2012年5月4日 首都圏の鉄道と城を撮る旅5 
2012/06/28 Thu. 23:16 [edit]

枡形虎口に渡櫓門と高麗門で構成されたこの城門は正式には外桜田門と言い、当地が桜田郷と呼ばれていたことが由来とされています。
ちなみに内桜田門は皇居前広場北側に位置する桔梗門がそれにあたります。
内側の渡櫓門。

枡形虎口を挟んで外側が高麗門。


正面の桜田通りを挟んで建つ警視庁や公安関係、法曹関係の建物が並ぶ官庁街である霞ヶ関があります。

南側の凱旋濠。

北側の桜田濠。

徒歩圏内に国会議事堂があることから実際に出向いてきました。
国会議事堂がある永田町は江戸時代初期に永田姓の屋敷が建並んでいたから由来し、江戸城が築城されると大名屋敷が多く建並ぶようになったそうです。
明治以降は陸軍省が置かれ、大正時代の霞ヶ関地区の区画整理によって、北大路魯山人の「美食倶楽部」の拠点や当時の府立一中であった都立日比谷高校が移転してくるなどがあったそうで、現在の国会議事堂が当地に建てられた1936年以降は政治の中枢が集中して現在の街を形成されていきました。
国会正門前交差点から見る。
来訪時はお休みであることから門は閉ざされていますが、門越しに撮影する人を見かけます。

それに倣って私も・・・。
正門前から見る国会議事堂。

右側入口が参議院。

左側入口が衆議院。

寄り道が済んだので、江戸城巡りへ戻ります。

→次に続く。
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