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- 2009/05/02 黄金週間日記 2009年5月2日
週末日記 2009年5月31日 
2009/05/31 Sun. 23:19 [edit]
5月最後の週末は日曜日だけ。
この日は阪神・神鉄・山陽の工事・施設確認と車両の撮影のお出かけをしてきました。

まずは阪神本線の武庫川~甲子園の連立事業を。
阪神本線の西宮市域では立体交差されていない区間※1で、昨年辺りから仮線を設けるための工事が着手されていました。
当日は仮線工事の進捗状況を確認するため武庫川から甲子園まで徒歩で確認。

甲子園まで歩いた後は編成写真の撮影。
ここでは1000系・9000系・8000系の赤銅車3本のみ。



甲子園から新開地経由で神鉄に乗り換えて長田へ。
六甲山系の斜面に面した神鉄の長田は前後を急勾配に挟まれています。

この近くにある房王子踏切から神鉄の車両を撮影。
今回はサイトの素材として使用するため神鉄最急勾配の50パーミルの勾配標を絡めて撮りました。

新開地へ戻り、新開地~山陽須磨までの区間をちょっと検証してみました。
現行の阪神なんば線での実績を踏まえながら現地で見立てる限りでは、須磨寺~山陽須磨の急曲線がネックになりそうですが、それ以外は大きな問題は無さそうです。
その途中、高速長田では東改札口新たに設けられることになり、梅田・神戸方には階段とエレベーターを新設されるのですが、既存のホームにドンと設けるのではないようです。

ここでは遊び的に8両編成の可否を見るための検証も・・・。
震災後に地下化された板宿は拡張出来るようにスペースが用意されていますが、それ以外の新開地以西の各駅はもう一度開削しなければ8両化が難しい感じです。
東須磨で3000系のリニューアル車に遭遇。


設計的には一世代古くなった5000系グループが最新鋭である中、さらに古い3000系も何本かリニューアルされているようです。
首都圏では同年代の車両が置換えられていますが、関西地区ではまだ主力で活躍している方が多い感じですね。
2009年5月3日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅11 大井川鐵道大井川本線 
2009/05/30 Sat. 23:59 [edit]
大井川鐵道は大井川に沿って金谷~千頭の大井川本線、千頭~井川の井川線の2路線があるのですが、全線を往復するだけでも一日仕事ということで、初日の掛川城・駿府城と山中城への登城予定にこれを挟んで次第です。
予定は8時頃に静岡駅を出発する予定でしたが、混雑が予想されるのと井川ダム周辺を見るため6時過ぎに繰り上げて出発。
金谷に到着したのは7時過ぎ。
牧之原台地の中腹に位置する金谷は東海道線と大井川鐵道の駅があり、両者は寄り添うように位置しています。


改札口兼窓口で乗車券を購入。
大井川鐵道を全線往復するとなると6000円以上することから、今回は「大井川・アプトラインフリーきっぷ」を利用。

改札口は別々となっているものの乗換え用通路があり、東海道線側に簡易型の自動改札機が設けられています。
下の写真は大井川鐵道側から撮影してものですが、東海道線側も井川から戻ってきた時に撮っていますので、その時に提示します。

ホームは1面1線。
構内は機回し線がかつて存在していたそうですが、現在は撤去されています。
このため、SL急行は回送用および非常用の電気機関車がつながれています。


ホームは東海道線と一体化されていますが、柵で仕切られています。


金谷から千頭までは元南海21000系。
譲渡先となった大井川鐵道でも21000系の呼称を継承しています。

金谷を出ると暫くは東海道線を並走しながら牧之原台地を下りていきます。
東海道線を分れると大きくカーブして麓の市街地まで来ると北へ向きを変え、進行方向左手に新金谷車両区の車庫が見えると新金谷に到着。
ここで列車交換をしてさらに北上します。
代官町は島田市役所金谷庁舎があり、旧金谷町における行政の中心地となっています。
国道1号線(島田バイパス)をアンダークロスして、五和(ごか)を過ぎて市街地が途切れた辺りから大井川に沿って進みます。
大井川は基本的に蛇行するのですが、大井川本線は緩やかにカーブしながら北上します。

大井川から離れる辺りは茶園が多く見られます。
川根温泉笹間渡を過ぎると島田市から川根本町(かわねほんちょう)に入ります。
川根本町役場本庁舎に近い田野口ですが、町役場本庁舎は大井川を挟んだ対岸にあり、若干距離があります。

大井川を3回ほど渡って左手に側線が見えてくると千頭に到着です。

千頭からは南アルプスあぷとラインこと井川線に乗換えです。
→次に続く。
#2009.5.31 0:05 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅10 初日の宿 
2009/05/29 Fri. 20:46 [edit]
静岡駅北口前を通る国道1号線沿いに建てられた比較的新しいホテルです。

今回はシングルを予約。

標準的なセミダブルベットですが、目覚まし時計がベットにビルトインされているタイプではなく、家庭用のものが使用されています。

デスクトップ周り。

ゲストルーム入口周辺。

ユニットバスはビジネスホテルとしては標準的な広さ。

案内された部屋は南側であることから、静岡駅が見えます。

さて、この日登城した城のパンフレット類を・・・。
まずは掛川城。

こちらは掛川市二の丸美術館のもの。

チェックイン直前まで行っていた駿府城のもの。

ここで一泊して翌日は大井川鐵道の乗りつぶしです。
→次に続く。
#2009.5.30 1:35 LastUpdate
category: 東海地方遠征
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅9 駿府城・その3 
2009/05/28 Thu. 23:59 [edit]

紅葉山庭園付近にある銀座の柳。
現在のものは2代目だそうです。

二の丸水路は二の丸堀と本丸堀を結ぶ水路で、底を石で敷詰めたこの水路は本丸堀の水位を保つため使われています。



本丸堀は陸軍歩兵第三十四連隊を誘致するため、全て埋められたのですが戦後の発掘調査により、東御門付近と写真の二の丸水路と合流地点にものが復元されています。

紅葉山庭園は二の丸御殿と台所跡を利用して整備された庭園で、築城当時からのものではなく駿府公園の再整備の一環として造られたものだそうです。

二の丸堀北側にある北御門跡。
現在は石垣のみ残されています。

北御門側から紅葉山庭園と本丸跡を撮影したもの。
元々正面には本丸堀がありましたが、埋め立てられたため現在も更地同然となっています。

本丸中央付近にあるミカンの木は家康手植えのミカンで、紀州から献上された紀州ミカンの一種で現地ではホンミカンと呼ばれています。
ここにあるミカンの木はミカンの起源を探る手がかりとも言われていることから、県指定の天然記念物に指定されています。

この近くには徳川家康像があり、駿府公園にある家康像は征夷大将軍と辞した大御所時代の家康で、鷹狩りとしている姿だそうです。

本丸北西側に天守があったのですが、家康没後に焼失。
その後再建されることなく廃城とされ、現在は更地となっています。

本丸へ通じる御玄関前御門跡を中心に回廊広場が整備されていて、ここには花壇が設けられています。

駿府城レポはこれで終了。
静岡駅前の宿へ向かいます。
→次に続く。
#2009.5.30 1:25 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅8 駿府城・その2 
2009/05/27 Wed. 23:33 [edit]
駿府城の東御門は中堀である二の丸堀に架かる東御門橋、高麗門、櫓門、そして南西側に棟続きで連なる多聞櫓で構成された枡形門とよばれるものだそうです。
まずは二の丸側から見る東御門櫓門北面。

続いて同じ櫓門南面。
櫓門から連なる建物は多聞櫓で、写真のようにL字型に城壁を設け、空いている二辺は城門を設けて、城内にはいるのに2つの門を通る必要あるものを枡形門呼び、上部から見ると枡(ます)の形になることがそう呼ばれているようです。
#下の写真は高麗門側、櫓門側の順で提示。


東御門の外側の門である高麗門。

高麗門の手前は東御門橋が架かっています。

▲東御門で最も外側にある高麗門と東御門橋。
写真右側から高麗門と東御門橋、多聞櫓、巽櫓

▲東御門橋が架かる二の丸堀(中堀)
再び城内へ戻り二の丸跡や天守跡などを見てきます。
→次に続く。
#2009.5.29 22:35 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅7 駿府城・その1 
2009/05/26 Tue. 22:55 [edit]
ここへ降立つのは2年ぶりです。

ここでは駿府城跡へ向かいます。
現在は駿府公園として整備されているそうで、静岡駅からは徒歩で15分~20分ほどの距離にあります。

駿府公園周辺は静岡県庁や静岡市葵区役所があり、昔も今も行政の中心地で有ることには変わりありません。

駿府公園内へと足を進めます。

公園内は一部整備工事が行われているようで、上の写真の門跡のすぐ側らはフェンスで囲われていました。


駿府城には外堀・中堀・内堀で構成された三重の堀がありましたが、現在は外堀の全てを内堀の大半が埋められて、ほぼ完全な形で現存するのは中堀だけとなっています。
写真は現存する内堀(本丸堀)から見る静岡県庁です。

本丸堀の東側に復元された東御門・巽櫓があります。
写真は東御門側から撮影したもの。


ゲットしたパンフレットによると現在の東御門は1996年に巽櫓は1989年にそれぞれ復元されたそうです。

内部は一般公開されていることから入場券を購入して内部へ入ります。
入場券は単独観覧の他に紅葉山庭園のセット観覧もあるのですが、今回は紅葉山庭園がタイムリミットだったため東御門・巽櫓の単独観覧のみ。

撮影は出来なかったので、大まかな内容を言うと駿府城に関わる資料や静岡県内の特産品などの紹介がメインです。

次は東御門と巽櫓を外から見てみます。
→次に続く
#2009.5.28 1:25 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅6 編成写真をゲットしながら静岡へ 
2009/05/25 Mon. 23:59 [edit]
掛川から211系普通電車に乗車。
午前中と同じく3両編成の車内は100p~120p程度の混み具合、牧ノ原台地を越える区間は少し前まで毎時4本設定されていたのですが、近年は毎時3本に減便されています。
朝と夕方以降は5~6両に増車されるため大きな影響が見られないのですが、データイムは3両がデフォルトなのでGWや行楽シーズンで利用が多い時期には混んでしまっているようです。
牧ノ原台地と大井川を越えて島田に到着。
ここで見る限りでは入れ替りがあるようで、各拠点間の移動も見られるようか印象です。

島田は2面3線で、本線側は島式1面2線で折り返し用1面1線となっています。
また、側線も有しており、夜間の車両留置なども行われています。


島田からは折り返しの静岡行き。
静岡地区の313系では主力の3両編成で、写真の車両は回生ブレーキのみの2500番台。

島田折り返しの列車は浜松側からの利用の流れを受けないことから、車内はガラガラ。
しかし、焼津辺りまで来ると席が埋まってしまいます。
安倍川で降車。

国鉄末期に新設された安倍川駅は同時期に建設された静岡地区の駅と同じ構造で2面2線。

ここで編成写真の撮影。
まずは313系2000番代グループの2両編成である2300番台。
写真の先頭の編成内にあるWパンタは2350番台。

▲313系2300番台(2350番台)
続いて211系6000番台。
211系5000番台の2両編成版で、213系5000番台と同じ1M方式を採用した車両。

▲211系6000番台
安倍川での最後は211系5000番台。
写真の編成は大垣車両区から転籍したLL編成。

▲211系5000番台
安倍川から静岡へ移動。

ここで停車中の313系2500番台の編成写真を撮影。

▲313系2500番台
このあとは駿府城へ向かいます。
→次に続く
#2009.5.28 0:55 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅5 掛川城・その4 
2009/05/24 Sun. 19:22 [edit]
二の丸御殿に東側にあるはす池は主郭部を守る要害として役割を果たしたとされています。

▲はす池
掛川上の北側には竹の丸跡があり当時は侍屋敷でしたが、明治初期に豪商の松本家に売却されて松本家の邸宅として利用されていました。
後に掛川市の所有となったあとは柔道・弓道の練習場などになっていたものの、観光施設などに利用することを目的に2007年頃から改修工事が行われていました。
参考:掛川城竹の丸改修工事(渡邊商店)
http://www.watanabe-shoten.co.jp/blog/2007/10/post_70.php

▲改修工事中の竹の丸跡
逆川をわたって復元された大手門へやって来ました。
現在の大手門は区画整理の関係上、当時の場所では復元することが出来ず、番所との位置関係をそのままに50m北の場所で復元されたそうです。

▲正面から見た掛川城大手門

▲裏側から見た大手門と大手門番所の位置関係。
大手門番所は明治初期の廃城により、元静岡藩士谷庄右衛門が居宅用として譲り受け移築されたのですが、1978年に谷家から掛川市へ寄贈されました。
当時の絵図面と区画整理事業における発掘調査から復元された大手門と共に現在の場所に移築されています。

▲掛川城大手門番所
二層式の櫓門である掛川城の大手門は大きく重量のある建造物であることから、傾斜しないよう基礎工事には工夫が成されています。
門の基礎部分は礎石根固め石で、写真のものは発掘調査により掘り出されたものの一部です。

▲掛川城大手門礎石根固め石
これで掛川城観覧は終了。
次は駿府城目指して静岡へ移動します。
→次に続く。
#2009.5.28 0:20 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅4 掛川城・その3 
2009/05/23 Sat. 23:59 [edit]
二ノ丸には二ノ丸御殿の他に美術館と茶室があります。

天守台から下りて中程にある腰曲輪跡を通り、城壁の脇から二ノ丸へ下りていきます。
腰曲輪は天守台と十露盤堀の間にある曲輪で当時は2つの櫓と井戸があったのですが、明治中期に十露盤堀を埋め立てた時に削られたとされています。

下の二ノ丸跡ではイベントに合わせて茶会が催される様子で、一部が埋め立てられた十露盤堀跡を利用して簡易テントなどが用意されていました。

茶室はその北側にあり、入館料はお茶と茶菓子付きで大人500円・中学生以下は250円となっています。

茶室の隣には掛川市二ノ丸美術館があります。
当日は「伝統版画300年の奇蹟 牧野宗則展」が催されていました。
牧野宗則氏は静岡県出身の木版画家で、主に錦絵と呼ばれる浮世絵版画とその技術を用いた創作木版画を世に出していて、二ノ丸美術館には代表的な作品が展示されています。
一般的な浮世絵版画は各工程を分業する形で制作されるそうなのですが、牧野氏はこれらを全行程を一人で手がけるそうです。
現在もご存命で、近年は木版画の技術を用いたブロックアートも手がけていて、今回の展示品にも前期後期8作品が展示されています。
・参考:Bunkamura(東京・道玄坂)のインタビュー記事
http://www.bunkamura.co.jp/gallery/061110makino/interview.html


続いて二ノ丸御殿へ。

現存する二ノ丸御殿は1861年に再建されたもので、北側の一部以外は当時のまま残されています。
このことから重要文化財に指定されています。
内部の一部は掛川城に関わるものが展示されています。


お次は市街地に大手門などを見てきます。
→次に続く。
#2009.5.24 1:25 Update
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅3 掛川城・その2 
2009/05/22 Fri. 23:59 [edit]




券売所の反対側には天守台があります。
正面の石段を登って天守台の上へ向かいます。

石段は一見登りやすそうにも思えますが、実際は本丸広場側の石段が形が歪で段差が大きいことから、意外と登りにくかったです。

冠木門をくぐると天守にたどり着きます。

冠木門から入ってすぐ左手にある霧噴き井戸。
かつて徳川軍に攻められた際、井戸から立ちこめた霧で掛川城が守られた伝説があります。

掛川城の天守は2度の倒壊にあったという記録があり、2度目の倒壊以降140年間は再建されることなく天守台がそのまま残されていました。
現在の天守は1994年に再建されたもので、木造で再建されたものとしては戦後初の天守だそうです。

早速、天守内部へ。
再建された天守は戦後復興で再建された鉄筋コンクリート造りの天守とは異なり、絵図面などを参考にほぼ忠実に復元されたため、上階への階段は丸岡城ほどではありませんでしたが急でした。
最上階へ登って掛川市街地の俯瞰写真の撮影です。

▲南側
掛川市の中心部と掛川駅が見えます。

▲東側
国内有数の大茶園地帯である牧之原台地があり、空気が澄んだ冬期には富士山が拝めることが出出来ます。

▲西側
掛川市西部を一望出来ます。
お次は掛川市二ノ丸美術館と二ノ丸御殿へ向かいます。
→次に続く。
#2009.5.23 2:10 LastUpdate
2009年5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅2 掛川城・その1 
2009/05/21 Thu. 23:59 [edit]
この場所に降立つのは2005年4月末に天竜浜名湖鉄道で来訪した時以来4年ぶり。

今回はカメラバックと着替えやPCなどの携行品が入った大きな旅行鞄の2つを抱えていたのですが、掛川城へはカメラバックのみ持って行くためコインロッカーを探そうと思ったのですが、在来線・天浜線側の北口にはなく、新幹線側の南口のコンコース内にあることから地下の自由通路を通って南口へ。

鞄を南口のコインロッカーに預けて、再び自由通路を通り掛川城へ向かいます。
北口正面向かって東側の通りを北上、天然の要害である逆川に架かる緑橋を渡ると掛川城の敷地へ入ります。

緑橋を渡ると右手に三の丸跡があり、来訪当日は毎年も開催されているイベントが催されていました。
反対側は四足門があり、天守や二ノ丸御殿へはここがメインとなっているようです。



四足門をくぐってすぐの場所にある掛川城の模型。

四足門の北側に位置する三日月堀。


三日月堀と天守台に挟まれた場所にある十露盤堀(そろばんほり)

四足門の奥にある本丸門跡。
ここを通ると本丸跡と入館券発売所があります。

入館券は天守+二ノ丸御殿の掛川城単独と敷地内にある掛川市二ノ丸美術館を加えたセット券の2種類。

可能な限り見ると言うことで、ここではセット券を。

お次は掛川城の天守へ向かいます。
#2009.5.22 0:45 LastUpdate
2009年5月1日~5月2日 日本100名城と未乗路線を巡る東海道の旅1 掛川へ 
2009/05/20 Wed. 22:21 [edit]
今回は乗りつぶしの路線が4つだけと残りを名城めぐりに充てたこともあって、これまでの遠征とは違い観光的要素が半分を占めるような行程となっています。
また、今回の往路は途中下車が多く新幹線での移動だと何かとお金が掛ることから、前日入りする名古屋までは新幹線でそれ以東は在来線で移動することにしました。
さて、現地での活動の前日である5月1日に名古屋へ入ることにしたのですが、これは最初に行程を組んだ時に名古屋城や岡崎城を入れることを考えていたためです。
ところが実際に組むと静岡県内での行程が難しくなることもあり、名古屋周辺なら大阪からも近く、別にゴールデンウィークでなくても日程は割くことが出来ることもあって、名古屋から真っ直ぐ静岡県内へ行くことに変更したわけです。
実際には途中で編成写真の撮影も挟みましたので、駿府城がギリギリのタイミングでしたから、結果的には良かったかも知れません。
5月1日は名古屋入りのみで、この時は上り最終のぞみ98号。

明けて5月2日は名古屋から特別快速で浜松へ。
連休初日なのか?座席は満席で立ち客が出ている状態。
豊橋へ向けて空席が出始めたものの、豊橋であっという間に埋まってしまい、さらに立ち客まで出て100pという状態に戻ってしまいました。

▲写真は名古屋から乗ってきた車両ですが、浜松から折り返し大垣行きとなります。
浜松からオールロングの211系5000番台に乗り換えて掛川へ。
3両編成で、普段ならそこまで混んで無さそうなのですが、この日は旅行鞄を抱えた人も多く120pにまで達しました。
地元と思われる人の多くは豊田町や磐田での降車が目立ちました。

掛川で降車後は日本100名城の一つ掛川城へ向かいます。
→次に続く。
category: 東海地方遠征
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅10 
2009/05/19 Tue. 23:59 [edit]

本丸岡バスターミナルは1969年に廃駅となった京福電鉄本丸岡駅の跡地を利用したものです。

鉄道線があった当時は芦原温泉から本丸岡と永平寺口を経て永平寺までを結ぶ永平寺線と本丸岡から北陸本線丸岡駅を経由して現在のえちぜん鉄道三国芦原線の西長田駅までを結ぶ丸岡線の交点であり、跡地を利用したバスターミナルの規模からも想像出来ます。

洗車機が有る側が永平寺方面となり、その奥にはかつて鉄道線があったと思われる痕跡が・・・。

福井駅へ戻って、駅前整備事業と新幹線の高架橋建設工事が進められている東口の様子を確認。
2007年7月以来の来訪となる東口周辺は新幹線の高架橋が構築されたほか、整備中のロータリーももう一歩で完成という段階でした。

駅前の整備工事は本稿執筆時に調べたところ、連立事業も含めた福井駅周辺整備事業にともなう東西駅前広場拡張工事だそうです。


工事の進捗により、えちぜん鉄道の仮線と新幹線の高架橋の間に通路が設けられています。
そのえちぜん鉄道福井駅の脇では謎の建物が建てられています。

これで現地での活動はこれで終了。
福井からサンダーバード36号で帰阪し、今回の遠征を終えます。


■参考:福井駅周辺整備事業(福井県公式サイト)
・概要
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/tokei/ekisyuu.html
・工事状況一覧
http://www.pref.fukui.lg.jp/machi/machidukuri/cat0404/index.html
#「2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅」 おわり
category: 北陸地方遠征
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅9 
2009/05/18 Mon. 23:03 [edit]
まずは「霞ケ城」の由来となった井戸「雲の井」

天守台より一段低い場所にあるのが、本丸跡。
写真の民家のような建物は管理事務所で、この場所に観覧券の券売機と丸岡城のパンフレット置かれています。

本丸跡にある牛ヶ島石棺。
この石棺は丸岡地区の周辺にある御野山古墳から出土したもので、福井県内にある舟形石棺としては古い時期のものである言われています。

さて、現在の丸岡城周辺は霞ヶ城公園として整備されていて、園内には歴史民俗資料館があることから天守台から下りて見ました。

歴史民俗資料館は、主に丸岡城関連の資料などが展示されています。
展示物には丸岡城築城当初模型があり、これによると城の総構えが五角形で内堀も五角形だったそうですが、大正から昭和初期に掛けて埋められてしまいました。
現在は、その内堀を復元する計画もあるそうです。

公園の北東には観光案内所をかねた一筆啓上茶屋と駐車場があり、こちら側がメインの入口になっている感じです。

■参考
・坂井市公式サイト>観光案内>丸岡城
http://www.city.fukui-sakai.lg.jp/static/00000027/004/00000596.html
・丸岡城(ザ・登城 - 個人サイト)
http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-3-4-siro-MARUOKA.html
category: 北陸地方遠征
週末日記 2009年5月17日 
2009/05/17 Sun. 23:59 [edit]
17日はあいにくの雨。
しかも午後から雨脚が強くなった上に強風ということもあり、この日は昼食に調達にコンビニに出向いた以外には自宅に引きこもり・・・。
引きこもりをしている間にサイトの更新準備を進めてました。
先日の遠征で大井川鐵道や伊豆箱根鉄道の車両を撮影出来ていることから、とりあえず形式一覧ページの作成に取り掛かりました。
今回アップする予定の半分までは準備出来ていることから、23日頃までにはアップ出来る予定です。
さて、これだけではネタが乏しいので、平日届いたあるものに関するネタを・・・。
FTTHに切り替えて4日ほど経過した頃、私宛にある小包が届きました。
送り主がプロバイダーであったことから、eo光と同時にオプションとして申込んでいたものだと判断出来ました。

早速開封すると、ジュエルサイズのDVDケースよりも一回り大きいケースのEMOBILEパッケージ。

オプションとして申込んでいたのはeo光のオプションサービスの一つであるeoモバイルで、開通後から数日で端末が送られる事になっていたもので、開通して4日後に私の元に届けられたと言うことです。
中身がイーモバイルなのは、eoモバイルがイーモバイルの回線を利用したモバイル接続サービスであるからです。
申込んだ理由としては、遠征での移動中にブログの書き込みをするというのが主目的なのですが、携帯からだと短文で限界というのがあり、PCからの投稿だと例えば帰阪途上に本文のみ投稿というのが手が使えるからです。
これまではPHSベースだったため高速移動の車中だと回線が不安定で、3G携帯ベースならある程度の速度が得られると言う期待からでもあります。


詳細は別途書きますが、今回は取付と設定のみでしたので実際に使うのはこれからです。
category: 日記
週末日記 2009年5月16日 
2009/05/16 Sat. 23:59 [edit]
15日は午後からブロードバンドルーターを買いに行く序でにお出かけしてきました。
まずは今週導入された谷町線の最新鋭30000系と同車の伴い廃車の足音が近づいてきた30系を捉えるべく谷町線唯一の地上駅である八尾南へ。

最新鋭の30000系こそ撮れませんでしたが、留置中の30系のステンレス車と折り返し待ちの30系の車内と撮っておきました。


序でに22系の車内も。

天王寺へ移動して近鉄百貨店本店本館の建替えに伴う駅設備移設といった動きが活発な大阪阿部野橋駅の見聞。
メインの西改札口が本館の改築に支障を来たすことから橿原神宮前寄りに後退されています。

環状線に乗り換えて大阪(梅田)へ。
新北ビルの建設工事も着々と進んでおり、中央口から北へ延びていたビルの骨格が東西へ伸ばされている所まで来ています。

梅田ではヨドバシカメラでブロードバンドルーターの購入。
自宅にある家族用のノートPCに無線LANが内蔵されていないため、PCカードタイプの無線LANカード子機とのセットで購入しました。
購入したのはNECのAterm WR8500N+WL300Nのセット。

梅田からの帰宅途中、発車標の更新作業を大阪環状線の各駅で見かけたのですが、これらは運行管理システム「SUNTRAS(サントラス)」の拡大に伴うもので、2009年秋頃を目指して大阪環状線・JRゆめ咲線・大和路線の3線区に導入されることになっています。

帰宅後は開封して回線終端装置~ブロードバンドルーター~PCへの接続と無線LANの構築。

LAN自体の接続も面倒ですが、電源廻りはもっと面倒でPC+モニタ以外に外付けのHDD、MO、ワイヤーレスマウス、iPod、FTTHの回線終端装置と繋がっていることから、新たに購入した電源タップを用いて繋ぎ直しまでしました。
2時間ほど掛けてブロードバンドルーターの接続・設定と無線LANを構築し、懸案事項だったブロードバンド環境構築に一区切りつくことが出来ました。
category: 日記
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅8 丸岡城・その2 
2009/05/15 Fri. 23:59 [edit]
上ってきた当初は数名ほどいたのですが、その後階下へ降りていったことから、無人状態を見計らって撮っておきました。
下の4枚は最上階を4隅から撮影したものです。




ここからは丸岡の市街地を見渡すことが出来ます。
(以下の4枚の画像は全て合成パノラマされたものです)

▲東側は加越台地が広がり、麓付近を北陸自動車道が通っています。

▲西側は水田を挟んで坂井市の春江地区・坂井地区を見渡せます。
左側には旧丸岡町役場を利用した坂井市丸岡総合支所(焦茶色の建物)が見えます。

▲南側は丸岡の市街地の南側と水田を挟み、さらに九頭竜川を越えた大和田(福井市)辺りにあるSC「フェアモール福井」の施設群が見渡せます。

▲北側は芦原温泉があるあわら市の市街地まで見渡せます。
天守の見学はこれで終わりましたので、梯子のような階段を下りる事にしましょう。

→次に続く。
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅7 丸岡城・その1 
2009/05/14 Thu. 22:57 [edit]
内部は土足厳禁ですが、撮影に関しては特に禁止されているわけでは無いようなので、天守内の画像を順に追ってみます。

丸岡城に関する資料などの展示品は近隣に歴史民俗史料館で展示されるため、天守内部で展示されている物と言えば1階の日本の名城の写真が展示されている程度で、あとは天守に関する設備の解説などが記された掲示物がある程度です。

これは出格子(出窓)で、ここから石落が出来る構造となっています。

小さな窓は鉄砲で迎え撃つ時に使われたと箱狭間と呼ばれるもの。
ここから見る丸岡の市街地を撮影。

こちらは明かり窓から見る丸岡の市街地。

2階へと上がるのですが、階段にロープが垂らされています。
これは階段が急であるからですが、どの程度急なのかは後述します。

2階。
写真正面にあるのが3階への階段ですが・・・。

ご覧の通り、階段と言うよりも梯子と言っていいほど急なモノです。
この急な階段は丸岡城天守の共通のもので、甲冑を着て上り下りするのは想像以上に大変だったでしょう。

このあとは最上階の3階の様子です。
→次に続く。
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅6 
2009/05/13 Wed. 23:59 [edit]
福井駅近隣だと福井城跡があるのですが、城廻を始めたばかりの私が対象としているのは日本100名城に選定されているものから着手しているので、福井城は選定外ということで今回はパスしています。
丸岡城は福井市の北側に位置する坂井市にあり、福井市内からのアクセスは京福バスの31系統(町屋町・大名町経由)または36系統の(開発口・県立病院経由)の本丸岡行きに乗って丸岡城停留所で下車となります。
利用の際注意するべき点は、31・36系統ともに丸岡の市街地内でのルートが中谷→本丸岡BTー→丸岡城→室町→中谷と言うように一方向のループ状になっていることから、往路は本丸岡BTを越えて乗車し、復路は本丸岡BTを経由せず福井駅へ向かうようになっています。

丸岡城停留所で降車すると丸岡城へは徒歩で5分ほど。

▲丸岡城停留所周辺の写真(解説付きはこちら)
バスは手前(本丸岡BT)からやって来ますが、逆方向はありません。


丸岡城の別名として霞ヶ城とも呼ばれています。
ここに記されている国宝とは1929年~1950年まで施行された国宝保存法に基づく国宝で、1950年から施行された現行法である文化財保護法では重要文化財に指定されています※1。

天守に近い管理事務所前にある券売機で観覧券を購入。
ここでは丸岡歴史民俗資料館とのセット券。

丸岡城は1576年に柴田勝豊により築城され、現存12天守の一つである天守は岐阜県の犬山城と並んで日本最古部類に入るそうです※2。
また、1948年に発生した福井地震では倒壊したものの、倒壊した木材などを元に組み直して1955年に修復されています。

天守への階段に側らにはその時の地震によって天守の屋根から落下した石製の鯱がそのまま残されています。
この鯱は1940年~1942年に掛けて修復された際、銅板の入手が困難だったために天守の瓦と同じ材質で作られた言わば代替品のようなもので、修復された天守にある鯱は元の銅板張りに復元されたものが付けられています。

このあと天守内へ入ります。

→次に続く。
※1:丸岡城が国宝保存法に基づく国宝に指定されたのは1934年。
※2:丸岡城・犬山城のどちらかが最古の現存天守なのかは諸説あるものの、いまのところ結論が出されていません。
category: 北陸地方遠征
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅5 
2009/05/12 Tue. 23:21 [edit]

JR西日本の特急電車は283系・285系を除いて同社標準の下枠交差形パンタグラフが採用されていたのですが、今回製造された683系4000番台ではシングルアーム形に変更されています。
JR西日本の在来線でこのタイプの集電装置が採用されているのは、125系・521系・283系・285系に続き5例目で、交直流電車では521系に続き2例目です。

▲集電装置:WPS28D
台車は683系2000番台から構造の一部に変更を加えたボルスタレス台車で、それぞれWDT301とWTR301となっています。
683系4000番台は681系以降の車両同様160km/hまで対応出来るのですが、動台車の空気ブレーキが踏面ブレーキのみであることから、最高運転速度が683系同様130km/hとなっています。
なお、動台車のブレーキ装置をキャリパブレーキ装置に変更すれば160km/h運転にすることができ、実際に160km/h運転を行っている北越急行に1編成のみ存在する683系8000番台にキャリパブレーキ装置が装備されています。

▲動台車:WDT301

▲従台車:WTR301
種別と行先表示器はJR西日本標準である幕式とLED式の併用となっています。

▲左側が種別用(幕式)|右側が行先(LED式)
冷房装置は683系標準の集中型となっていますが、4000番台にはWAU704B形から改良が加えて能力と静粛性を向上させたWAU704D形が屋根上に搭載されています。

▲冷房装置:WAU704D
展示されているホームには関西圏~北陸線系統特急の歴史を記したパネルが掲示されています。

車両見聞はこれで終了。
改札階へもどるのですが、見学会の列はご覧の状態。

改札外の見学会受付待ちの列も長蛇の列です。

このあとは丸岡城へ向かいます。
→次に続く。
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅4 
2009/05/11 Mon. 23:59 [edit]

1号車は大阪方先頭車です。
681系から一貫して大阪方先頭車は非貫通構造の流線型でしたが、本区番台から金沢方先頭車と同じ前面形状となっています。
ただし、サンダーバードでは大阪方のグリーン車に別の編成を連結することがないことから、現状は幌カバーの代わりにアルミ製のダミー塞ぎ板が取り付けられ、将来の転用で使用する際は簡単な改造で貫通構造に対応出来るよう準備されています。
また、2000番台に倣ってデッキが大阪方に統一されています。
車内は金沢方車端部に洋式便所(男女共用)・男性用小便所・洗面所が設けられています。
実運用時はグリーン車指定席となります。

▲1号車:大阪方先頭車のクロ683形4500番台(Tsc5)
2号車はパンタグラフと主変圧器など集電と交直流用機器が搭載されていて、写真の車両は8号車にも組み込まれています。
車内は金沢方に女性専用の洋式便所・男性用小便所・洗面所・自動販売機が設けられています。
実運用時は普通車指定席となります。

▲2号車:サハ682形4300番台(Tp3)
3号車は動力車で車両制御装置など走行機器とコンプレッサーなどの補機類が搭載されています。
車内は金沢方に車販準備室がある以外に付帯設備がなく5号車に組み込まれているモハ683形5000番台と同じ72名と編成中最大の定員となっています。
実運用時は普通車指定席となります。

▲3号車:モハ683形5400番台(M4)
窓のない扉が車販準備室への搬入口
4号車は2号車と同じ集電と交直流用機器が搭載されています。
車内は編成中唯一の身障者対応設備を有するため、金沢方に多機能便所(洋式)や洗面所は車椅子対応であるほかに多目的室があり、大阪方には車掌室が設けられています。
実運用時は普通車指定席となります。

▲4号車:サハ682形4400形(Tp4)
5号車は3号車と同じ直流用機器が搭載され、車内レイアウトもほぼ同一となっていますが、金沢方が車販準備室ではなく通常のデッキとなっています。
実運用時は普通車自由席となります。

▲5号車:モハ683形5000番台(M)
6号車は最小限の補機類が搭載されている車両です。
車内は金沢方に洋式便所・男子用小便所・洗面所が設けられています。
実運用時は普通車自由席となります。

▲6号車:サハ683形4700番台(T7)
7号車は6号車と同じく補機類は最小限の搭載となっています。
車内は6号車とほぼ同じレイアウトですが、男女共用となっていた洋式便所が女性専用となっているほか、大阪方には業務用室が設けられています。
実運用時は普通車自由席となります。

▲7号車:サハ683形4800形(T8)
8号車は2号車と同じサハ682形4300番台が組み込まれています。
実運用時は普通車指定席となります。

▲8号車:サハ682形4300番台(Tp3)
9号車は金沢方先頭車でこちらは常時貫通構造となっていて、直流用機器と走行関係機器が搭載されています。
こちらの車両は便所などの付帯設備がない車両となっています。
実運用時は普通車指定席となります。

▲9号車:クモハ683形5500番台(Mc5)
長くなるのでここで稿を改めます。
→次に続く。
週末日記 2009年5月10日 
2009/05/10 Sun. 22:38 [edit]
これまでPHS(b-mobile)の環境下で約6年間ネットを続けてきたのですが、取り急ぎ構築した環境のまま放置してきました。

当初はwebの閲覧やメールチェックのみだったことから、それでも良かったのです。
しかし、ここ4~5年の間にサイトやブログを開設し始めた頃からナローバンド故の足かせが目立つようにになってきたものの、ここ数年は多忙でブロードバンド環境の選定を放置してきたものの、今年1月~3月頃までは時間的な余裕もあったことから、ネット環境改善のための選定をし3月上旬に申し込みをしていました。
ネット開始当初はADSLが盛んでしたが、最近の潮流に乗ってFTTHに乗換えることにし、4月中には宅内調査とケーブルの幹線工事が着手され、5月10日はこの日に宅内工事が行われることになりました。
工事自体は事前に屋外工事で幹線から分岐させて自宅前まで引かれていた光ファーバーをPCが置かれている部屋まで引き込み回線終端装置に接続するだけ。
あとはユーザーの手でLAN接続し、PC上で接続するためのIDとパスワードなどを設定すれば利用出来るようになります。
私が在住する関西ではNTT西日本のフレッツか電力系のケイ・オプティコムのeo光がありますが、知り合いの話によるとNTTのフレッツだと申し込みから利用出来るまで数ヶ月~半年かかるとも言う話を聞きました。
また、オプションの基本使用料も含めた使用料金トータル(割引適応も含めて)でもeo光の方がNTTのフレッツよりも数千円割安であることと、評価サイトにおける顧客満足度も高いこともあってeo光にしました。

実際に申し込みから実際に利用出来るまで2ヶ月掛りましたが、仕事の都合や連休の遠征もあったため、それを度外視すると早くて1ヶ月半ぐらいと思われます。
さて、PHSから移行した環境はどうか?と言われると、快適の一言です。
これまで環境ではタイムアウトで画像が表示しきれませんでしたが、環境移行後は2秒ほどで全画像が表示出来るように改善されました。
これは画像のアップやサイトのアップが非常に楽になる意味もあるので、アップ中のイライラが解消されますので、ネットを行うための精神衛生上は良くなります。
現状はKawachiPC4号機のみ接続しているだけですが、あとは家族用のPCを接続するためにLANを構築しないといけませんが、手間が掛りそうです・・・汗。
category: 日記
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅3 
2009/05/09 Sat. 21:14 [edit]
早速見学会の待ち列の状況を見に行ったところ、2時間近く前にもかかわらず20mほどの長さになっていました。
これは不味いと言うことで、すぐに最後尾について待つことにしました。
結局、開始時間前になる時には駅前をぐるりと囲むぐらいになり、改札口から並んだ待ち列の最後尾は西口を飛び出して東口の前までに達しました。

開始時間5分前になり、受け付けが開始されました。
改札口前で見学会の入場券は配布され、ホームへと上がっていきます。
3番のりば側に停車している683系4000番台の側らで記念品を頂き、いざ車内へと入ります。

その前に以下の2枚は今回展示された車両のロゴと車番。
大阪方先頭車がクロ683-4501となっており、683系4000番台の第1編成であることを示しています。


まずは普通車。
683系0番台や2000番台に比べると天井の構造が変更され、荷棚の許容体積がこれまでよりも大きくなっています。

座席は683系標準で背面のテーブルが大型タイプのもの。

続いてグリーン車。
こちらも普通車と同じく天井の構造が変更されている以外には、既存の基本番台と2000番台と同じ。

ただし、座席にはPC・携帯電話用のAC100Vコンセントが設けられています。

こちらは多目的室。

これは洋式便所で車椅子対応の大型であることから、外部から見ると出入口と壁面が(E217系などにも見られる)曲面を描いた形となっています。

既存の683系同様、荷棚下にはスポット照明が用意されています。

許容量が拡大された荷棚は天井付近の形状が大きな曲線から直角に近い形に変更されたことによりスペース拡大が実現されています。

また、健康増進法による全面禁煙化が進められていることから、683系4000番台にも喫煙室が設けられている模様です。
鉄道趣味誌などにも触れられていないのですが、実車にはそれらしきものが用意されています。
ただし実際に共用されるのかどうかは不明です。

→次に続く。
#2009.5.11 0:55 LastUpdate
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅2 
2009/05/08 Fri. 22:18 [edit]
2009年4月29日 683系4000番台と丸岡城を巡る日帰りの旅1 
2009/05/07 Thu. 23:59 [edit]
今回は公開時間の順が富山→福井→金沢の順で行われるのですが、時間帯的に富山は早すぎて間に合わず、金沢は遅すぎることから丁度良い時間帯で公開される福井駅をチョイスしました。
ただ、単純にこれを見に行くだけというのは面白くないので、ここ最近名鉄グループから切り離された福井鉄道の編成写真ゲットと日本100名城にも選ばれている丸岡城への観覧を絡めることにしました。
往路はサンダーバード1号。
これに乗っても福井駅での公開までには時間に余裕があるのですが、先に福井鉄道の編成写真のゲットをするため、この列車としました。

サンダーバード1号では武生まで乗車。

武生から徒歩圏にある武生新から福井鉄道に乗り換えます。

武生新駅は2面3線で、西武生寄りに留置線があります。

ここには200形の新塗装車が留置されていましたが、発車までの時間がなかったことから編成写真ゲットとはなりませんでした。

武生新から乗ったのは200形の旧塗装車。
200形にはもう1編成あり、そちらは急行運転時代の塗装になっているそうで、実際にすれ違ったため撮影出来ず終いでした。

こちらはドアステップで、これまでは福井市内の軌道線内で使用されていたのですが、名鉄からの小型車の譲渡によって鉄道線側も低床ホームに統一されたことから、全駅において使用されることになりました。
見たところ乗りにくそうですが、実際は乗車は思っているほど苦労せず、むしろ降車時の方が注意が必要です。
もちろん足の不自由な高齢者が乗り込む時には往生している場面が見受けられますが・・・。

ますはこれに乗って浅水へ移動しました。
→次に続く。
#2009.5.10 23:00 LastUpdate
category: 北陸地方遠征
黄金週間日記 2009年5月6日 
2009/05/06 Wed. 23:59 [edit]
遠征最終日である6日は編成写真ゲットの集中することにしました。
手始めにさいたま新都心で京浜東北線と東北本線・高崎線の編成写真から。
あいにくの曇り空で基本的な形式は撮れました。


次は常磐線へ行くのですがその前に浦和へ通りかかったので、ここで行われている連立事業の見聞。
今のところは京浜東北線は高架へ切り替わり、東北本線の上り側が構築されています。

ここでは土浦まで転々と移動しながらE531系などを撮影、ここであと数年で消滅する207系900番台に乗ることができました。
撮影はできているのですが、いずれも乗車する機会が無くこれが最初で最後かもしれません。



続いて総武線新小岩へ移動し雨が降る中でE231系の編成写真をゲット。
本当は209系500番台を狙っていたのですが、やってくるのはE231系ばかりで諦めて移動するとすれ違ったり邪魔が入るなどあったため断念。

しかし、蘇我まで移動した先で京葉線に転籍した209系500番台に乗ることができたので、良しとしておきます。

京葉線から東京へ戻りのぞみ263号で帰阪。
最終日はどこかへ巡ったわけでも無く、午後から天候が悪く撮影枚数が少なく終わってしまいましたが、全般的には乗りつぶし以上にハードな遠征となりました。

#2009.5.10 18:10 LastUpdate
category: 日記
黄金週間日記 2009年5月5日 
2009/05/05 Tue. 22:20 [edit]
遠征4日目であるこの日は午後に雨が降る様子だったことから、予定通り午前中を八王子城跡としました。
八王子城は日本五大山岳城のひとつとして名を連ねているそうで、標高445m八王子城山(深沢山)にあることから、城の全容を見ようとすると気軽に行けるようなものでないと言うのは事前に知っていたので、できるだけ雨が降ってほしくないな~と思いながら出向いてきました。

高尾駅から京王バス系列の西東京バスで霊園前停留所まで乗車。
ここから八王子城の管理事務所があるところまでは坂道を登ってゆくのですが、霊園が多く点在する場所のため石材店が多く見られました。
管理事務所でパンフレットを頂き、八王子城跡を巡ってきました。
八王子城は史跡として残されている箇所が城山の麓・中腹・山頂に分かれていることから、これだけでも巡るのは面倒なのに肝心の本丸跡のある山頂へは登山道で1時間近く登って行くとのことで、先に麓側にある御主殿跡から見てきました。


残された本丸跡へ道のりはとても手軽に行くような場所ではありません。
山歩きは幼少の頃から経験があるものの、ここ十数年ほどは離れていることもあったことから山頂を往復するだけでも体力を消耗しました。
八王子神社の裏手にある本丸跡は想像以上に小規模であったのには驚かされましたが、周辺にある小宮曲輪跡へは草が生い茂って獣道状態を歩いてゆく有様・・・。

八王子城山から下りて高尾駅で昼食をとった後、青梅線の未乗区間乗りつぶしに入ろうとした所から雨が降ってきました。
八王子城へ行ったあとはこれだけなのでホッとしました。
青梅線の未乗区間は拝島~奥多摩と路線で言うと半分以上残したままでした。
青梅までは10両編成のE233系で、青梅からは同じE233系でも4両編成と短い列車です。

青梅を出ると上り勾配が続くものの、しばらくは住宅地があるのですが、奥地へ行くほど山の斜面が険しくなり、中規模の集落が眼下に点在すると言う状態。

奥多摩は島式ホーム1面2線となっていますが、有効長の関係から1番線が6両編成対応、2番線が4両編成対応となっていますが、普段は曲線半径の大きい2番線がメインとして使用されています。
皮肉にも絶好調のように降っている雨の中で駅舎を撮影。

奥多摩で201系を改造した「四季彩」入れ違いになったため、青梅で待ち構えてアイコンゲットしました。
今回は降雨のためこれで手一杯です。

拝島へ戻って西部に乗り換え。
ここでは所沢へ向かって編成写真のゲット。
ここでは4000系を2本つないだ8両編成の快速急行の編成写真をゲット。
4000系は飯能~西武秩父のローカル輸送に使用されることから、池袋まで顔を出すのは朝夕の快速急行のみなのでタイミングを誤ると逃しがちになります。

30000系も見かけたのですが、編成写真としてはすでにゲットでいましたが、如何せん現状では少数派なのでなかなか乗ることができません。
この日はこれで終了。
宿へ戻って5日目を迎えることにしました。
#2009.5.10 2:00 LastUpdate
category: 日記
黄金週間日記 2009年5月4日 
2009/05/04 Mon. 21:24 [edit]
遠征3日目である5月4日は伊豆箱根鉄道駿豆線の乗りつぶし+編成写真ゲットを午前中に午後からは山中城跡と小田原城を巡ってきました。
宿泊地に関係でこの日は沼津からスタート。
駿豆線の乗換駅である三島へ。

三島からは駿豆線に乗り換えて修善寺へ向かうことになりましたが、ここでは3000系ステンレス車にあたります。
3000系の初期車は普通鋼製の車体でしたが、1987年以降に製作されたは車両はステンレス車体となり、窓割がJR東日本・東海の211系に似ています。
また、写真の3011編成は現状の最終増備車で、行先表示器がLED式となっています。

修善寺まで乗り通している間に撮影ポイントをチェック。
列車交換の都合と撮影のし易さから牧之郷に決定。
修善寺は近隣に観光地がなく有ってもやや遠いことから、どちらかと言うと周辺各地と西伊豆各地への鉄道とバスの拠点とも言えます。

修善寺から撮影場所と決めた牧之郷に到着。

時間帯的に列車交換がなく無人駅なので撮影しやすかったです。
もっとも三島でも撮影できるのですが、編成写真ゲットとなると2本に1本しか撮れませんから、ある意味効率が悪いです。
三島へ戻り、今度は沼津登山東海バスに乗り換えて山中城跡へ。
三島駅からの距離は11km強ですが、30分揺られた道のりは箱根越えの坂道です。

山中城跡では食堂兼案内所に常備されているガイドブックを片手に城跡内を駆け巡りました。


三島駅へ戻ろうとバス停で待っているとバスがなかなかやって来ません。
三島から山中城跡へ向かうときに案内された情報では箱根周辺がGW中の混雑で終点まで30分遅れだったと言っていたなと思うと、案の定30分近く遅れてやってきました。

次の小田原城観覧までのリミットには危かったのですが、川崎で発生の人身事故の影響で東海道本線東京口のダイヤが乱れたことから、三島で乗換えが定刻では熱海にいるはずの踊り子に乗れ、この日乱れた行程を半分ほど回復しました。

小田原城では基本的に天守のみに絞り、セット観覧できる方はタイムアップが確実だったことから、断念しました。
当日はイベントが催されていたことから、小田原城への人出が多かったです。

この日は8GBのCFカードとバッテリーを1個ずつ使いきって都内へ向かい3日目を終えました。

#2009.5.9 23:25 LastUpdate
category: 日記
黄金週間日記 2009年5月3日 
2009/05/03 Sun. 21:47 [edit]
遠征2日目である3日は大井川鐵道の乗りつぶしを一日仕事でやってきました。
当初の予定では8:00過ぎに静岡を出発する予定でしたが、1時間30分ほど繰り上げて6:30に出発。
大井川鐵道との乗換駅である金谷駅は連絡改札口があるものの、駅舎自体は別々となっています。

ここから大井川鐵道に乗り換えて乗りつぶすのですが、往復するだけでも6000円以上することから、今回はフリーきっぷである「大井川・アプトラインフリーきっぷ」を利用しました。

まずは元南海20000系に乗って千頭まで。
譲渡元の南海ではとっくに消滅し、現在ではここと島根の一畑電車に残存しているだけです。
こちらの20000系は転換クロスシートで、飲料水の自販機が設置されているのが特徴となっています。

千頭から井川線に乗り換え。
伊川ダムへの資材輸送のために建設された路線で大井川鐵道へ譲渡後は井川線として旅客輸送をが開始されています。
井川線の車両は本線とは違い黒部峡谷鉄道のような小型車が使用されています。

途中の長島ダム付近のアプトいちしろ~長島ダムのアプト区間も体験。

90パーミルの急勾配が続くこの区間だけは井川線のディーゼル機関車ではなく、山麓側に専用の電気機関車がつながれます。


千頭から一時間30分ほどで終点の井川に到着。
ほとんどドン詰まりような場所にある駅ですが、井川本村はここから多い側に沿って奥にあるのだそうです。
駅周辺に民家が少ないのはそのためだったようです。

ここで一段落として井川ダム・発電所に隣接する井川展示館へ。
建物自体は崖に張り付く形で建っている感じです。


井川から折り返し千頭へ戻ると、そこに待っていたのは元近鉄16000系。
こちらは譲渡元の近鉄でも吉野特急の主力として使用されていて、譲渡された車両はトイレの閉鎖とワンマン化とそれに伴う最前列の座席の撤去がおこなわれている以外には大きな変化がない感じですが、座席指定特急での使用を前提としていた車両は行楽期の輸送には不適当な面を露呈してしまいました。

新金谷で降車。
金谷降車でないのは例のきっぷを記念にとって置くためで、フリー区間が新金谷以北であるため金谷で下車してしまうと2日間の有効日数に関係なく回収されてしまうからです。

金谷から静岡へ戻り鞄を回収後、夕食をとって次の宿泊地へ移動し2日目は終わりです。
#2009.5.9 0:35 LastUpdate
黄金週間日記 2009年5月2日 
2009/05/02 Sat. 21:36 [edit]
5月2日から6日まで連休を日本100名城巡りと未乗路線の乗りつぶしの旅に充てることにしました。
初日である2日は掛川城と駿府城の2つを巡る事にしました。
ここ2ヶ月連続で体調を崩したことから、今回は早朝出発を避けて名古屋泊まりとし、朝8時過ぎから出発しました。
前日は新幹線でしたが、名古屋からは在来線を延々と乗り継ぐことし、名古屋からは特別快速に乗って浜松へ向かい、浜松から211系3両編成の普通電車に乗って掛川へ向かいました。

18きっぷシーズン外とは言え、GW真っ只中では100p~120pに達します。
静岡地区の列車を見る限りではデータイムは3両編成を基本として、15時台から順次5両~6両編成の増結されている感じです。
ただ利用が多いのは、浜松~興津系統でこれらは豊橋以西からの流れも受け入れている感じである一方で、島田発着~静岡系統だと60p~80pと落差があります。
また、掛川~島田が4本/時→3本/時に減便している影響もやや受けているようです。
結果的には積み残しが出ないため深刻なレベルではないものの、行楽シーズンとそれ以外では落差が有るのかと思われます。
掛川では掛川城の観覧。
ここでは天守と二の丸御殿のほか、美術館も観てきました。
掛川駅へ戻るついでに離れた場所にある大手門にも寄って来ました。

掛川から東海道本線を東へ。
島田で一旦降車した島田折り返しの静岡行きに乗り換え。

この日は静岡宿泊だったことから駿府城址見学との時間の兼ね合いを見越して、安倍川で編成写真の撮影。
丁度順光での撮影だったのでまあまあ撮れた感じです。



静岡へ移動して駿府城址である駿府公園へ向かい、復元された東御門と巽櫓を見学。

このあと、駿府公園内を散策してからホテルへ直行し初日を終えました。
#2009.5.8 2:40 LastUpdate
category: 日記
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