市民病院前で降車。
城址がある月山は富田川を挟んで対岸にあるため新宮橋と通り、山城麓にある道の駅広瀬富田城へ。


道の駅広瀬富田城は安来市歴史資料館に隣接する形で建てられています。

山城に入る前に安来市歴史資料館へ。
ここは月山富田城に関する資料などが展示されています。

続いて山城へ入るのですが、道の駅広瀬富田城にある山城の地図などを・・・。
月山富田城は江戸時代初期に松江城へ移る前まで出雲国守護の居城で、標高197mの月山に築かれた山城です。


歴史資料館の裏手にある広場。

山城の模型。

主郭部のアップ。

では山城へ。

まずは千畳平へ。

実際は太鼓壇の下段なのですが、案内板は千畳平と太鼓壇と別々に表記されています。


千畳平の奥にある尼子神社。

千畳平の上段に位置する太鼓壇。

太鼓壇の北側にある山中幸盛の像。
山中幸盛は尼子家の家臣で毛利家により滅ぼされた尼子家の再興を最後まで願っていたと言われています。

奥書院跡。
現在この場所には戦没者慰霊碑が建てられています。

この後は花の壇へ向かいます。
→次に続く。
中国地方遠征日記 2010年8月12日 
2010/08/12 Thu. 23:00 [edit]
遠征2日目である12日は未明に通過した台風の影響で生憎の雨模様。

この日は午前中に月山富田城、午後に松江城を巡る予定にしていましたが、午後は降水量が少なくなるという予報に賭けて県庁所在地にある松江城を先にし、午後に天候の条件付きで月山富田城という順に入れ替えました。
午前中の松江城は山陰地方で唯一の現存天守がある城郭です。

昨日の津山城や鳥取城と違い櫓などもあることから、これらは巡ることにしましたが、時折強く降る雨に難儀しながら見て回りました。
松江では松江城以外に小泉八雲記念館と小泉八雲旧邸、武家屋敷にも入ってきました。



午後は月山富田城の予定で城跡がある広瀬へ向かうバスが発着している安来へ移動。
松江滞在時はまだ雨が降っていましたが、安来に到着する頃にはすっかり止んでいることから、あとは現地での出たとこ勝負ということになりました。
山城である月山富田城の山麓にある安来市広瀬地区へは安来市のイエローバス(広瀬米子線)に乗ります。
位置的には安来市南部の内陸に位置しますが、平野部が広かったのが印象です。

広瀬地区への途中には足立美術館がありますが、入館料が高く時間もないので今回はパス。
広瀬地区に入る頃には陽が射す状態で大変蒸し暑かったです・・・。
安来市民病院前で下車し新宮橋を渡った対岸に山城の登山口があり、少し手前に道の駅広瀬富田城と安来市歴史資料館が併設され、先に歴史資料館に入館してから山城の方へ登ってきました。


現地では富田城として案内されている月山富田城は200m弱の月山に主郭を配した典型的な山城ですが、山麓側に千畳敷・奥書院・花の壇・山中御殿が、山頂部に三ノ丸・二ノ丸・本丸があります。


山麓側と山頂部の曲輪は山中御殿に登山口がありますが、徒歩20分の登山道は昨日の鳥取城山上の丸ほどではありませんまだきつい方です。
雨が降ったあとなのでもっと難儀するかと思ったのですが、整備された城跡であったため泥濘が見られなかったのが幸いでした。


下山後は米子へ戻って遅めの昼食兼夕食を取り鞄を回収して浜田へ。
途中の出雲市で乗換だったのですが、この日の午後に人身事故が発生したため山陰本線のダイヤが乱れていることから、やくも号で一気にコマを進めたのですが、出雲市で乗り場の変更で隣のホームへ移動する目に遭い、列車自体も前運用の遅れと接続列車の遅れを引きずり30分近く遅れる出発する有様でした。

せめてのも救いは出雲市~浜田への移動がキハ126系だったということでしょう。

以上のように雨とダイヤの乱れに振り回されたこの日は浜田で一泊することにし、遠征中日となる3日目を迎えることになりました。

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