- 2008/01/31 2007年11月25日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征13 奥羽本線2(新庄~さくらんぼ東根)
- 2008/01/30 2008年1月27日 阪神なんば線工事見聞8-3 尼崎駅
- 2008/01/30 2007年11月25日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征12 奥羽本線1(秋田~新庄)
- 2008/01/29 2008年1月27日 阪神なんば線工事見聞8-2 安治川橋梁~西九条
- 2008/01/29 2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征11 由利高原鉄道
- 2008/01/28 2008年1月27日 阪神なんば線工事見聞8-1 九条~安治川橋梁
- 2008/01/28 2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征10 かもしか号に乗り秋田へ
- 2008/01/27 週末日記 2008年1月27日
- 2008/01/26 2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征9 弘南鉄道大鰐線
- 2008/01/25 2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征8 弘南バス大川原線
- 2008/01/24 2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征7 弘南鉄道弘南線
- 2008/01/23 2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征6 弘前へ
- 2008/01/22 2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征5 十和田観光電鉄
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- 2008/01/20 週末日記 2008年1月20日
- 2008/01/19 2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征3 「き・ら・き・ら みちのく」で行く大湊線
- 2008/01/18 2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征2 IGRいわて銀河鉄道~青い森鉄道
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- 2008/01/16 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征8 帰阪
- 2008/01/15 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征7 藤が丘工場のイベント・その3
- 2008/01/14 週末日記 2008年1月14日
- 2008/01/13 週末日記 2008年1月13日
- 2008/01/12 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征6 藤が丘工場のイベント・その2
- 2008/01/11 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征5 藤が丘工場のイベント・その1
- 2008/01/10 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征4 秋のモリコロパークへ・その2
- 2008/01/09 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征3 秋のモリコロパークへ・その1
- 2008/01/08 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征2 八草駅のモリゾーとキッコロ
- 2008/01/07 2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征1 思わぬ形でN700系初乗車!
- 2008/01/06 サイト更新情報 2008年1月6日
- 2008/01/06 週末日記 2008年1月5日~1月6日
2007年11月25日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征13 奥羽本線2(新庄~さくらんぼ東根) 
2008/01/31 Thu. 23:59 [edit]
奥羽本線は新庄を境に南と北で軌間が異なることから、構内も南側が山形新幹線・山形線、北側が陸羽西線・奥羽本線秋田方面に別れていて、双方とも改札口側に車止めが設けられています。
なお陸羽東線は同駅の南側で分岐していることから改札口の反対側に乗場があります。

▲駅中央の改札口側に車止めがある新庄駅構内
左側の5番線は陸羽東線のりばで、陸羽西線とは5番線を通じて直通運転出来るようになっています。
駅舎は山形新幹線が同駅に乗り入れるのに合わせて建て替えられたもので、最上地方の各市町村が出資の交流拠点「ゆめりあ」が同居しています。

昼食は駅舎の南側にあるお店で頂くことにしました。

食事を済ませた後は再び改札を通り山形新幹線4番線へ向かい、これから乗車する予定の臨時のつばさ188号を待つことにしました。

入線してきたのは、近年中に引退が決定した400系。
山形新幹線が開業した当時から使用されている車両で登場時は6両編成だったのが、その後の利用増により現在は1両増結して7両編成となっています。
この車両に乗るのは今回5回目ですが、残り少ないこの車両をさくらんぼ東根まで堪能します。

折り返しのため入線後すぐに車内清掃が入り暫く待たされます。
まあよくあることですが・・・。
ここでは自由席車に乗るため並んで待っていましたが、自由席車の各車に20人ほどが並んでいる感じで、車内清掃が終了して乗車したときは半分も埋まっていない感じでした。

新庄を出てしばらくは雪化粧の新庄盆地を南へと進み、猿羽根峠を越えると尾花沢盆地に入ります。

村山市の北端にある袖崎で普通列車と行き違いをして、今度は山形盆地を南へと進みますが、この辺りまで来ると行きが殆どなく日陰にポツンと残っている程度でした。
さくらんぼの生産量日本一である東根市に入りほどなくしてさくらんぼ東根に到着です。

ここはあるネタとして降りる予定だったので、途中下車することにしたわけです。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2008年1月27日 阪神なんば線工事見聞8-3 尼崎駅 
2008/01/30 Wed. 23:14 [edit]
改良工事が始まってから阪神本線上りホーム→同下りホーム+下り線跨線橋の順に完成しそれぞれ供用開始されていますが、ホーム改修工事で使用停止されていた本線上りホームが来る2月2日から西大阪線上りホームとして使用が開始されることとなり、九条~西九条とセットで見てきました。

新たに西大阪線上りホームとなる3番線は西九条方・神戸方それぞれにホームが延伸され、近鉄の21m車10両編成に対応できるようになりました。

▲新たに西大阪線ホームとなる3番線ホーム。
西九条方を撮影
新ホームはほぼ完成していますが、残りは案内板や時刻表・駅名票などの整備だけとなっているようです。


▲神戸方を撮影


▲本線上りホームからそれぞれの両端部から新ホームの中程を撮影。

▲梅田・西九条方を撮影
ホームの行先案内板は取付の準備中なので本体が無い状態ですが、これまでの字幕式の流用なのか?それとも新しくLED式または液晶式なのかはこの段階では分りませんでした。
本線上り新ホームへの切替と同時に供用が開始された北口の乗換え通路も一緒に撮っておきました。

▲フェンスで囲まれたところが近日供用が開始される西大阪線上りホームへの上り口。
奥に見えるのが本線下りホームへの上り口。
その間にあるのが今後新設される西大阪線下りホームへの上り口。
以上で8回目のレポは終わります。
category: 阪神なんば線工事の話題
2007年11月25日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征12 奥羽本線1(秋田~新庄) 
2008/01/30 Wed. 22:45 [edit]
朝は7:00過ぎに起きてホテルの朝食を頂きます。
ビジネスホテルの朝食は施設によりピンからキリまで形態がありますが、サンルート系列のホテルパールシティの場合はバイキング形式となっています。
8:30過ぎにホテルをチェックアウトし、近くの交通公社前停留所から秋田中央交通の路線バスに乗って秋田駅へ向かいます。
交通公社前停留所がある通りは秋田市内の幹線道路であることから秋田駅西口へ乗り入れるバス路線がこの通りに集中していることから、同駅へ向かうバスの本数自体は十数本と多く待ち時間は1分。
交通公社前から秋田駅(西口)までは150~160円(だったかと・・・)なので、初乗りが200円以上であることに慣れている身だとこの料金は割安と言う感じがあります。
秋田駅に到着しホームへと降りると583系が停車中。
京都総合車両所の581系はJR西日本標準色であるため、原色の同系を撮影できるチャンスはそう滅多にないため、アイコンショットだけですが撮っておきました。

撮影後、入線してきた奥羽本線上り院内行きに乗り、まずは湯沢を目指すことにしました。


入線した直後はガラガラでしたが、接続する列車が到着する度に続々と乗り込まれ、出発前で100pに達しました。
秋田を定刻で出発。
右手に秋田車両センターを見ながら羽越本線と別れます。
ほどなく田園地帯に差し掛かるのですが、雪が若干残っている程度。
並走する道路を行く高速バス湯沢線の車両(前回の遠征で乗った秋田中央交通の車両)を見つつ南へと進みます。
大曲までは秋田新幹線は停車しないものの集落の中心にある駅などではそこそこの乗降があり、大曲までで80p程度に落ち着きます。
大曲で纏まった降車があり60pとなり、ここで下り列車と行き違いとなります。
大曲を出ると周辺は一面雪化粧。
この辺りは標高の高い盆地なので、人が踏み入れないところでは思いっきり残っているようです。

秋田から1時間と30分弱ほどで湯沢に到着しました。
湯沢は土・日きっぷが利用できる奥羽本線側の最北端で、三連休パスや18きっぷなどでここをクリアしておけばフリー区間の面倒である境界区間が一つでも片付けることが出来るのできるわけです。
土日きっぷの北限近辺の境界区間として残るのは気仙沼線なので、2008年夏遠征を目処に考えておくことにします。

湯沢駅の乗り場は2面3線で、駅舎および改札口は東側の1番線に面しています。


駅前はタクシー乗り場やパークアンドライド用の駐車場が整備されています。

1時間ほど駅舎内の待合所で待った後、新庄行きに乗って県境を越えて山形県へ一気に進みます。

先程の院内行きと異なり県境を越えるため、60pとそこそこ乗っている感じです。
横堀で纏まった降車があるのですが主に学生が降りただけで、残りの殆どは新庄まで乗り通しのようです。
横堀の次の駅である院内は秋田支社の南端であり、秋田から来る列車の半分はここ折り返しとなっています。
院内を出ると複線となり雄勝峠を越えます。
峠を越えると秋田県から山形県に入り及位(のぞき)で再び単線となり、新庄盆地へと下っていきます。
沿線には民家が点在していますが、各駅の乗り込みは多いというわけでもなく、誰も乗ってこない駅も見られました。
左手から陸羽西線が合流し、右手に煉瓦造りの車庫が見えてくると新庄に到着です。


丁度良いタイミングで陸羽西線の車両に遭遇。
おなじみのキハ110形ですが、陸羽西線および陸羽東線仕様の200番台であるため701系との並びで撮ることになりました。

これで奥羽本線の残りは新庄~羽前千歳だけとなりました。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2008年1月27日 阪神なんば線工事見聞8-2 安治川橋梁~西九条 
2008/01/29 Tue. 23:59 [edit]
阪神なんば線の工事の中でも一番先に姿を現した区間ですが、現在は九条側と同じくセミシェルター形防音壁の設置工事が始められていました。

▲写真中央付近に見える工事中の建物は保線作業基地になるもの。
西九条駅寄りの高架橋の上では大阪環状線の真上に跨線橋を架けるための桁の構築と、その桁を完成後に本設場所へ送り出すための準備が行われていました。
構築されている桁自体は延伸されるホームと一体構造で、高架橋上で構築された後で西九条駅側まで渡してある巨大な仮桁を利用して吊り下げられて大阪環状線の前に送り出して架設される感じです。

▲跨線橋の架設工事全体の様子
仮桁が安治川橋梁側(写真右側)にまで架設されています。

▲大阪環状線との交差部をクローズアップしたもの。
仮桁が西大阪線西九条駅側に達しているのが分るでしょうか?

▲阪神西九条駅側から撮影したもの
これなら全体が分るかと・・・

▲西九条駅ホームから撮影
西九条駅側はこの工事のために予め橋脚の補強工事が施されています。
西九条駅側の工事ですが、難波方面行きの整備工事が進められ見た感じではエスカレータの新設と階段の改修、天井および壁面の改修が行われています。
一方、乗り場の方はホーム上屋の延長が上下線とも既に施工済となっていて、さらに上りホームでは待合室らしきものの設置工事が進められていました。

▲難波方(現在:車止めの辺り)から撮影

▲尼崎方から撮影

▲待合室?と思われるもの建物
次は関連の改良工事が行われている尼崎駅の様子です。
→8-3に続く。
category: 阪神なんば線工事の話題
2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征11 由利高原鉄道 
2008/01/29 Tue. 23:20 [edit]
それに引きずられる形で酒田行きも出発できず待たされることになります。
そして、定刻より25分遅れでいなほ5号が到着し、降車後即車内清掃に追われていました。
羽後本荘での乗換え時間は定刻ベースで約9分。
遅延しても接続は確保されそうな感じですが、ここを逃すと面倒になることから安全パイを採ることにして酒田行きからいなほ14号に変更することを決め、701系から485系へと向かいました。

乗車待ちの列がそこそこ見られるものの座れそうなので、アイコンショットを撮影後に列に並びました。
車両は485系1000番台でも1990年代前半にリニューアルされた車両で、半間接照明とセミハイデッカーとなっている座席部分が特徴で、同時期の183系あずさ・189系あさまなどにも施行されました。
私はあずさやあさまに乗ったことがなく、いなほも前回の遠征で3000番台に乗っているだけなので、この車両に乗るのは今回初めてです。

16:45頃に車内清掃が終わり乗り込むとほどなく出発。
定刻より12分~15分ほど遅れで羽越本線を南に向かってひた走ります。
定刻より14分遅れの17:20に羽後本荘に到着。

一旦改札口を出て、由利高原鉄道の矢島までの往復乗車券を購入し再び入場。

由利高原鉄道のりばは東側の4番のりばで、羽越本線の待避・折り返し用としての3番線とホームを同じとしています。

待っていたのはYR1500形。
前照灯が4つなのは良いのですが、お世辞にも洗練されている顔とは言えません・・・。

車内に入ったときは2人ほどしかいなかったのですが、出発時間が近づくと地元の学生などが乗り込んできて、いなほ14号に引きずられて遅れていた酒田行きが到着した頃には40pほどになっていました。
酒田行きに接続後に羽後本荘を出発。
しばらくは羽越本線と並走し、薬師堂の手前で別れます。
薬師堂を出ると国道108号線(矢島街道)に沿って本庄平野の田園地帯を南東方向へ進みます。
左手に防風壁が延々と続きます。
北東北の地でよく見かける防風壁にはブラインドのように使用されないときは折りたたみ出来るものもあり、風邪の強弱により使用されている感じですが、ここで見かけたものがそうであるかどうかまでは分りませんでしたが・・・。
前郷は由利高原鉄道で唯一交換可能な駅で、ここで矢島から来た列車と行き違います。
この段階で10名足らずとなり、終点の矢島に着く頃には3人ほどになってしまい、寂しい車内となってしまいました。
左手に車両基地が見えると矢島に到着です。

屋島駅ののりば自体は1面1線とシンプルなもので、駅舎には売店や地元のインフォメーションセンターなどが置かれているほか、由利高原鉄道の本社も置かれています。
路線自体はここで終点ですが、国鉄矢島線の羽後矢島駅として開業した当初はここから小吉川水系の笹子川に沿って進み、松ノ木峠を越えて奥羽本線院内駅までを結ぶ計画だったのですが、結局建設されないまま第三セクター化され現在に至ります。

鳥海山の麓にある矢島駅は由利本荘市の矢島地区の中心地であるのですが、18時を回った駅周辺は既に真っ暗。
タクシーが待機していましたが、そこは人気のない駅前。
誰も乗ってこないと確認すると走り去っていきました。

降車後は折り返し発車の5分前まで一旦改札が止められる列車別改札が採られているため、駅舎内の待合いスペースでしばらく待ちです。
ようやく改札が始まり、再びYR1500形の車内へと入り羽後本荘へと戻ります。

羽後本荘に戻り2日もの予定は終了。
20:00発の秋田行きに乗り秋田へ戻ります。


各車4~5人ほどしか乗っておらずガラガラ。
秋田の車中を爆睡しておりましたが、701系は半自動扱いなのでヌクヌクと寝られたのは言うまでもありません。
2日目の宿泊先は「ホテルパールシティ秋田」

秋田駅から西へ20分も歩いたのですが、結局のところ秋田中央交通の路線バスに乗って交通公社前停留所で降りてホテルまで歩いた方が早かったということで、いわゆる調査不足だっただけなのです・・・。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2008年1月27日 阪神なんば線工事見聞8-1 九条~安治川橋梁 
2008/01/28 Mon. 23:36 [edit]
この間、色々と動きがあったことから、2008年1月27日に現地へ出向き纏めたものを報告するに辺り、8回目となる本投稿分から「阪神なんば線工事見聞」と改めることとします。
開業まであと1年となり諸々の工事の進捗状況を纏めるべく1月27日に九条から西九条までと尼崎へ出向いてきました。
まずは九条から安治川トンネル付近までのレポですが、この区間は阪神なんば線でももっとも厄介な区間であり、同線が建設されることにより不利益を被るとして高架から地下に入る場所となっている市道九条中通線(都市計画道路西九条松島線)に面する業者・マンション住人や九条駅北側にある商店街の商店主の一部が認可の取り消しおよび同区間の完全地下化を求めて裁判を起こしていることで知られています。
九条駅となる部分は開削工法が採られていて、現在は地下の駅の部分で工事が進められています。

駅の出入口となる工事もこれから始まった感じですが、一部は先行して用意された構造物を使用されることとなっています。

地下鉄九条駅ではホームの壁面の改修工事が始められていますが、現在使用されていない大阪港側の改札口もなんば線開業に合わせた使用再開に向けて何らかの改修工事がこの1年までに行われるかも知れません。

問題となっていた中央大通りの交差点の向こう側では市道九条中通線(都市計画道路西九条松島線)を二分するように高架から地下にはいる部分の工事が進められていますが、遠くから見ると思っている以上にカーブしているのが分ります。

さて、この区間では沿線における騒音低減の観点から大きな防音壁が設置されています。
「セミシェルター型防音壁」と言われるものですが、設置されている姿は高速道路を連想させられます。

▲その様は高速道路のようだ@源兵衛渡交差点にて
源兵衛渡交差点にすぐ近くにある安治川トンネルを通り西九条側に抜けます。
→8-2に続く
category: 阪神なんば線工事の話題
2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征10 かもしか号に乗り秋田へ 
2008/01/28 Mon. 22:40 [edit]

この時点での奥羽本線の未乗区間で弘前から秋田までだと大鰐温泉~大館・鷹ノ巣~追分と言うことになります。
やって来たのは485系1000番台3両編成で、専用の塗装が施された編成が充てられています。

写真の車両は運転室と接する面が客室であるのがデフォルトである485系では珍しく運転室後部にデッキが設けられています。
これは中間車を先頭車改造された車両で、国鉄末期において電動車ユニットの片方に運転台を取付られたもので、主に九州や東北地方の特急列車の短編成化を行うに際し施工されていて、485系でこういった車両を見かける場合は先頭車化改造が行われていると判断できます。

さて、定刻通り弘前を出発。
暫く弘南線と並走し市街地が途切れた辺りで弘南線と別れるとリンゴ畑の中を進みます。

石川を過ぎて再び単線区間に入り弘南線とアンダークロスし、石川を挟んで並走します。
奥羽本線を跨ぐ弘南線の橋梁はここへ来る前日まで改修工事が行われていたそうで、今遠征ではこれらは予め織り込んでましたので乗りつぶすことが出来ました。

大鰐温泉を過ぎると東北自動車道が並走します。
ここから矢立峠越えとなるのですが、それほど険しいというわけでもないと言ったところです。
津軽湯の沢を出た辺りで小坂・十和田南方面へ向かう東北自動車道を別れて、矢立峠に位置するトンネルを抜けると秋田県に入り大館盆地に向けて下りていきます。

大館を過ぎると右手から花輪線をアンダークロスします。
前回の遠征で重要だった路線だったのがふと過ぎりました・・・。

大館からは白神山地の南側にある大館盆地から鷹巣盆地に掛けては主に田園地帯が広がっていますが、辺りは一面の雪化粧となっています。

米代川を渡り能代平野まで来ると、それまで内陸を走っていたの奥羽本線は日本海側を進むことになります。
駅で言うと五能線との分岐駅である東能代がその分かれ目。
東能代からは南に進路を変えて秋田を目指します。
この辺りから睡魔に襲われ、気がつくと秋田の到着する旨の案内放送が行われていました・・・。
弘前から2時間6分で秋田の到着。

これで奥羽本線の未乗区間は湯沢~羽前千歳だけとなりました。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
週末日記 2008年1月27日 
2008/01/27 Sun. 23:16 [edit]
最近、携帯の待ち受けを変えてみました。
機種変更して暫くは弊ブログのプロフィール画像にもあるモリコロのぬいぐるみでしたが、ローカルサイトの一コンテンツである「万博来訪記」のアップが終了して一区切りついたこともあり、今回の変更とにしたわけです。

■2008年1月27日(日)
今週末のお休みは27日だけ。
この日は阪神なんば線の工事と大阪駅の改良工事の見聞をしてきました。
まずは阪神なんば線の工事を九条から見ることに、裁判沙汰にまで発展した問題の区間にはシェルターとも言えるような大きな防音壁が構築されていて、安治川橋梁を挟んで西九条付近もこれからですが、防音壁の設置工事が行われています。

▲その様は高速道路のようだ@阪神なんば線・安治川橋梁~九条にて
西九条では大阪環状線を跨ぐため、既に構築なった九条方の高架橋の上で予め桁を構築する工事が進められているのと同時にそれを移動させるための準備が進められていました。

西九条から西大阪線に乗り尼崎へ。
関連の改良工事中の尼崎は2月2日に4番線から3番線に切り替わるのですが、前回は夜間での見聞だったので改めてみてきました。

これらの詳細は別途報告します。
尼崎から尼崎市営バスに乗りJR尼崎へ向かいJR神戸線を大阪駅へ向かいました。
ここでは御堂筋口の改札内コンコースと中央口改札外コンコースを見てくることにしました。

こちらの詳細も後日報告します。
この日の予定はこの3つで終了し後は帰宅するのですが、いつも通りでは面白くないのでデフォルトの最寄り駅ではなく自宅から3番目に近い駅から近鉄バスで帰宅しました。
category: 日記
2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征9 弘南鉄道大鰐線 
2008/01/26 Sat. 20:49 [edit]

今遠征2度目の701系ですが、ここではピンク系帯の秋田車両センターの車両で、写真の編成には「N1」と掲示されていることから同センター在籍に在籍する3両編成の第1編成のようです。

弘前を出ると五能線の分岐駅である川部から続く複線区間を進みます。
石井は2面3線の無人駅で、その石井を出てすぐ大鰐線をアンダークロスして単線となり次の大鰐温泉へと続きます。
この間たった2駅だけなのですが、駅間が長いため10分強掛かります。
休日の昼前と言うことで学生の姿も少なく10p~20p程度の利用状況。
大鰐温泉で行き違いする485系かもしか号を横目に見ながら一旦改札口を出ます。

大鰐温泉駅前にはピンクのワニのモニュメントが出迎えてくれます。
同駅の所在地が大鰐町あることから造られたキャラクターらしく、町内に各所にモニュメントがあるのだそうです。
写真の駅舎は南口で同駅には北口もあるものの、そこは弘南鉄道の大鰐駅北口であって構内の跨線橋を通って奥羽本線を利用することが出来ない旨が改札口などに掲示されています。

弘南鉄道大鰐線の大鰐駅南口はJR大鰐温泉駅の隣にあり、改札内の通行は出来ても駅舎だけは独立している感じです。
こちらは常時駅員が在中する北口とは違い来訪当時は無人でしたが、普段は窓口営業の時間を限定していて、たまたま営業時間外の時に来たようです。

無人の駅舎を通り抜けて跨線橋を渡り大鰐線のりばへ。
大鰐線のりばは1面2線で中央弘前方に留置線があり、来訪当時は赤帯の7000系が1本留置されていました。
また、列車は奥羽本線側に面した4番のりばからの発着を基本としています。

待っているのは弘南線と同じく7000系。

奥羽本線と同様、10名足らずが乗ったいるだけの状態で大鰐を出発。
隣を並走する奥羽本線とは弘前市の市街地で1km程離れている程度であるものの、ほぼ全区間を競合する形で、奥羽本線は市街地を真っ直ぐ結んでいるためたった2駅であるのに対し、大鰐線は弘前市にはいると住宅地の中をこまめに停車することから13駅もあり、所要時間では大鰐線が大きく負けてしまいますが、弘前市の市街地での利用で40p~60pになる感じなので、路線の性格的には比較にならないようです。
全線単線である大鰐線は途中、鯖石・石川・津軽大沢・千年・西弘前が交換可能駅で2006年までは快速列車の設定もあったのですが、現在はデータイムの運転間隔が45分となっていることからこれらの設備がフル活用されるわけではなく、来訪時においても中間にある津軽大沢で列車交換しただけです。
大鰐線の石川は奥羽本線の石川駅とはやや離れた場所にあり、中央弘前寄りの駅である義塾高校前が奥羽本線の石川駅の最寄り駅。
次の津軽大沢には大鰐線の車両基地である車両研修所と同線の運行指令が置かれていて、同線の要衝としての機能を抱えています。
千年(ちとせ)から弘前市の市街地に入り、それまで20p程度だった車内は中央弘前までの各駅で乗り込み一辺倒となり最終的には60pに達しました。
中央弘前駅は土渕川に面した場所にある1面1線の駅で、JR弘前駅と弘前公園とは徒歩で30分程とやや離れた場所にあります。
また、駅前の道路が狭くバスも乗り入れることが出来ないため、最も近いバス停でも徒歩1~2分ほどの距離があり利便性の点で中途半端と言う印象は拭えません。

さて、駅舎脇の川に面した場所に丁度良い撮影ポイントがあったので、ここで編成写真をゲットしてJR弘前駅へと向かいました。

→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征8 弘南バス大川原線 
2008/01/25 Fri. 23:59 [edit]
黒石から出発するバスは弘南線黒石駅のすぐ近くにある黒石駅前案内所から発着します。

ロータリーは広く取られていて、中央部分をバスの待機所として利用しています。

写真に建物がそれなのですが、左側(弘南線側)に弘南観光黒石営業所、右側に黒石案内所で案内所には出札窓口と待合所があり、バスが来る30分ほどをここで待つことにしました。
案内所ではバスの到着発車の際には案内放送があり、当地での土地勘がない身にとってはある程度助かったりします。
発車5分前に弘前行きのバスが到着し、私を含めた5人ほどが乗り込み10:00から出発します。
黒石市街地を巡り千年橋で浅瀬石川を渡ると県道268号線を西へ進みます。
この辺りは南側を国道102号線が通るのですが、かつては268号線が国道102号線だったそうです。
田舎館駅の手前で弘南線を渡り、暫くして田舎館村役場のある村の中心地を通ります。
この辺りで若干の乗り込みがあり10人ほどに増えてきます。
平川市に入った辺りで県道41号線を進み、平川に架かる境橋を渡ると弘前市に入ると一人ずつ降車していきます。
しばらくして市街地に入り国道7号線との交差点から県道3号線を進み奥羽本線をアンダークロスして中心部を回り込み弘前バスターミナルに到着します。

弘前バスターミナルはイトーヨーカドー弘前店の1階にあり、バスはバスターミナルの脇にある降車場で停まり私たちはここで降ろされました。

▲黒石から弘前まで乗った弘南バス
車種は日野レインボー
弘前に戻ったら奥羽本線で大鰐温泉へ移動し弘南鉄道大鰐線に乗ります。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月24日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征7 弘南鉄道弘南線 
2008/01/24 Thu. 23:59 [edit]
朝は6:30過ぎに起きて朝食を済ませてきます。
現地での行動は行程の都合による早朝出発するとき以外は基本的に8:00~9:00頃にスタートすることから予約サイトで予約する場合は朝食付きのプランを選んでいます。
素泊まりよりも500円~1000円ほど高くなるのですが、手軽とか安いからと言ってファーストフードで朝食というのは社会人として悲しすぎますからね。
8:30頃にホテルをチェックアウトし、弘前駅のコインロッカーに着替えの入った鞄を預けて乗りつぶし開始です。
弘前駅はメインの中央口側にJR奥羽本線の改札口があり、自由通路を通じて反対側の城東口に弘南鉄道弘南線の改札口があります。


早速、きっぷを購入し弘南線のりばへと進みます。
改札口は有人改札でスタンプではなく鋏が入れられ、ここ20年で見られなくなったものを体験できます。

のりばは1面2線の頭端式ホームで、駅名板は本体の両端を吊り下げるタイプが使われていますが、弘南鉄道でこのタイプが使われているの実は弘前だけのようで他は昔からあるものが使用されています。


弘前から黒石まで乗車する車両は元東急7000系。
弘南鉄道に譲渡された際、半自動扱いが出来るようにドア横に押しボタンが取り付けられているのですが、見た目が家庭用に使われるような簡素なもので、いかにも地方私鉄向けに改造されたな~と思ってしまいました。
写真の7000系は後で乗車する大鰐線にも在籍していますが、路線別に制御装置のメーカーが異なるだけだそうで、東洋電機製のものが弘南線に、日立製のものが大鰐線にそれぞれ分けられています。

弘前を出発して少しの間だけ奥羽本線と並走し、それが右手に別れると平賀までは東へと進み、運動公園前までは市街地を進みます。
各駅周辺に住宅地が立ち並んでいますが、それらは基本的に主要道路に沿っている建っており、駅間は田んぼのど真ん中を進むといった感じです。
平賀は車両基地である車両管理所を抱えているのですが、2007年6月に脱線事故があった現場であり、この事故で暫定的に80分間隔での運行され、それが7月末まで続いていました。
また、同駅は弘南鉄道の本社があり弘南線の要衝でもあり同鉄道の要衝でもあります。
さて利用状況ですが、通しでは30p~40p程度で各駅で入れ替りがあるので全線通しでの利用は少ない感じです。
ここから北へ進路を変えてますが、直線区間が少なくなってきます。
境松から再び東へと進み、ほどなくして黒石に到着します。

黒石からは弘南バスに乗り弘前へ戻ります。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征6 弘前へ 
2008/01/23 Wed. 23:53 [edit]
戻ってきた時間帯は三沢に停車する特急がないことから普通電車に乗り青森へ移動します。
701系2両編成で100pであったため座ることが出来ず、野辺地での入れ替りでようやく座ることが出来ました。
野辺地から青森までは入れ替りがありつつ概ね80pをキープした状態。
座席に腰を落ち着けると足下が暖かくてウトウトと寝てしまい、気がつくと青森の一つ手前である東青森に到着していました。
青森で一旦下車して駅舎を撮影しておきます。
ここは2006年夏遠征において「はまなす」から「つがる2号」へ乗り換えるときに使いましたが、その他はいずれもスーパー白鳥の車中から見ていただけなので、ここの改札から出るのは初めてでした。

撮影後はつがる23号に乗り弘前へ向かいます。
車両は2006年夏遠征以来1年3ヶ月ぶりの751系。

前回乗ったときと同じ1号車が指定されていたのは何かの縁でしょうか?
違うのはUターンラッシュのように混んだ車内ではなくガラガラであると言うことだけですね。
東北本線とは違い単線区間が殆どである奥羽本線で行くため至る所で行き違い待ちの運転停車に遭遇します。
ちなみに青森から奥羽本線に入るのは初めてですが、今遠征の目的の一つが青森~大館・鷹ノ巣~追分・横手~羽後千歳と歯抜けのように未乗区間が残されている奥羽本線全線走破なのでここは外せないのです。
弘前に到着して初日である23日の予定は終了となります。


21:00を回った弘前駅前はひっそりとして地方都市にいるんだと認識させられます。
駅前の地下道を通り雪道を進んでホテルへと向かいました。

23日の宿泊場所は「ブロッサムホテル弘前」
このホテルは駅からはちょっと離れた場所にあり、雪道を歩いて行くことになり私のようになれていない人には若干苦労するところです。
弘前駅には東横インが最も近いのですが、そこは個人的に合わないのでこちらにした次第です。

さて、翌24日は弘前を主軸に弘南鉄道2路線を乗車していきます。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征5 十和田観光電鉄 
2008/01/22 Tue. 23:59 [edit]
三沢まではスーパー白鳥24号に乗車。
夏遠征以外で789系に乗ったのは今回が初めてでしたが、盆休みの混雑で慣れていると空いている789系を体験してうるのが不思議に感じます。

さて、三沢基地を抱える三沢市の主要駅である三沢駅は市の中心部から離れた、市街地の西端に位置しています。
市の中心部は東口側にあるのですが、メインは西側の正面口で十鉄三沢駅もこちら側になります。
駅前のロータリーにはタクシー待機していますが、バスは乗り入れていません。

JR三沢駅から歩いてすぐの場所にある十鉄三沢駅はとても駅とは思えない佇まいです・・・。

駅前を通る県道10号線側はバス停がありこちら側に待合所・出札口など駅設備があります。

駅舎の中はJR駅側には自販機が置かれているだけでテナントが入っておらず、南側にうどん屋がテナントとして入っています。

改札口側にある窓口は鉄道線の他に十鉄バスの乗車券など販売されています。
鉄道線の方は自動券売機があり、2台ある券売機のうち1台は比較的新しいタイプとなっていました。

ここでは往復券も買えることから早速十和田市までの往復券を買いました。

しばらく待ちベンチに座って待っていると、7700系電車がガラス越しに近づき顔を除かせて到着したのですが、十鉄では発車数分前でないと改札が始まらないため降車が済んでもすぐ乗れず待たされることになります。
ようやく改札が開始されて、十和田市行きに乗り込み出発を待ちます。
この間ドアは開きっぱなしですが、開いているのは一番前と一番後だけで他は締め切りとなっていることから大きな問題はないと理由よりもむしろ改造コストの問題から半自動の装備がないだけと言う穿った見方も出来ます。
16:13に三沢を出発します。
十鉄の7700系は東急時代にインバータ制御の換装されていますが、東急の譲渡車としては初めてインバータ車だそうです。
それにしても地方のローカル私鉄にこの音は違和感有りです・・・。
三沢を出てすぐ古牧温泉渋沢公園の脇を通るのですが、曲線が連続する区間と言うこともあってノロノロと進んでいきます。
公園を抜けてからは緩やかな曲線があるものの比較的直線区間が多くなります。
十鉄唯一の交換可能な駅である七百で列車の行き違い。
この駅の傍らには車庫があるのですが、すっかり暗くなって撮ることさえ躊躇います。
古里から県道10号線と並走し十和田市まではほぼまっすぐです。
北里大学前を過ぎると十和田市の市街地には入り、周辺に大型家電量販店やSCが見えてくると十和田市に到着。

十和田市駅は単式1面1線のシンプルなのりばですが、陸橋を渡った先に駅ビルがあり、改札口などは同ビル内にあります。

駅ビルには十鉄のバスターミナルが併設されていて、青森県東部の各地を結ぶ路線バスがここへ乗り入れています。


この駅ビルはダイエーのFC店舗が入居していたのですが、ダイエーの経営再建によりFC契約を解消し2007年3月末でスーパーマーケット事業からも撤退。
来訪した現在はいくつかの店舗が入居しているだけとなっていますが、2007年10月になり大阪の大和システムに土地・建物の売却契約が結ばれていることから、建物自体は解体された後、2008年末までに新たに大型SCとして建設され、駅舎は別途建てられる計画となっているそうです。

この後すぐ三沢に戻って青森を目指しました。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征4 大湊駅 
2008/01/21 Mon. 23:59 [edit]

大湊駅到着後は「き・ら・き・ら みちのく」の撮影会化していましたが、下の写真はその時の様子です。
ちなみに「き・ら・き・ら みちのく」車両が停まっているホームからは写真の場所から回り込まないと出られないので若干アレなんですけど・・・。

ここは大湊線の終点ですが、一つ手前の下北駅よりも緯度が低い(南寄り)ため「本州最北端の駅」は名乗れないことから「てっぺんの終着駅」と称しています。

駅は有人駅で大湊線の吹越~下北を管理しているほか、大湊線営業所を併設されている同線の要衝でもあります。

駅前はタクシーが待機していますが、時折JRバス東北下北線が乗り入れて観光の拠点でもあります。


大湊では折り返し待ちが1時間ほどあったのですが、あいにく雪が残っていることからあまり動かず待合所で待っていると、津軽三味線の演奏会がその場所で催され、10~20分ほどの生演奏を目の前で鑑賞。

演奏会が終了後、ほどなくして折り返しの快速しもきた号が入線。
これに乗り野辺地へと戻りました。

→次に続く。
category: 東北地方遠征
週末日記 2008年1月20日 
2008/01/20 Sun. 22:09 [edit]
今週唯一の休みであるこの日は午後からお出かけしてきました。
当日は昨年末から試運転が開始されたおおさか東線→JR奈良駅の高架工事の様子→京都市営地下鉄東西線の延伸区間の乗りつぶしをしてきました。
まずは久宝寺でおおさか東線の試運転の様子を。

目的は同駅に入ってくる223系2000番台のWパンタ車を狙うことですが、久宝寺に到着した途端に放出に向けて出発していったしまい入れ違いに・・・。
この失敗で40分ほど予定が狂いようやく戻ってきたターゲットの編成写真をゲット。

おおさか東線は同駅の内側2線を利用することとなりますが、配線の関係で本線上で折り返しはせずに一旦奈良方にある引き上げ線に入ってからJR難波・放出方面ホームに入ってくる方式がとられています。

▲引き上げ線に入り折り返しをする223系2000番台
久宝寺から大和路快速で奈良へ移動。
高架工事たけなわのJR奈良駅はようやく全体像が分るようになり、思っている以上にデカイ印象を与えます。


奈良からはみやこ路快速で京都へ向かい、京都から琵琶湖線に乗り換えて山科へ移動。
京阪山科で太秦天神川行きに乗り京都市営地下鉄東西線の延伸区間を乗りつぶしたのですが、京阪山科にしたのは太秦天神川行きに行先表示を撮りたかったのと時間都合のバランスからここにしたのです。

写真の京阪800系は京都市営地下鉄東西線には方乗り入れという形のため、車両使用料を京都市から京阪に一方的に支払わなければならなかったことから、最初の二条~醍醐まで開業した当時から御陵~京都市役所前までとしていたのですが、京都市役所前が烏丸線の乗換駅である烏丸御池の一駅手前であったことから開始当初から「不便だ!」と言う苦情が絶えず、最終的に地元財界などの働きかけにより今回の太秦天神川の延伸に合わせて半数ほどが烏丸御池を経て太秦天神川まで乗り入れ区間を伸ばすことになったと言う経緯があります。
乗り入れ列車が全て太秦天神川まで行かないのは京阪側の事情があり、全て乗れ車を太秦天神川に伸ばすと運用が増えてしまい現有の車両では予備車が不足するとのこと。
もう一つ考えられそうなのは、今秋に開業する中之島線関連に集中していることから1両約2億円すると言われる800系を造るほどの資金を割く余裕がないという事情があるかも知れません。
太秦天神川駅はホームドアの色が黄色系となっており、隣の西大路御池とは色が異なるだけであとは京都市営地下鉄東西線にある標準的なデザインです。
#太秦天神川は檸檬(れもん)色、西大路御池はオレンジ系の向日葵(ひまわり)色
駅以外での特徴と言えば太秦天神川~西大路御池で複線シールドで、同線の他の区間は単線シールドであるため先頭車か最後尾にかぶりつけば確認できます。


太秦天神川は地上側の整備工事などが終わっておらず、嵐電天神川電停も3月の開業に向けて工事中。
実はそこへアクセスする出口が改札口正面にあり完成しているのですが、上記の理由で今のところ使用されず全体が出来るまではもう少し先と言ったところです。

嵐電天神川電停設置工事は道路を掘り起こして軌道の移設が行われていて、来訪当日は上り線の移設が済んだ段階でしたが、同時に上りホームの工事も着手され屋根まで出来ている状態でした。
後は下り線の移設と下りホームの工事に取り掛かると言ったところです。


太秦天神川から西へ230mの場所にある蚕ノ社まで歩いて向かい、ここから嵐電に乗り嵐山へ向かいこの日は終了。

このあと渡月橋を渡って阪急嵐山へ向かい、桂~淡路~大阪市営地下鉄堺筋線経由で帰宅しました。
category: 日記
2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征3 「き・ら・き・ら みちのく」で行く大湊線 
2008/01/19 Sat. 23:40 [edit]
大湊線の線内列車はキハ100形ですが、この車両があることから狙ってみることにしました。
八戸に昼間出発する列車は11:19発の「き・ら・き・ら みちのく下北号」。
丁度入線して間がないようでガラガラ。

出発までには時間があるのですが、接続されるはやて5号の八戸到着が11:14、私が八戸に到着したのが10:48ということで人気があまりないこの間に撮影を済ませておきました。


はやて5号の接続を受けて八戸を出発。
新青森まで延伸される東北新幹線の高架橋を遠くに見ながら先ずは野辺地を目指し東北本線を北へ進みます。

このタイミングで乗車前に買っておいた弁当を広げていただくことにします。
ごく普通の幕の内弁当です。


時刻表上では野辺地までの停車駅は三沢だけですが、実際は待避のために三沢以外で運転停車が2回有り、ここでは後発のつがる5号(臨時)と7号(定期)に追い抜かれます。
野辺地から大湊線に入り、目に前に広がる野辺地湾や陸奥湾を眺めながら下北半島を進みます。


「き・ら・き・ら みちのく」は3両編成。
リクライニングシートの両先頭車とボックスシートタイプの中間車で構成され、中間車である2号車にはイベントスペースがあり、陸奥横浜~下北の間を進んでいる間に津軽三味線の演奏が行われています。
下の写真は演奏が行われた時間で人が捌けて閑散とした1号車自由席の様子で、陸奥湾を眺めることが出来るように座席が配置されています。

陸奥横浜を出た辺りで恐山の南側に位置する釜伏山が見えてきます。

大湊線は駅数の割りには距離が長く、八戸から野辺地まで行くのよりもや遠い感じです。
本州最北端の駅である下北で半数の人が降車。
下北はかつて下北交通大畑線の起点駅でありここから下北半島をさらに北上して大間岬との中間に位置する大畑まで結んでいました。
その大畑駅は現在も残されていて、駅舎は下北交通大畑出張所として使用され、駅構内の車庫や同線で使用されていた車両などはNPO法人GEMBUの傘下にある大畑線キハ85動態保存会の手により保存され4月から11月の第三日曜日に駅構内だけですが運転されていて、申込めば体験乗車も出来るそうです。
参考:畑線キハ85動態保存会
http://www.akan.co.jp/kiha22.htm
現地へは下北駅から下北交通バスで行くことが出来ますが、今回は行程上無理があるのと目的自体が違うことからまたの機会と言うことにしておきました。
下北を出て少し広い構内が広がり大湊に到着です。


列車は駅本屋とは反対側のホームに到着したため頭端式ホームの最前部で折り返して改札口へと向かっていると先頭車の方は撮影会状態。
ここで一枚とって、さらに編成写真を一枚撮っておきました。

大湊で折り返して野辺地へ戻ることにします。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征2 IGRいわて銀河鉄道~青い森鉄道 
2008/01/18 Fri. 23:22 [edit]

前回は花輪線乗り通しのためにいわて銀河鉄道の改札口を通りましたが、今回はその路線を乗り通すために改札口を通ります。
三連休パスはJR東日本全線は勿論、優等列車の直通運転が行われている伊豆急行・北越急行と今回乗車するIGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道も乗り降り自由となっています。
後者の2路線は18きっぷでは乗れないので、三連休パスが使えるこのタイミングで乗っておくことにします。
ここで乗車する八戸行きは8:55発。
乗り場にたどり着いたときはまだ入線しておらず寒い中しばらく待つことに・・・。

8:50分頃にようやく到着。
車両はJR東日本701系の同型車のIGR7000系ですが、乗車した写真の車両は千鳥配置でクロスシートが配されているグループで並行在来線になったときに投入された新造車グループ。
IGRにはこの車両の他にJR東日本から譲渡された同型車があり、こちらはロングシートとなっています。

狙いすましたようにボックスシートの1区画確保して八戸までゆっくり構えることが出来ます。
定刻通り盛岡を出発。
時間帯がピークを越えたころということで40pほどとガラガラと言うほどではないがと言ったところ。
しばらくは岩手山を左手に見ながら北上します。

好摩で花輪線と分かれます。

右手の北上高地側から東北新幹線がトンネルから飛び出してIGRの並走してほどなくするといわて沼宮内到着。
丁度バスと接続する形となっていましたが、数名ほど入れ替わった程度。

いわて沼宮内を出て国道4号線と並走しながら東北新幹線を2回アンダークロスし同線と別れた後は十三本木峠越え。
電車にとれば急勾配ではないものの貨物列車にとれば急勾配の類する区間を駆け抜けるのですが、直線区間が無く延々とうねうねと進むという感じ。
峠を越えると二戸に向かって一気に下っていきますが、この間に青い森鉄道の701系とすれ違ったものの当然撮れませんでした。

左手に東北新幹線が地上で並走して二戸に到着。
この辺りは北上高地の北端に近い場所ですが周辺は盆地の中にあるという感じで山に囲まれた市街地という感じです。
金田一温泉はIGRの岩手県側の最北端で隣の目時が青い森鉄道との境界線となっています。
県境を越えて青い森鉄道との境界駅である目時は何の変哲のない無人駅。
(境界線は同駅の中間に位置していますが、駅の管轄自体は青い森鉄道となっています)

目時を過ぎて青森県側は10時を過ぎた頃でしたが、八戸に向かう流れが強く各駅でちょこちょこと乗ってきて最終的に80pほどに達します。
左手から近づいてきた東北新幹線とアンダークロスし暫くして並走すると八戸はもうすぐと言う段になって停止信号に引っかかります。
どうやら配線の関係で上りの貨物列車が八戸駅構内を通過しないと入線できないようです。

大阪から14時間が経過してようやく八戸に到着しました。

お次は大湊線乗り通しです。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月22日~11月23日 三連休パスで巡る雪の北東北遠征1 盛岡へ 
2008/01/17 Thu. 23:59 [edit]
出発前日まで東北地方が大雪に見舞われたことから心配してましたが、予報によるとは当日朝には回復し、運行情報調べで行程には影響がない事が判明したことから遠征決行!
東京までは新大阪からのぞみ56号に乗り、名古屋からムーンライトながら号に乗り継ぎ事にしました。
これは10月の遠征と同じ理由で「現地での有効時間確保目的で、はやて71号に乗るため」


名古屋でムーンライトながら号を待っていると「ドクター東海」ことキヤ95系が入線。
そう滅多に遭遇できない車両であることからアイコンショットだけですが撮っておきました。

ドクター東海が去った後にムーンライトながら号が入線。
前回の北東北遠征では接続列車の遅れで10分ほど延発しましたが、今回は定刻通りに出発しました。
ここから川崎辺りまでは寝るつもりだったのですが、相席された方と世間話が弾み降車される豊橋まで続きました。
その会話中「下手にこの列車(ムーンライトながら)があるからついつい利用してしまう」とのことで最終のライナー代わりとしてはもってこいのようで、静岡辺りまで入れ替りが見られました。

日付が変わり23日早朝の東京駅は寒かった・・・。
ここから6:00発の東北新幹線に乗換えで、今回は盛岡までと言うことで前回の「こまち71号」ではなく相方である「はやて71号」を指定。



本日は満席であるはやて71号は大宮での乗り込みで満席と連休初日通りの状況。
那須塩原を過ぎて福島県にはいるうっすらと雪化粧となったもののそれも山間部だけで盆地内の中心部はすっかり溶けていました。
仙台も似たようなものでしたが、岩手県に入った途端に車窓が一変し一面雪化粧。
そして足下では雪をはねているようでカンカンと鳴り響いていましたが、思っている以上に大きく「そりゃ車体の構造もそうなるしかないな~」と改めて思った次第でした。

2時間38分で盛岡に到着。
列車はここで切り離されてそれぞれ秋田と八戸へ向かうのですが、並行在来線であるIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道を乗り通すためここで降車します。

一月ぶりに降立った盛岡は雪が降ったものの溶けてしまったようで、盆地でも標高が低いところに位置するこの場所は大した降雪がなかったようです。
→次に続く。
category: 東北地方遠征
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征8 帰阪 
2008/01/16 Wed. 22:16 [edit]

床下体験の後、50周年記念ラッピングが施された5050形を撮影。
これで藤が丘工場の予定を終了とし、東山線に乗り名駅へ戻ります。

▲万博開催期間中は乗車待ちの滞留ペースであった場所で現在はCSとなっています。
リニモののりばはこの真下に位置しています。
復路は近鉄特急で。
早朝乱れていたダイヤはすっかり回復しているようで、定刻で運行されていました。
タイミング的に名阪甲特急に乗れないことから近鉄名古屋から賢島行き名伊乙特急に乗り伊勢中川で阪伊乙特急に乗り換えることにしました。
近鉄特急は伊勢中川や大和八木・橿原神宮前などの乗換えで2列車以上利用の場合で各列車の乗換え時間が30分以内であれば、通しの特急料金で計算される制度が導入されています。


近鉄名古屋から乗った名伊乙特急は23000系「伊勢志摩ライナー」
この車両で体験していないのはサロンシートだけですが、独り身の私には一生無理ですね・・・。

伊勢中川から阪伊乙特急難波行きに乗換え。
近鉄特急の特急券の発券システムは乗り継ぎの場合、出来るだけ同一座席になるように配慮されていることから端から端に移動するようなこと無しに最小限の移動で乗り換えることが出来ます。
#Wikipediaの乗り継ぎ料金制度→近畿日本鉄道の節を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/乗り継ぎ料金制度#.E8.BF.91.E7.95.BF.E6.97.A5.E6.9C.AC.E9.89.84.E9.81.93

写真はありませんが、車両は12410系「サニーカー」
サニーカー3形式の中は2番目に登場した車両で、サニーカーで唯一3両編成で登場し後年4両編成かされた車両です。
自宅に帰ったのは18時頃。
日帰り強行軍であった名古屋プチ遠征はこれで終わりとします。
#「2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征」おわり
category: 鉄道イベントなお出かけ
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征7 藤が丘工場のイベント・その3 
2008/01/15 Tue. 23:10 [edit]

N1000形を見た後は検査ピットに停まっている車両の床下を見ることにしました。
ここでは5000形を使用して行われていました。
工場棟の出口側にある車輪旋盤装置。
車輪をレールが接触する面である踏面を削るのですが、鉄道車両の車輪は真円にしてしまうと駆動力が伝わらず空転することから実際は正多角形になるように削られるそうです。

床下体験の待ち列が長いので、その間外から見える機器が紹介されています。

▲集電靴が取り付けられている動台車NT-10形台車
日本車輌製でメーカー型式はND-313形

▲空気圧縮装置
型式は分りませんでしたが銘板によると三菱電機製のようです。
ようやく床下体験の入口まで到着。
用意されたヘルメットを被り検査ピットの下の潜ります。



▲床下の取り付けられている警笛
写真は空気笛やタイホーンと呼ばれるもの。

▲従台車の車輪と車軸に取り付けられているブレーキディスク

▲5000形の主電動機
写真は三菱電機製MB-3255-A2形
電動機の書かれている「5503-4」は5503号車の4軸目であると読み取れます。
この先で検査ピットから出て床下体験終了です。
→次に続く。
category: 鉄道イベントなお出かけ
週末日記 2008年1月14日 
2008/01/14 Mon. 23:15 [edit]

14日は祭日であることから仕事お休みと言うことで、13日に引き続き広島にいました。
この日は厳島(宮島)へ渡り、厳島神社を巡って弥山(みせん)を登ってきました。
#宮島は通称で正式には厳島というのだそうです。
朝は9時頃のチェックアウトして広島駅で荷物を預けて身軽になり、広電に乗って宮島口へ向かいました。
当日は成人式と言うことで、それに参加するであろう人たちが商工センター入口駅ドッと降りていきました。
宮島口からは広電グループの宮島松大汽船に乗船して厳島へと渡ります。

厳島(宮島)へ渡るは2002年8月にJR西日本の宮島航路を利用して来訪したとき以来で、その時は厳島神社には入らずそのまま折り返して行きましたが、今回は実質フリーと言うこともあって観光ベースとしました。
まずは厳島神社へ。
社殿の殆どが海上の浅瀬に立っているのが特徴で、もっとも知られている大鳥居は自らの重みだけで建っているのだそうですが、独特の工法により台風などでもビクともしないのだそうです。


厳島神社のあとは弥山へ。
紅葉谷から宮島ロープウエーを2本乗り継いで行くのですが、ロープウエーの終点は弥山山頂ではなく離れた場所にある獅子岩までで、そこからは山道を延々と歩かないといけません。


しかも標高400m程ある獅子岩と531mの弥山山頂までには紅葉谷へ行く道との分岐点まで一度降りてから一気に登って行く縦走というもので私の足でも20分掛けて登ってきました。
弥山山頂の展望台からの眺めは良いものですが、あの急な道を20分というのは流石にきつかったです・・・。

麓に降りて広島市内へもどり、小網町・天満町・西広島で乗り降りしながら撮影をしていき、福島町から猿猴橋町まで乗り通し、最後は車両の写真撮影と言う流れで進みます。
小網町は広電で唯一安全地帯がない電停で、自動車が通るには十分な幅があるのですが、ここに複線の軌道を通しているため設置できないようです。
こういった例は土佐電の旧朝倉街道を通る区間や豊鉄東田本線の東田と競輪場前にも見られます。

広島駅に戻り軽く食事をとった後、のぞみ74号で帰阪しました。
category: 日記
週末日記 2008年1月13日 
2008/01/13 Sun. 21:00 [edit]
この週末は3連休であるところも多いかもしれませんが、今週の私は土曜がお仕事なので日曜と祭日である月曜の2日間だけ・・・。
しかも仕事の需給の関係から3月までの連休が今週末と2月の中旬の2回だけで、残りは全て日曜日だけしか休みがなく、手持ちの連休を活用してゆくしかありません。
と言うことで13日~14日を広電の乗り歩きということにしました。
広電自体は半日もあれば乗りつぶせるのですが、車両の形式だけでも多いことから車両撮影や広島近辺の観光もかねてこの2日間を利用することにしました。
朝はゆっくりしたいと言うこともあり、12日の夜に現地入りし、当日であるこの日は8:30頃に広電の沿線にあるホテルから出発しました。

先に日治山下経由の5号線で広島港へ向かい、折り返し紙屋町経由の1号線で八丁堀へ向かいました。
海岸通から元宇品口付近は広島南道路の建設により軌道の移設が行われて、一部真新しい軌道をなっていましたが、元宇品口電停は案内表示などの整備が終わっていないようす。
広島港はフェリーターミナルである広島港宇品旅客ターミナルの建物と一体になるように大屋根に覆われた大きな停留所となっています。

広島港から乗った紙屋町・八丁堀経由1号線の車両は最新鋭の5100形「Green mover max」
当日の午後に乗ったシーメンスのコンビーノ・シリーズの一つである5000形「GREEN MOVER」と比べると通路の幅こそ広いものの通路中央にスタンションポールが出入口に位置していることが、若干の問題を抱えているようです。

八丁堀から直通運転が主体の広電の中で唯一独立した運転系統の路線である9号線白島線へ。

白島から北または西へ延伸させる構想があるものの、言いだしっぺである広島商工会議所が2007年にそれまでとは一転して廃止を提言、広島市が存続を意思表明し広電も市の以降に沿うということが地元メディアに取りあがられたことのある路線。
実際に乗ったところ、4人だけでどうなんかなと思ったのですが、逆方向の八丁堀行きは20人ほど乗っており、昼間は両方向とももっと乗っている感じでした。
白島からアストラムラインの城北まで歩いて、そこから県庁まで移動。
県庁から地下街を経て紙屋町西から7号線に乗り横川駅へ。

横川は2面2線の頭端式で電停の大屋根はJR横川駅南口まで覆っていて雨にぬれずに乗り換え出来るようになっています。

横川駅から横川線~江波線直通の8号線に乗り江波へ。
広電の江波車庫がある江波電停は乗降分離となっていて、乗車側には屋根があり後者側は屋根がないが車庫のある南側の先に駐輪場が用意されています。

暇ついでに江波皿山公園にある江波皿山に登り、眼下に見える江波車庫を一望できます。

再び広電に乗り8号線で一旦紙屋町へ戻り昼食をはさみ再び広電に乗り広島駅へ。
広島駅から折り返し2号線宮島線直通に乗って残っていた未乗区間である広電西広島~広電宮島口を一気に片付けました。

宮島口から宮島へ渡ってしまっても良かったのですが、夕方になっていたことから阿品東・廿日市市役所で撮影のため降車しつつ広島市内へ戻りこの日は終了。


明日は適当に広島近辺を巡ってこようかなと思ってます。
category: 日記
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征6 藤が丘工場のイベント・その2 
2008/01/12 Sat. 19:48 [edit]
5000型を置き換えるを目的として製作された車両で、バリアフリー対応のほか足回りも現在最新のものが導入されています。
前面はこれまでとは対照的にスクエアーなデザインとなっていて、以前の車両よりスリムな印象を与えます。

以下は現地のイベントで撮影したものです。

▲インバータ装置と書かれています。
これは車両制御装置ではなく車両に必要な電圧などに変換するSIV(静止形インバータ)を意味しています。
写真の装置は東洋電機製(型式はRG4047-A-M)

▲自動列車制御装置(ATC装置)

▲車両制御装置は三菱電機製VVVFインバータ装置
(型式はMAP-088-60V179形)

▲集電靴が取り付けられている台車
写真の台車は日本車両製ND-740(動台車)

▲車内も公開されている先頭車の銘板
「N1101」で「2007年日本車両」と記されています。

▲車内には入れなかったものの公開されていた中間車の車内。
車内の状態からすると実際に搬入されて間がないのが分かります。

▲ドア間の座席は7人がけ
座席の支持は片持ち式で硬めの掛け心地。

▲ドアの鴨居部に取り付けられた車内案内表示装置。
各車千鳥配置で3ヶ所あります。

▲N1000形の運転台
マスコン(主幹制御器)は右手操作のワンハンドル
N1000形はその後各メディアに公開されたあと、今春の営業運転を目指し各種試験が行われる予定です。
→次に続く。
category: 鉄道イベントなお出かけ
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征5 藤が丘工場のイベント・その1 
2008/01/11 Fri. 22:47 [edit]
藤ヶ丘駅から徒歩で数分の場所にある藤が丘工場へ行くのは今回が初めてではないんです。
愛知万博が開催されていた当時、混雑するリニモを救済するべく藤が丘から長久手会場東ターミナルを結ぶ臨時シャトルバスに乗った際、藤が丘工場の敷地をのりばとしてつかわれていて、私はそれに乗ったことがあるからです。
(料金はリニモの藤が丘~万博会場=今の愛・地球博記念公園と同じでした)
さて入口はその前日に大阪市営地下鉄の緑木車庫のイベントで見たものと同じものが・・・。

いざ会場内へ入ると混んでますね~。
大阪市営地下鉄のイベントとは違い規模が大きいからでしょうね。

早速パンフレットを頂き目的のものを目指し中へ入ります。

まずは現役の車両で使用されている機器を。

▲5000形で使用されている主電動機
電機子チョッパ制御であることから直流直巻電動機(三菱電機製)

▲5050形で使われている主電動機
インバータ制御であることから交流誘導電動機(三菱電機製)

▲両形式で使われている電動機の紹介文

▲5050形で使われている冷房装置
写真は三菱電機製CU75R形

▲東山線・名城線で使われる集電装置
お次は車体の吊り上げ。
イベントによっては時間の都合で一部省略されることもあるのですが、ここでのイベントでは一連作業の最初から最後まで実演されていました。

▲実際に吊り上げられているのは5000形の先頭車
さて次回は注目のN1000形を見ることにします。
→次に続く。
category: 鉄道イベントなお出かけ
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征4 秋のモリコロパークへ・その2 
2008/01/10 Thu. 23:54 [edit]
この休憩所は長久手愛知県館・長久手会場愛知県管理棟として使われていたのを愛・地球博記念公園の整備に際し休憩所として再利用したもので、万博当時の派手な外装が取り払われて簡素なものとなっています。

こいの池伝いにアイススケート場と温水プールの建物へ移動。
丁度中程に来た当たりで良い雰囲気やなと思い撮っておいたショットが下の写真。

反対側は先程通った西駐車場方面ですが、こいの池の側から見ると日本の塔「月」だけがポツンとある感じです。
日本の塔周辺は近いうちに植栽が行われるようで、来訪時はそれに向けて整備中であり、何回か通路が変わっているように見受けられました。

反対の東側にまわりました。
ここから北側に高さ15m・全長150mの超大型緑化壁「バイオ・ラング」と天空鎮守の森があったのですが、閉幕後は撤去されました。
ただし、バイオラング自体は一部が名古屋市内の鶴舞公園緑化センターに残されているほか、第3期オープンに開設される「地球市民交流センター(仮称)」の緑化壁として設置されるとのことです。

エレベーターのエントランスから大芝生広場の周辺を俯瞰。
万博期間中は愛・地球広場ですが、公園として再整備後もほぼそのままと言ったところです。

▲大芝生広場を俯瞰したところ
写真中央が大芝生広場でその手前がはす池、一番手前は飲食店があった跡地

▲先程の写真から左手にポイントを変えたところ。
グローバル・ループは写真中央を右から左を回り込むように通っていました。
時間も11:00を回ったので、モリコロパークをあとにしてリニモに乗ることにしました。
のりばに上がると旧企業パビリオンの跡地が俯瞰出来ることから待っている間に撮っておきました。

▲愛・地球博記念公園駅から撮影したもの。
企業パビリオンゾーンBは写真中央右の更地にあった。
左側に盛土されている場所には東ゲートを結ぶ北回廊があった
さて、藤が丘行きがやってくるまでの10分近くはベンチで待ったいたのですが、のりばの端に「スズメバチに注意」と言う張り紙がありました。
どうやら公園内かその周辺に巣を作っているらしく、大芝生広場を俯瞰した写真を撮影したときも飛び回っているのを見ました。
また、リニモののりばはホームドアがあるものの屋根付近は外部との仕切がないことからここからスズメバチが進入してきました。
何もしなければ襲われることはありませんが、分ってても怖いですね・・・。
やって来た藤が丘行きに乗りイベント会場へ向かいました。
→次に続く。
category: 愛知万博の足跡を巡るお出かけ
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征3 秋のモリコロパークへ・その1 
2008/01/09 Wed. 22:45 [edit]
本来は用無しでなのでいわゆる時間つぶしです。

来訪した時間帯は10:00前と開園して時間がそれほどたっていないせいかモリコロパークショップも開店が11:00と言うことで閉まったまま。
せっかく来たので、今回は万博期間中にあったIMTSのメッセ前停留所~西ゲート駅のルートを歩いてきました。
このルートは万博開催期間中にIMTSで1度通っただけなので、実際この場所を歩くのは初めてです。
元々愛知青少年公園時代に整備されたもので、北西入口(徒歩と自転車のみ)~こどものひろば~西駐車場を結んでいます。

▲IMTSは写真の左奥から右奥を通りました。
左手前が北西入口への道、正面にある建物は万博会場にした時から使用されていない御手洗い
こどものひろば周辺はそれほど手が加えられていなかったためそのままですが、水のエリアから西駐車場付近までは大きく再整備されることから来訪現在でも工事中で舗装されていないヶ所が至るところにありました。

▲西駐車場付近からこどものひろば方面を望む
万博開催期間中のグローバルコモン6の飲食店が入居して閉幕後も残されている円形の建物は第3期オープンに向けて整備される模様ですが、今回最も近い場所から撮影できたのでここに提示しておきます。
なお、この周辺は花の広場として整備されるそうです。

▲花の広場として整備される旧グローバルコモン6に唯一残された円い建物
西駐車場付近から撮影
その西駐車場ですが、今のところ全体の5分の2ほどが使用できる状態で、殆どは整備中と言ったところです。

→次に続く。
category: 愛知万博の足跡を巡るお出かけ
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征2 八草駅のモリゾーとキッコロ 
2008/01/08 Tue. 23:01 [edit]
名古屋から乗った中央線快速は313系3次車1600番台。
8時台と郊外へ向かうには若干早い時間帯であることから40p程度とそれほど混んでいるというわけで無く、名古屋行きの方は100p前後ですれ違うのをよそに高蔵寺へ向かいました。

高蔵寺から愛環線に乗り換えて八草へ向かいます。

愛知万博閉幕後は同系のみが線内運用で残っているほかJR中央線から211系や313系が乗り入れていますが、今回は線内完結列車と言うことで313系3000番台ベースの2000系でした。

高蔵寺出発時はガラガラでしたが、瀬戸市の乗り込みで40p程度となります。
山口付近では旧瀬戸会場にあった「天水皿n乗」が丘陵部の上にポツンと残されているのを見え、その丘陵部を貫くトンネルと抜けると八草に到着します。
6人ほどが降車し階段に吸い込まれて行くのですが、2年前には混雑していたのとは対照的に静かです。
リニモに乗り換える前にモリコロの石像がある事を事前に知り、その場所へ行ってきました。
その石像はかつて万博八草駅時代に西側の出口専用の仮設備があった辺りにあります。

まずは石像の全体。
如何せん滑らかに表現できるわけでないようですが、確かにもリゾートキッコロです。

この石像を寄贈したのは豊田石材工業協同組合だそうです。

雨が降ってきたので、撮影した後はすぐリニモに乗ることにしたのですが、近くの駐輪場の表示板に万博を思い起こさせるデザインが・・・。

八草駅に戻りリニモに乗るのですが、偶然「-6%号」に乗ることが出来ました。
「-6%号」はあいちエコチャレンジ21の一環としてラッピングされたものでマイナス6%に因んで第6編成にラッピングされています。

「-6%号」に乗り愛・地球博記念公園へ向かいました。
→次に続く。
category: 愛知万博の足跡を巡るお出かけ
2007年11月11日 モリコロパークと藤が丘工場を巡るプチ遠征1 思わぬ形でN700系初乗車! 
2008/01/07 Mon. 22:18 [edit]
今回はその詳細レポです。
今遠征の往復は近鉄特急を利用する予定だったのですが、高安駅構内で作業車が分岐器を通過中に脱線したことから、弥刀から河内国分が運転見合わせという事態に・・・。
幸い、弥刀は折り返し設備を有していることから上本町~弥刀では運転されていたのですが、弥刀行きの幕がないことからやって来た下り列車には手書きで「普通 弥刀行き」と張られていました。
同区間内に最寄り駅がある私としては一安心と言ったところですが、最も早い特急の運行が取り止めになる可能性があったことから急遽、新大阪へ向かい新幹線で名古屋へ向かうことにしました。
新大阪から乗ったのは7:16発のぞみ110号。

乗車案内表示には全席禁煙であるN700系が充てられていることから今回初めてN700系に乗ることになりました。

前面窓が随分小さいのが印象ですが、あまりかっこいいとは言い難いです・・・。

N700系であることを示す全席禁煙と記された指定席券。

早速車内に入ります。

▲N700系の普通車の車内

▲700系より大型化された背面テーブル

▲窓側に用意されているAC100Vコンセント

▲個別に調整できる吹き出し口

▲大型・カラー化された案内表示装置
座席の掛け心地は硬めですが、700系に比べれば若干柔らかい感じです。
このあと島原遠征でN700系のグリーン車にも乗ってますが、それはその時レポでお送りします。
名古屋到着は8:09。
イベント開始までにはまだ時間がかなりあることから、モリコロパークへ行くことにしました。
→次に続く。
category: 鉄道イベントなお出かけ
サイト更新情報 2008年1月6日 
2008/01/06 Sun. 23:50 [edit]
今回は鉄道写真館と万博来訪記を更新しています。
◆鉄道写真館◆
鉄道写真館は近鉄養老線と伊賀線がそれぞれ同社が出資する子会社である養老鉄道と伊賀鉄道に事業を引き継いだことから、近鉄写真館から近鉄グループ写真館に改題し、同時に同鉄道で使用される860系を追加しました。
その他はページレイアウトを現行バージョンに更新と主要諸元表などをしました。
◆伊賀鉄道860系 新規公開
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/igarail_860.html
◆近鉄 26000系 公開再開
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/26000.html
◆近鉄 30000系 公開再開
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/30000.html
◆近鉄 6400系・6620系グループ 新規公開
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/6400_6620.html
◆近鉄 3200系 ページレイアウト・概要文更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/3200.html
◆近鉄 5820系 ページレイアウト・概要文更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/5820.html
◆近鉄 9820系 ページレイアウト・概要文更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/9820.html
◆近鉄 9020系 ページレイアウト・概要文更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/kintetsu/9020.html
◆JR西日本 223系0番台・2500番台 ページレイアウト・概要文・主要諸元表更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/jrwest/ec_223_0_2500.html
◆JR西日本 321系 概要文・主要諸元表更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/jrwest/ec_321.html
◆東武鉄道 9000系グループ 概要文・主要諸元表更新
http://dkkawachi.web.fc2.com/rail_photograph/tobu-group/tobu_9000.html
◆万博来訪記◆
万博来訪記は遠征8回目(来場10回目)から最終遠征10回目(来場14回目~16回目)までの全てとグローバル・ハウスの記念品およびあとがきをアップしました。
今回はブログでは未公開だった写真の他、来場13回目分に未公開だった記事を一つ執筆して公開しました。
今回は更新したページが多いため各遠征別のページのリンクを置いておきます。
また、今回の更新で2006年から取り掛かった万博来訪記の再編集・サイト化は基本的に完了しました。
◆遠征8回目(2005年9月10日~9月11日 今回はVol3以降全て)
http://dkkawachi.web.fc2.com/visit_expo2005/20050910_11.html
◆遠征9回目(2005年9月18日~9月19日)
http://dkkawachi.web.fc2.com/visit_expo2005/20050918_19.html
◆遠征10回目(2005年9月23日~9月25日)
http://dkkawachi.web.fc2.com/visit_expo2005/20050923_25.html
◆閉幕日の記念品の中身は?「グローバル・ハウスからの記念品」
http://dkkawachi.web.fc2.com/visit_expo2005/report/souvenir.html
◆あとがき(来場時の主な記録)
http://dkkawachi.web.fc2.com/visit_expo2005/report/expo_postscript.html
以上です。
category: サイト更新情報とお知らせ
週末日記 2008年1月5日~1月6日 
2008/01/06 Sun. 22:56 [edit]
5日は元々仕事休みだったのですが、諸般の事情で午前中だけ職場へ出向いてきました。
仕事を済ませて13時頃に帰宅。
昼食を挟み、午後からはでんでんタウンに行く序でに近鉄バス布施線(徳庵系統)への乗車とおおさか東線関連で放出駅の工事の様子を見てきました。
布施線の徳庵系統は八戸ノ里駅の北側にある御厨(みくりや)の辺りから枝切街道(府道15号八尾茨木線線)を通り楠根地区を経て徳庵へ進むのですが、ルート上の主要道路以外は至る所が隘路であることから、大型のブルーリボンなどが入れず、若干幅の狭い中型車である日野レインボーが主に使われています。
こういった路線ならリエッセ程度のマイクロバスクラスが導入されそうですが、十数人程度の利用が常時見られることから、中型車がメインで使われているようです。
実際の利用状況は小阪と八戸ノ里駅から終点の徳庵停留所まで乗り通し利用が見られます。
終点の徳庵停留所は住宅街に囲まれた狭い場所で、方向転換できないことから停留所には回転台が設けられています。

また、学研都市線の徳庵駅がここから徒歩10分弱の距離(500m)の場所にあるのですが、古くから市街地が形成された徳庵駅周辺は道路が狭く、駅前も細い路地に面している上に店舗や住宅が迫っていることから、周辺一帯の再開発事業による区画整理が行われない限り乗り入れが困難であるようです。
徳庵から学研都市線に乗り放出へ。
切替工事も済んで基本的な工事が終わっていることから、確認も兼ねて見てくることにしました。
用意されている引き上げ線は久宝寺と同じ1線のみですが、こちらは新大阪までの区間が開業したときにもう1線敷設できるようになっています。


撮影して戻ってくると、丁度おおさか東線の試運転を終えた223系2000番台が車庫へ引き上げる様子。
Wパンタの223系は撮ったことがなかったので、ここで撮っておきました。

▲おおさか東線の試運転を終えて宮原へ引き上げる223系2000番台
非常扉の窓端に記されている編成番号は「MA05」となっています
放出から大阪天満宮乗換えで日本橋へ向かい、KawachiPC4号機の増設用メモリーを購入。
当時だったら高かったであろうメモリーも1万円以下で買えてしまう時代になったのですね・・・。
帰宅後、PC購入時に差した512MBのメモリー2枚を抜き、1GBのメモリー2枚に差替えました。
タワー型PCの底面にあるため差替えが大変でしたが、これでメモリー不足からは解消されそうです。

■2008年1月6日(日)
6日は外に出ることはなく年末から続けていたローカルサイトをアップする作業をしていました。
長らく残っていた万博来訪記の残り全てをFC2のサーバーに一括アップしたことから全ファイルのアップを完了させるのに2時間かかりました。
これについては稿を改めて触れることにします。
今回更新分のページをアップ後は次回更新に向けて新たにページの作成を進めてこの日は過ぎていきました。
来週末はお出かけしようかと考えているのですが、仕事状況が厳しくなってきそうなのでギリギリまで確定できなさそうであるものの、基本の行程だけは決めておきたいところです。
今回は18きっぷが手元にないので、広島で広電乗りつぶしと車両写真撮影かホリデーパスを使って関東圏の未乗区間の乗りつぶしをするかぐらいですね。
category: 日記