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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅30 関ヶ原古戦場・その5  

松尾山山頂に到着しました。
ここは小早川秀秋が陣を構えていた場所で、美濃松尾城跡を活用したとされています。

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この場所から関ヶ原古戦場を一望出来ます。
これまで見た陣跡よりも見る範囲は格段に違いますが、思っている以上に実際の古戦場から遠くにあります。

これに関しては小早川秀秋が臆病者であったという説や、実は当初から参戦する意志がなく傍観するつもりだったのではないかと言う説もあります。

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山頂のベンチで呼吸を整えてから下山します。
日没を迎えていることもあって林道は暗くなってきたことから携帯していたLED式懐中電灯をぶら下げて下山して言います。

登山口へ戻った頃にはご覧の通り。

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杖を返却して関ヶ原駅へ向かいます。

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関ヶ原駅に着いた時には真っ暗。
松尾山の登山口からは35分掛りました。

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岐阜駅へ戻ってから夕食タイム。
昼食をとっていなかったのでお腹はペコペコですが、それ以前にヘロヘロです。

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鞄を回収して遠征後半の宿泊地である名古屋へ向かいますが、名古屋まではしばらくぶりの名鉄で。
20:00過ぎで人も疎らだったことから折り返し待ちの車内は無人である車両が多かったので、サイト用の素材としていくつか車内写真を撮っておきました。

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名古屋からは特急の特別席に乗ったのですが、岐阜から名古屋まで乗っていたのは私だけで、あと2人ほどが途中駅間の利用でした。

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名古屋に到着。

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遠征3日目の予定はこれで終了。
このあとはホテルへ向かい4日目を迎えます。

→次に続く。
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category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場  名古屋鉄道  ミューチケット 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅29 関ヶ原古戦場・その4  

関ヶ原古戦場埋めぐりの締めくくりとして小早川秀秋の陣跡へ向かうのですが、その前にお遊び的ショットを・・・。

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小早川秀秋陣跡は関ヶ原の南側にある松尾山にあります。
元はこの場所に南北朝時代に建てられた美濃松尾城跡(松尾山城とも呼ばれる)があったそうで、陣跡は山頂付近にある城跡を利用して布陣したのでそうです。

ここへ登るのですが、思っている以上に遠くにある感じで、山頂付近にある旗がチョンとある感じです。

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東海道線の跨線橋を越えて市街地の南側に出するとすぐ近くを通る国道を渡ります。

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国道を渡って市街地をさらに南進すると東海道新幹線の高架橋が見えてきます。

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東海道新幹線高架橋の南側はご覧の様子。

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上の写真の場所は西側に水田があり、ここから東海道新幹線を北に名神自動車道を南に見ることが出来ます。

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名神自動車道のガード下を潜ってすぐ右手に曲がると脇坂安治陣跡がありますが、日没まで時間がありませんのでパスして川沿いの農道を進みます。

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駐車場が見えてくると松尾山の登山口に到着です。

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松尾山の登山道は山頂の松尾山城との由来から城山林道として整備されていますが、東海自然歩道の一部として組み込まれています林道となっています。

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登山口にはハイカーや観光客向けに杖が備え付けられています。

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17:04に登山口を出発。
松尾山山頂を目指します。

登山口から10分ほどして最初の分岐点が見えてきます、この写真だと松尾山は右側へ。

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1~2分ほどで2つ目の分岐点に到着。
ここ分岐点は松尾山山頂へ向かう道と山頂を避ける道で、いずれも山を挟んで反対側にある今須の集落に通じています。
ここでも松尾山山頂へ向かう右側の道を行きます。

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ここから先は尾根をいくつか越えるためアップダウンが激しくなります。
この辺りから山頂付近は松尾山城跡であることから曲輪跡が見られるようですが、確認する余裕がないまま先を急ぎます。

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17:27 登山口をスタートして23分で小早川秀秋陣跡がある松尾山山頂に到着。
通常は片道40分と案内されているのを6割の時間で駆け抜けたことになりますが、結構きつかったです。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場  日本の城郭  美濃松尾城 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅28 関ヶ原古戦場・その3  

丸山を下りて各武将の陣跡と開戦地などを巡ってきます。
今回は日没までの時間の関係から西軍側の陣跡をメインに巡ってみました。

まずは島津義弘陣跡。
写真はその東側にある駐車場と神明神社で、陣跡は右側の道を奥へと進んだ先にあります。

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神明神社の裏手に当たる場所にある島津義弘陣跡に到着。

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薩摩の大名である島津義弘は小早川隊の裏切りによる総崩れで東軍に囲まれ切腹を覚悟したものの、甥の島津豊久の説得により東軍がいる真っ直中を的中突破し伊勢街道を経て薩摩へ逃げ延びたといいます。

薩摩へ逃げ延びたあとは防備を固める一方、家康との講和のため敵であった井伊直政に依頼するなどにより処分を逃れています。
それが家康にとって心残りであったとされていたのですが、家康の死後250年後に現実のものになってしまったといわれています。

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島津義弘の陣地からは数100m先には開戦地が。

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島津義弘陣跡から1分の距離にある開戦地。

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開戦地から島津義弘陣跡を望みます。

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開戦地には西田運動広場の入口に碑が設けられていますが、史跡指定当初はこの場所から南へ200m離れた場所に指定されていたそうです。

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開戦地西側の最も近い場所にある小西行長陣跡。
小西行長はキリシタン大名であったため自決も出来ず逃走したものの、伊吹山の山中で捉えられ京都の六条河原で石田三成と共に斬首されています。

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次は小早川秀秋陣跡がある松尾山へ向かいます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: 関ヶ原古戦場 
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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅27 関ヶ原古戦場・その2  

決戦地の背後にある笹尾山に構えた石田三成陣跡へ向かいます。

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西軍大将である石田三成は笹尾山に竹矢来を二重に田の中に囲い、前面に島左近を頂上と麓の中間辺りに蒲生郷舎を配し、自身は山頂で指揮をとったとされています。

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では陣跡へ。

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二重に張り巡らせた竹矢来のうち写真のものは前面にあるもの。

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後方の竹矢来から山頂に向かっては急斜面を登っていきます。

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備え付けの杖を頼りに登ること3分で山頂へ到着。

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山頂には物見台が設けられ関ヶ原一体を望むことが出来ます。

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現状は立ち木で遮られていますが、決戦地が山の麓であることからもかなり追い詰められたと言われてます。

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石田三成陣跡から東へ移動して黒田長政・竹中重門が陣を構えた丸山烽火場へ。

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丸山烽火場は東軍の烽火場とした場所です。

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烽火再現の横断幕が掲げられています。
イベントで烽火を上げるのでしょうか?

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この場所も関ヶ原一帯が一望出来ます。

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このあとは各武将の陣跡を巡ります。

→次に続く。

category: 東海地方遠征

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2009年9月21日 東海地方の城郭と鉄道を巡る旅26 関ヶ原古戦場・その1  

大垣城を見た後は関ヶ原古戦場を巡るため関ヶ原へ移動します。

ここで乗ったのは117系。
JR東海の117系はあと数年すると引退するのは確実です。

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垂井を過ぎた辺りから延々と上り勾配が続きますが、淀川水系の水源である琵琶湖畔に位置する米原と濃尾平野の北西に位置する大垣の標高差があるためで、いわゆる関ヶ原越えとも呼ばれる区間です。
(走行区間の地形上理由で岐阜県側は勾配が急で、滋賀県側は盆地であるため勾配が緩い)

南北に山が迫り、南側を東海道新幹線と名神自動車道が時折顔を覗かせながら進むと関ヶ原越えの勾配緩和で北側へ迂回していた下り本線が合流してくると関ヶ原駅に到着。

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天下分け目の関ヶ原と言われた古戦場には駅構内にこの用は看板が・・・。

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関ヶ原駅の構内は2面4線。

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駅舎はローカル駅としては標準的な規模のものです。

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まずは関ヶ原歴史民族資料館へ。

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ここは中山道の宿場町である関ヶ原の歴史し関する事柄や資料が展示されていますが、メインは関ヶ原の戦い関連の展示物が多く占めています。

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資料館で頂いた「ザ・ウォークマップ」を元に古戦場を巡ってきます。

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先ずは田中吉政陣跡。
本戦後は伊吹山山中を逃走中の石田三成を捕縛したことから、後に筑後柳川藩の藩主になっています。

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田中吉政陣跡のすぐ近くにある徳川家康最終陣跡。
戦いがたけなわになった頃に家康が桃配山(ももくばりやま)から本陣を移動した場所で、戦いのあと部下が取って帰ってきた敵の首を家康が確認する首実験が行った場所でもあります。

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現在ある土塁や高台は1840年代に幕府の名により造られたものだそうです。

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笹尾山の麓にある決戦地です。

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周囲は田んぼに囲まれたこの場所の戦いは激戦だったと言われています。

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お次は決戦地の背後にある石田三成陣跡(笹尾山)へ向かいます。

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→次に続く。

category: 東海地方遠征

tag: JR東海  関ヶ原古戦場 
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シルバーウィーク日記 2009年9月21日  

2009年9月21日(

遠征3日目である21日は午前中を樽見鉄道の乗りつぶしに旧名鉄谷汲駅への来訪を絡めて、午後は大垣城への登城と関ヶ原古戦場巡りをすることにしました。

明日以降の遠征後半の宿泊先は名古屋になるため、ホテルをチェックアウトして大垣へ。
大垣から樽見鉄道に乗り換えのですが、南北自由通路の工事に関連した旧跨線橋の撤去工事のため切り欠きの6番線から7番線へ暫定移転していました。

大垣から乗った列車は樽見行きでしたが、途中の本巣で乗り換えに・・・。
車両基地が本巣にあるのと運用の都合もあるのでしょう。

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谷汲口で下車。
ここから名阪近鉄バスの揖斐川町コミュニティバス谷汲線に乗り換えて谷汲へ。

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名鉄谷汲線の黒野~谷汲は廃止されて10年近くしますが、ほとんどが軌道が撤去されているだけで、道床や築堤はそのまま残されている状態。
だたし撤去工事が停滞するのは厳しい予算の中から捻出されるものなのと、撤去後の活用法が見出せない中そのままということも考えられます。

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現在の旧谷汲駅は昆虫館との併設となっていますが、事実上の展示館状態なので、改札内コンコースはスロープが設けられているなど手が加えられ、待合所は谷汲線で使用されてきた備品などが展示されているなど手が加えられていますが、ある程度は廃止前の状態となっています。

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展示されている車両はモ510形514号車とモ750形755号車が静態保存されており、モ510形は岐阜市内の金公園や旧美濃駅に残されている車両が蛻の殻状態であるのとは異なり、現役最終仕様の車内がそのまま残されているのが特徴です。

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バスの都合上30分程度の滞在で谷汲口へ戻り、再び樽見鉄道に乗って終点の樽見まで乗り通しました。

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樹齢1500年以上もするエドヒガンザクラの淡墨桜(うすずみざくら)がある淡墨公園の最寄り駅として知られる樽見駅は2年前の不審火により駅舎が全焼し、現在あるのは「うすずみふれあいプラザ」と交流施設が併設される2代目となっています。

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折り返し大垣へ戻ると、空きから南へ10分ほどの場所にある大垣城へ。
現在の大垣城は本丸の一部が残されているだけといことで日本100名城からは外されていますが、天守や隅櫓は概観だけ復元されて、天守内部は史料館として利用されています。

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大垣城の後は関ヶ原へ移動し、関ヶ原古戦場巡り。
先に町役場近くにある関ヶ原歴史民族資料館に入ってから入手した「ザ・ウォークマップ」を利用して古戦場の各所を巡りました。

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今回は徳川家康最終陣後~決戦地~石田三成陣跡(笹尾山)~黒田長政・竹中重門陣跡(丸山)~島津義弘陣跡~開戦地~小西行長陣跡~小早川秀秋陣跡(松尾山)という順で巡りました。

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中でも一番最後に訪れた小早川秀秋陣跡がある松尾山が大変で、高さ的には300m程度の山で東海自然歩道の一部なのですが、回りくねっている上にアップダウンが激しく、通常40分程度のところを日没近かったこともあって往路26分・復路20分のハイピッチで駆け抜けてきましたので、結構きつかったです。

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登山口まで戻ったときには薄暗くなっていて、関ケ原駅へ戻った頃には真っ暗になっていました。

関ケ原から岐阜へ戻り、ロッカーに預けていた鞄の回収と夕食をとって名鉄で名古屋入りしてこの日は修了としました。

category: 日記

tag: 樽見鉄道  鉄道遺構  名古屋鉄道  日本の城郭  大垣城  関ヶ原古戦場 
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