- 2009/07/31 2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅4 熊本電気鉄道5000系
- 2009/07/30 2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅3 熊本電気鉄道モハ71形
- 2009/07/29 2009年7月29日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞10
- 2009/07/29 2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅2 北熊本のイベント会場へ
- 2009/07/28 2009年6月28日・7月26日 大阪駅改良工事見聞8
- 2009/07/28 2009年6月20日 博多駅改良工事
- 2009/07/27 2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅1 熊本へ
- 2009/07/26 2009年7月26日 Kawachiデジカメ6号機「OLYMPUS PEN E-P1」その3
- 2009/07/26 週末日記 2009年7月26日
- 2009/07/25 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅11 7000系白帯車とモリゾー・キッコロを見て帰阪する
- 2009/07/24 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅10 岡崎城・その4
- 2009/07/23 2009年7月22日 Kawachiデジカメ6号機「OLYMPUS PEN E-P1」その2
- 2009/07/23 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅9 岡崎城・その3
- 2009/07/22 2009年7月22日 Kawachiデジカメ6号機「OLYMPUS PEN E-P1」その1
- 2009/07/22 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅8 岡崎城・その2
- 2009/07/21 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅7 岡崎城・その1
- 2009/07/20 三連休日記 2009年7月20日
- 2009/07/19 三連休日記 2009年7月19日
- 2009/07/18 三連休日記 2009年7月18日
- 2009/07/17 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅6 犬山城周辺の博物館巡り
- 2009/07/16 2009年7月12日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞9-3 東花園駅付近
- 2009/07/16 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅5 犬山城・その2
- 2009/07/15 2009年7月12日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞9-2 河内花園駅付近
- 2009/07/15 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅4 犬山城・その1
- 2009/07/14 2009年7月12日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞9-1 若江岩田駅付近
- 2009/07/14 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅3 犬山遊園駅
- 2009/07/13 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅2 名鉄犬山線で諸々撮影
- 2009/07/13 2009年7月12日 花園駅前(北口)に導入された広告パネル付きバスシェルター
- 2009/07/12 週末日記 2009年7月12日
- 2009/07/11 2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅1 名古屋へ
2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅4 熊本電気鉄道5000系 
2009/07/31 Fri. 23:59 [edit]
今回は5000系(5102A号車)の車内レポです。
元は東急電鉄で使用されてきた車両で「青ガエル」の愛称でも知られています。
ここ熊本電鉄に譲渡されたのは6両で、そのうち2両は片運転台のユニット、残り4両は両運転台に改造されたものでした。

譲渡時の改造で運転台が取り付けられた側は切妻形となったため趣味者から「平面ガエル」と言う愛称が付けられています。

客室内は車体の強度の関係から冷房設備が設けられないため、扇風機だけです。
内装としては年代を感じさせます。

客用扉は上部に小窓があるもので、同年代の車両としては珍しいかも。
東急の5000系(初代)は車両によっては標準的な大窓で有るケースもあることから、譲渡時の車両によっては異なっていたと思われます。

運転室後部の仕切。
ワンマン機器設置で運賃箱や整理券発行機が設置されたため仕切窓の形状がオリジナルとは異なります。

5000系の運転台。
まずはオリジナルのもの。

続いて改造で取り付けられたもの。
随分コンパクトに収められていますが、一般的な運転台とは異なり右側にオフセットされています。
ちなみに5101号車は増設運転台が逆エンドであり、進行方向左側に運転台がオフセットされていて、写真の5102号車とは異なります。

運賃表示器。
近年では珍しく幕式。

つり革には東急百貨店や東横○○と東急時代のものがそのまま使われている。


譲渡元の東急5000系(初代)は車両が軽量であったことから、熊本も含めて地方私鉄に譲渡されていったのですが、車体構造から冷房が搭載出来ず、後年に冷房車の譲渡が進んだことで各地で廃車されました。
熊本電鉄に譲渡された車両のうち4両が廃車となり、現在は2両のみ残されましたが、各地に散らばった同型車が形式消滅する中で熊本電鉄の2両は現役で活躍している唯一の車両となりました。
→次に続く。
2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅3 熊本電気鉄道モハ71形 
2009/07/30 Thu. 20:35 [edit]

車庫は西側に留置線、東側に検査ピットと事務所が配されています。

車庫内をデモ走行中のモハ71形。
車両としての籍はないため本線上には出ることはなく車庫内の入換え用牽引車として使用されていますが、今回のようなデモ走行なども考慮して手入れは可能な限りされているとのこと。

写真の車両にある71の表記は実車のものではなく撮影用に貼られたもの。

実際は逆エンドのように何も表記されていない状態です。

車内へ入りましたが、人が多くて客室内の撮影は諦めて運転台のみ撮ってきました。
運転台周りはシンプル。

モハ71形の主幹制御器。
写真のものは三菱電機製KR58形。

このあとは現役で使用されている車両を見てきます。
→次に続く。
2009年7月29日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞10 
2009/07/29 Wed. 23:01 [edit]
今回は7月12日のレポで見られなかった箇所を中心に自転車で巡ることにしました。
若江岩田駅東方にある府道八尾枚方線若江跨線橋の撤去工事の様子を今回は南側と登り口があった箇所を見聞。

▲若江跨線橋のあった場所を南側から撮影。
いずれも歩道も拡張と撤去箇所の舗装されています。

▲同じく北側から。
続いて東花園へ移動。
ここでは工事終点付近と東花園駅周辺を見聞。
工事終点になる箇所は東花園車庫の南端の隣接するのですが、恩智川側から撮影してご覧の通り。

携行したE-P1の標準レンズの最大値である42mm(35mm判換算で84mm)だと苦しいようで、先程の写真をトリミングしてみました。

序でに別角度で撮ったものも・・・。

工事終点周辺には変電設備があり、既存箇所との接続点はこの辺りになると思われますが、入出庫線への分岐点から府道外環状線の跨道橋までが上り勾配となっていることから、高架橋終点までを平坦で恩智川橋梁付近からは緩い上り勾配にすると思われます。

下の画像では分りにくいのですが、東花園車庫への入出庫線の高架橋は既に完成されていますが、現状は本線が地上のままなので、同じく構築された駅部分付近からスロープを設けてアクセスさせています。
上り線への出庫については従来通り地上のままですが、近年中に下り線が高架へ切り替わる時はどうするのは気になるところです。


駅部分に関しては7月12日のレポでも報告した通りホーム上屋が構築されてきていますが、今回は恩智川を挟んで南側から撮ってみました。
ここからだとほぼ全体が見渡せるからです。

東花園駅側にある橋を渡ってすぐの場所方撮っても工事用フェンスに阻まれて、このような構図が限界です。

最後は工事起点の府道中央環状線側を見聞。
ここには保線資材搬入のための通路としてスロープが設けられるのですが、登り口のコンクリート打ち込みを待つのみとなっている感じです。

既存の高架橋と新設の高架橋の接続部はご覧の通り。
先日の週末日記にも触れた通り、外側からは完成状態にも思えますが、軌道の敷設が行われていない状態となっています。

今回のレポは以上です。
2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅2 北熊本のイベント会場へ 
2009/07/29 Wed. 21:51 [edit]
九州新幹線受け入れに連動した再整備事業のため、駅前は工事の真っ直中。

ここから市電と熊電を乗り継いで北熊本へ向かうのですが、先に大きな鞄をロッカーに放り込み、観光案内所で市電・市バス共通一日乗車券を購入します。
2007年来訪でもお世話になって一日乗車券ですが、今回は限定的な使用としての購入となりました。


熊本から市電で通町筋(とおりちょうすじ)まで乗車し、藤崎宮前までは徒歩で向かいます。

熊電プラザに1階奥にある藤崎宮前駅には丁度良いタイミングで御代志行きが到着していました。

北熊本に到着。

イベント会場へは構内踏切とは逆の車庫側に臨時改札口があり、ここでイベント会場へ整理券をもらい会場入りします。

ここあとはイベントのレポを行います。
→次に続く。
2009年6月28日・7月26日 大阪駅改良工事見聞8 
2009/07/28 Tue. 23:59 [edit]
今回は6月28日と7月26日に確認した箇所の報告です。
・6月28日の見聞
新北ビル建設に伴う工事スペース捻出により旧9・10番のりばを使用休止していたのですが、ビル工事の進捗に伴い旧9番のりばを新11番のりばとして使用を再開するべく軌道の再敷設とホーム改修工事が着手されていました。

旧10番のりばは新北ビルのスペースとなるため廃止され、新11番のりばも新北ビルの軒下に位置することになります。

新11番のりばは神戸方がホームの切り欠け箇所にかかることから、新たにホームが延伸されています。
また、該当箇所から近い場所には乗務員の詰所が設けられることになり、赤レンガ調の詰所建てられていました。


・7月26日
新北ビルとアクティー大阪を結ぶ橋上駅舎と自由通路の構築も順次行われ、あとは大阪環状線側とアクティー大阪側のアクセス部分の構築が終わるもを待つだけです。
一方大屋根の工事は橋上駅舎の進捗状況によって部材構築スペースを確保出来次第、橋上駅舎側から東西方向に順次構築されるものと思われます。

アクティー大阪も南側への増床工事がすでに着手され、該当箇所にはタワークレーンによって新たに鉄骨が立ち上がっています。

今回のレポ以上です。
参考:大阪駅開発プロジェクト
http://2011osaka.com/
#2009.7.29 1:25 Update
2009年6月20日 博多駅改良工事 
2009/07/28 Tue. 22:59 [edit]
九州新幹線の乗入れに合わせて博多駅の改良工事が進められていますが、この工事は新幹線のりば・在来線のりばとも大きく手が加えられる事になりました。
新幹線のりばは現行の2面4線に九州新幹線用のりばとして1面2線を設けられ、3面6線となります。
新設されるホームは在来線に面する1線を九州新幹線内の折り返し線用とし、既存の新幹線側に面する1線は山陽新幹線へスルー出来る構造とされる模様です。
参考:博多駅改良工事について(JR西日本のニュースリリース)
概要→http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174063_799.html
平面図(PDF)→http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2009/01/19/20090119_hakata.pdf
新幹線ホーム増設工事はまず福北ゆたか線専用ホームの撤去と7・8番のりばのホームの一部を改修するなどしてスペースを捻出し、そこのホームを新設すると言う方式が採られています。



在来線側は8番のりばを福北ゆたか線専用として熊本方に車止めを設けて行止り化し、ホーム自体も小倉方に延伸させています。
また、在来線のりば直上に駅ビルの建設工事が進められていて、これまでクリアだった上方がビルの鉄骨で覆われています。



博多駅改良工事レポは以上です。
2009年6月20日 熊電イベントと城廻で綴る九州の旅1 熊本へ 
2009/07/27 Mon. 23:13 [edit]
目的は今年で100周年を迎えた熊本電鉄のイベントと熊本城への登城などを軸に熊本と佐賀を駆け抜けてきました。
往路はひかりレールスター543号。

車両は700系7000番台ですが、入線してくるところを試しに捉えてみました。
後方がホームと被ってしまい、もうちょっと引き寄せれば良かったかも知れません・・・。


新神戸と岡山でほぼ満席状態を過ごし博多に到着。
博多からは在来線に乗換えですが丁度良いタイミングで813系1100番台に遭遇
この車両、行先表示器が大型LED式に変更され形状が歪になっているのが特徴ですが、こうしてアイコンショット的に捉えられたのは今回が初めてです。

博多からはリレーつばめ39号に乗車。
行先は鹿児島中央ですが、途中の新八代で九州新幹線「つばめ」に乗り継ぎとなることから文字通り鹿児島方面へのリレー列車となっています。

787系はリレーつばめ用の7両編成と有明用の4両編成がありますが、今回は7両編成。
こちらは初期に登場したものなので内装の塗装が剥げてきている箇所が見られるなど、少しお疲れモード感じられてしまいます。


博多から2時間ほど揺られて熊本へ移動します。
→次に続く。
2009年7月26日 Kawachiデジカメ6号機「OLYMPUS PEN E-P1」その3 
2009/07/26 Sun. 23:02 [edit]
今回はあいにくの天候で手短なものとなってしまいましたが、実際に使ってみた印象をここに書くことにします。
■まずは使い勝手の面で。
・標準ではファインダーがないため、カメラを構える時はコンデジと同じライブビュー撮影となりますが、標準ズームレンズで撮影する場合は左手はレンズを支える形の方が安定する。
・各所で既出された問題である電子水準器とシャッター速度などの表示が同時でないのは撮影時にはやはり不便です。
ただ、液晶モニタのスペックと表示フォントの関係からすると、両方表示するにしても表示項目をある程度絞っておくか、表示フォントを見直すぐらいでないとモニタ上がうるさくなりかねません。
・シャッターを押してからの撮影されるまでのレスポンスがコンデジと同程度のタイムラグが生じる。
・AFがもたつくケースが多い。
・連写性能は3枚/秒で、数世代前のミドルクラスのデジタル一眼レフ程度の性能。
・上記3つは手早く撮る時や高速で動くものに対しては弱いこと意味するため、鉄道写真でも走行写真にはちょっと不向きで、あくまでも停車中の写真やスナップ用途向き。
・シャッターは動作時は一眼レフの「カシャッ」ではなく「カシュッ」と言う音が聞こえる。
これはEOS 50Dのライブビューモード撮影でも同じで、フォーカルプレーンシャッターが動いている音だそうです。
・EOS 50Dの操作性に慣れてしまっているため、E-P1のダイヤル類が小さくて使いにくく、誤操作を招く場面も・・・。
・フラッシュが内蔵されていない点については、いざ使うという場面で外付けフラッシュを使用すれは良いという割り切りがさえ出来れば大きな問題はない。
・アスペクト比が複数あるのはサイト・ブログの画像アスペクト比の統一を考えている私個人としては非常に助かる。
沈洞式レンズである標準ズームレンズにはロック機構があるものの、あくまで最広角状態から不用意な収納をさせないためのものであり、収納状態のロック機構ではないため、取り外し時にはレンズが伸びてくることがあるため、その点は気をつけた方がよい。
■撮影した画像を比較
ここでは現行のメインカメラであるEOS 50Dで撮影した画像と比べてみます。
この段階ではE-P1の特性が分っていませんのでデフォルトのままにしていますが、EOS50Dはデフォルト設定では白く飛びやすい他、ホワイトバランスが赤っぽくなるため露光設定を-0.3にホワイトバランスも補正しています。
その他の設定は両者とも撮影モードをプログラムAE、画質設定はJPEG最高画質側、アスペクト比を2:3にセット撮影しています。
各画像は1枚目にEOS50D、2枚目がE-P1で撮影した画像としていますが、画像のサイズは540×360ピクセルにリサイズしています。

▲EOS50Dで撮影
(1/250秒|F9|ISO100)

▲E-P1で撮影
(1/400秒|F8|ISO200)

(1/50秒|F4.5|ISO100)

▲E-P1で撮影
(1/80秒|F4.5|ISO200)

(1/30秒|F3.5|ISO200)

▲E-P1で撮影
(1/60秒|F3.6|ISO800)
全般的に赤っぽい画像になっていますが、ホワイトバランスを補正してなかった頃のEOS 50Dよりも赤っぽい印象となっています。
ホワイトバランスの補正設定をした現在のEOS 50Dの画像はほぼ正確に発色されていますので、E-P1のデフォルトでは正しい色とは言えません。

▲デフォルト設定で撮影した画像
フォトショップエレメンツでカラーバランスの補正をかけてみました。
フォトショップのカラーバランスはホワイトバランスに相当するもので(参考URL)実際に補正した後のが下の画像です。
露光補正をしていないので、若干明るめの画像となっています。

▲フォトショップエレメンツで補正した画像
E-P1にはEOS 50Dと同じくホワイトバランスの補正機能があるので執筆時点では補正しましたが、補正後の撮影はまた後日とします。
#2009.7.27 21:30 LastUpdate
週末日記 2009年7月26日 
2009/07/26 Sun. 22:53 [edit]
今週末唯一のお休みである26日はKawachiデジカメ6号機E-P1試し撮りも兼ねてお出かけ。
手始めに近鉄奈良線高架工事の工事起点側を撮影。
車内からの撮影ですが、標準的な一眼レフだと大きくて気が引けるのに対し、少し大きめのコンデジの大きさであるE-P1ならある程度は気楽に撮れます。

編成写真の撮影は石切から。



続いて堅田へ移動。
485系は十分撮れたので、この日のターゲットは最新鋭の683系4000番台。
実は前回も狙ったのですが、行き違いになってしまったためリベンジと言うことで・・・。

雨が降ったり止んだりする不安定な天候で、ようやく捉えました。
大阪方先頭車が貫通形の準備工事済みであるため、富山方先頭車と同じ形状なのがこのグループの特徴です。
最近発表された683系4000番台への置換え計画によると、単純に485系に対して置換えるのではなく、既存のサンダーバードに対して置換えて、されによって捻出した681系や683系0番台を485系「雷鳥」に充てることで全列車「サンダーバード」化すると言う方式が採られるようです。
ネット上で調べたところ、今回の683系4000番台は現在近畿車輛で5本目が7月中にはJR西日本に納入される模様です。
参考文献:「なかさんの鉄道のんびり村」
http://green.ap.teacup.com/jr207vvvf2000/

梅田へ戻ってサイト用の資料集め。
大阪駅の改良工事の進捗で橋上駅舎部分と新北ビルの骨格が7割ほどの姿となりました。
現状ではアクティ大阪側の接続部が構築中。

一方、阪急梅田ビルの建替え工事は新ビルの外観が完了している状態。
現状では南側から着手され、北側は南側が供用開始された後に着手されるようです。

梅田を後にした後は西九条経由で帰宅しました。
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅11 7000系白帯車とモリゾー・キッコロを見て帰阪する  
2009/07/25 Sat. 22:28 [edit]

そして東岡崎へ向かう途中に見かけた7000系白帯車を捉えに豊明へ。
一応撮ったのですが、信号機に邪魔をされる格好となってしまいました・・・汗。

名古屋から近鉄に乗り換えてもう一つ気になるものを確かめるために富吉へ向かいました。
富吉は富吉車庫が隣接し名古屋口の要衝とも言える駅でもあります。


橋上駅舎ですが出口側は東西共に近鉄富吉ビル内にあります。

この辺りは海抜0m地帯で、ここには海面よりも低いことを示す看板が立っています。

例のものは富吉車庫の名古屋方を流れる日光川の堤防にあります。
富吉駅から車庫沿いに延々と歩くこと10分。

ようやくたどり着いた先に見たのはモリゾーとキッコロのモニュメントでした。
実は愛知万博開催当時からその存在を知っていたのですが、これまで車内から拝むだけだった状態であったことから、4年越しでようやくご対面となりました。
万博閉幕後もこまめに手入れされているようです。

堤防の上に上がると近鉄名古屋線の日光川橋梁があります。

この後は延々と乗り継いで帰阪。
自宅に帰ったのは22:00になるところでした。

#「2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅」 おわり
#2009.7.26 1:35 LastUpdate
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅10 岡崎城・その4 
2009/07/24 Fri. 23:59 [edit]


岡崎城の能楽堂は現在、国内で最初の市立能楽堂として知られているそうです。

こちらは「三河武士のやかた 家康館」庭木にある庭園。

同じ場所には三方原で武田軍に敗れた後に描かせた肖像画を元にした石像があります。

お次は「三河武士のやかた 家康館」へ入館します。

ここには徳川家康と彼に仕えた三河の武士達に関する資料などが展示されているほか、関ヶ原の合戦に関する物も展示されています。


二の丸跡を横断して花時計などを見てきます。

二の丸跡の隅にある花時計は近々全面改装されるそうです。

徳川家康公銅像。
家康没後350周年を記念して制作された銅像です。

最後の提示するモニュメントは家康生誕450周年を記念した制作されたもので、1994年に竣功したものです。

岡崎城のレポはこれで終了。
この後は名古屋へ戻りました。
→次に続く。
#2009.7.26 1:15 LastUpdate
2009年7月22日 Kawachiデジカメ6号機「OLYMPUS PEN E-P1」その2 
2009/07/23 Thu. 23:59 [edit]

今回は現行のメインカメラとして使用しているKawachiデジカメ5号機「Canon EOS 50D」を並べて大きさを比較してみます。

まずはボディのみ前面・背面の比較。
E-P1はコンデジライクな印象であるのに対し、EOS 50Dはスタンダードな一眼レフカメラ然としたもので、両者は対照的な印象であります。


次に側面と上部。
ペンタプリズムとミラーボックスの有無の差がボディの厚みに如実に出ているのが分ります。


お次はレンズ。
両者ともボディーとのキットとして同梱されていたもので、E-P1は14-42mm、EOS 50Dは18-200mmという差はあるものの、レンズの径は前者が40.5mm、後者は72mmであるため、子供と大人の差ぐらいにも感じます。

バッテリー自体はE-P1が一回り小さい程度ですが、パッと見た感じではその差は感じられるものの、実際は厚みが異なります。

ボディキャップを外した状態で。
標準的な一眼レフであるEOS 50Dはミラーがあるのが分ります。

一方E-P1はミラーレスであるため受像素子が見えています。

最後に実際にレンズを取り付けた状態で。
背面を基準にすると2.5倍程度の差があります。

次は実際に撮影した画像になるのですが、今度の週末辺りにでもE-P1を持ち出して撮影しますので、後日報告します。
#2009.7.26 0:55 LastUpdate
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅9 岡崎城・その3 
2009/07/23 Thu. 23:06 [edit]

船着場は現在の乙川河川緑地として整備され、対岸を渡る潜水橋は増水時に水の流れを阻害しないように橋の欄干が倒れるようになっています。

城域南側にある龍城堀には噴水があり、これを利用してちょっと遊んでみました。
まずは神橋と絡めて。

続いて噴水のみ撮影ですが、ここではスローシャッターでの撮影です。

この付近には岡崎市指定文化財の五万石ふじがあります。


城域西側は伊賀川沿いに坂谷曲輪へ。

この曲輪の南側にある「えな塚」は本丸側にあったのですが、後年現在の場所に移されています。


曲輪の北側には「産湯の井戸」があります。


→次に続く。
#2009.7.26 0:30 LastUpdate
2009年7月22日 Kawachiデジカメ6号機「OLYMPUS PEN E-P1」その1 
2009/07/22 Wed. 23:59 [edit]
昨年末のCanon EOS 50Dと同じくヨドバシ梅田で購入。
今回は標準ズームレンズキットで、ボディーカラーはシルバーとしました。

まずはE-P1ボディ。
この状態では少し大きめのコンデジと同じくらいの大きさで、私個人が手持ちのカメラで言うと3号機のCanon PowerShot S50とほぼ同じ大きさです。

電源スイッチは上部のシャッターボタンの左側。
電源ONまたは撮影待機状態ではボタンの縁がグリーンに点灯します。
SSWFは超音波防塵フィルターで動作時には青いLEDランプが点滅します。

次に標準ズームレンズの「M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6」
フォーサーズシステム(マイクロフォーサーズも含む)の画角は35mm判換算で2倍に相当することから、このレンズだと28-84mmに相当します。
5号機のCanon EOS 50Dと同梱されている高倍率ズームレンズEF-S 18-200 ISだと掌一杯の大きさであったレンズも、E-P1の標準レンズでは半分ぐらいの大きさです。

レンズを取り付けた状態のE-P1。

この状態では電源を入れても警告が表示されて撮影は出来ません。

これはコンパクトに収めるために標準ズームレンズが沈洞式となっているのが原因で、撮影出来るようにするにはズームリングを最広角の14mmの目盛りまで繰り出します。

写真の状態まで繰り出したら警告表示が消えて撮影可能となり、UNLOCK(アンロック)スイッチを使わない限りリングが収納側には回ることはありません。

最望遠84mmの状態
最広角が28mmからなので、3倍ズームと言うことですね。

最後にレンズを繰り出して撮影状態のE-P1を。

→その2に続く。
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅8 岡崎城・その2 
2009/07/22 Wed. 23:50 [edit]
大手門を通ると左手に城をモチーフとした電話ボックスが出迎えてくれます。

まずは天守の方へ向かいます。
「三河武士のやかた 家康館」やからくり時計がある二の丸跡を通り抜けて、南側の持仏堂曲輪を通ります。
持仏堂曲輪は天守の北側に位置する曲輪で梅海堀という内堀が設けられています。

持仏堂曲輪を抜けて本丸御門跡を通ると本丸に入ります。

本丸御門のすぐ側らには巽閣は辰巳櫓の棟続きで建てられたもので、2002年に建てられた建物の内部は集会場などとして使用する大広間があるそうです。

巽閣の先を右手に行くと龍城(たつき)神社があります。
元は岡崎城内にあった東照宮を明治初期に現在の場所に移転させ、それを龍城神社と定められたそうです。

天守は龍城神社の隣にありますが、ご覧の通り松の木があるためクリアに撮るのは不可能です。

天守脇にある石碑。

岡崎城の天守は明治初期に廃城となり、他の建物と共に撤去されたため現在の天守は1959年に再建されたもの。
鉄筋コンクリート造りとなった天守は展示室となっています。
(内部は撮影禁止となっています)

最後に岡崎城のパンフレットと共に撮影。

→次に続く。
#2009.7.25 23:45 LastUpdate
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅7 岡崎城・その1 
2009/07/21 Tue. 23:48 [edit]
犬山で昼食を挟んで特急で東岡崎へ移動しますが、近年における犬山線系統の特急は全車特別車が基本でしたが、ここ最近まで段階的に行われたダイヤ改正でミュースカイを除いて一部特別車の列車を基本としています。
また、運転系統にも変化があり、豊橋~新名古屋~犬山・新鵜沼系統が犬山線へ入る一部特別車のメインとなっています。
今回は1700系・2300系に乗りましたが、種別・行先表示が1600系時代の幕式としていた特別車がフルカラーLED式に変更されていました。


東岡崎に到着。

ここからは岡崎城へ向かうのですが、岡崎公園として整備された岡崎城へ行くには東岡崎駅からだと距離があるため、駅前から名鉄バスに乗って岡崎公園へ向かいます。

岡崎公園の停留所で降車後、前方にある歩道橋を渡り岡崎公園へ。

歩道橋は岡崎公園前交差点に近接していて、復元された大手門はその一角に位置しています。

さて、大手門を通り岡崎城天守を目指します。

三連休日記 2009年7月20日 
2009/07/20 Mon. 23:59 [edit]
遠征最終日であるこの日は午前中を成田新高速鉄道構想に伴う北総鉄道の改良工事の見聞、午後を編成写真ゲットに充てることにしました。
北総鉄道の改良工事は現状の終端である印旛日本医大から順に小室・東松戸を。
印旛日本医大駅はこれまで軌道が敷設されていなかった引き上げ線の外側にも軌道が順次敷設され電気工事も進められていました。

小室は上りホームの新設工事が完了・供用開始となっています。

東松戸も上りホームの新設工事が完了して2面4線となっていますが、新鎌ヶ谷と同様に当面は2面2線として使用されています。

あと、成田新高速鉄道関連とは違いますが、現地へ行く前に京成押上線を何年かぶりに通りましたが、こちらは現状地上のままとなっている青砥~四ツ木間と八広~押上間の立体交差の予定で、前者は用地買収が着手され始めたところで、後者は前者よりもさらに進んでいて、仮線の工事が進められていました。
高砂へ戻って編成写真のゲットをしました。
やや逆光なのでしたが、後で確認したところ、まあまあといった感じですがやはり午前中撮影向きですね。



高砂から本八幡・馬喰町経由で横浜へ向かい京急の編成写真ゲットを。
主に今後の撮影ポイント探しという感じですが、如何せん架線柱が線路際まで接近しているため、思うように撮れそうだったのは生麦駅ぐらいでした(時間がなかったので、それしか選択肢がなかったとも言えますが・・・)

狙うは新1000形のステンレス車ですが、当日何本か見ているものの遭遇するのはアルミ車ばかりで、ステンレス車でも4連口にはよく遭遇しますが、各駅停車か快特の後4両ばかり。





日没を迎えて撮影には厳しくなってきたことからそろそろ諦めようと思ったところ、ようやく遭遇出来ました。
当日は一度乗っていたところで、車内の写真も納めたこともあって、やれやれと言ったところです・・・。

この後は夕食を挟み、のぞみ号で帰阪しました。
三連休日記 2009年7月19日 
2009/07/19 Sun. 23:06 [edit]
遠征2日目は、午前中を西武池袋線の編成写真のゲット、午後を東武伊勢崎線で編成写真ゲットをそれぞれメインにおいて撮影活動をしてきました。
まずは西武池袋線。
池袋で西武の最新鋭である30000系「スマイルトレイン」に遭遇。しかも飯能方先頭が今年登場した2両編成。

一通り車内を見てみました印象としては、大部分は他社でも採用されたものを持ち込んだ感じの車内は近年登場している汎用車両とは一線を隠すが、全体的な印象としてはチープであり、よく出来た実用品といったところ。

編成写真の撮影は中村橋で2時間ほど粘りました。
2時間なのは30000系を捉えたかったというのが理由で、1年越しでようやくまともなものが取れました。




中村橋から秋津へ向かい、秋津から南武線・田園都市線・半蔵門線を経て東武伊勢崎線へ。
基本は撮影ポイントの確認も兼ねてましたが、50050系の最新グループの編成写真と「きりふり」も撮影。


50050系は登場当初は側窓が固定でしたが、近年竣工したグループはドア間が一段下降式に変更された代わりに非常用の換気扇がなくなっています。
この後、新越谷・南浦和経由でホテルへ戻ってこの日は終了です。
三連休日記 2009年7月18日 
2009/07/18 Sat. 23:32 [edit]
この週末は三連休と言うことで、工事見聞と編成写真ゲットのために上京することにしました。
このところ納期に追いまくられる日々を送っているため、当日早朝から出発となりました。
新大阪から乗ったのぞみ204号は三連休初日と言うこともあって満席に近い状態に・・・。
東京に到着後、手始めに小田急の編成写真の撮影。
小田急での撮影はまず和泉多摩川で1時間30分ほど粘って、3000形のフルカラーLED仕様、60000形MSEなどですが、東京メトロ06系が偶然多摩急行に運用に入っていたのをゲット。
06系は1編成しかないため、なかなか遭遇できないのです。




登戸で一度降車して8月遠征で使用する指定券を確保。
4日目の時に中間駅への移動のためですが、混雑を予想して通路側を確保したものの、指定席を確保した列車自体は8割方埋まっているようでしたので、数日遅れると厄介なことになっているところでした。
再び小田急へ戻り新百合ヶ丘経由で多摩センターへ。
ここでようやく4000形(2代目)の編成写真をゲット。

多摩センターから京王線に乗り換えて橋本へ向かい、昼食を挟んで横浜線で長津田へ向かい、長津田からあざみ野へ。
あざみ野では東急田園都市線の編成写真のゲット。

あざみ野から溝の口へ向かい、複々線化工事の竣工に伴い溝の口まで延長された大井町線関連を・・・。
溝の口にある大井町線の引き上げ線は完全な行き止まりではなく田園都市線にスルー出来る構造となっていますが、通常は引き上げ線として使用して時間帯によっては隣の梶が谷など引き上げるために使用するのかと思われます。

今月に改正された大井町線は各駅停車が2種類となり、一つはライトグリーン表示の各駅停車で二子新地と高津は通過、もう一つはブルー表示の各駅停車でこちらは二子新地・高津にも停車するもので、前者は終日運転、降車はデータイムと夜間の一部となっています。
先に溝の口・高津・二子新地の見聞と大井町線の編成写真ゲットをした後、大岡山へ移動して目黒線・山手線・京浜東北線を乗り継いで、大井町から溝の口までを一気に乗り通しました。


溝の口から南武線に乗り換え。
運良く209系0番台に乗ることが出来、折り返ししてきたところを尻手で狙い撃ちして編成写真をゲットしました。

この後、川崎で夕食をとってからホテルへ向かい初日は終了しました。
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅6 犬山城周辺の博物館巡り 
2009/07/17 Fri. 23:59 [edit]
前々回の記事で触れた神社の前から犬山に向けての道路周辺は綺麗に整備されているようで、景観保存地区ほどで無いにしろ好印象な風景としてみられます。


まずは犬山文化史料館。
おもに犬山の文化に纏わるものが展示されていますが、内部に併設されている財団法人犬山城白帝文庫の歴史文化館は犬山城関連の文献などが展示されています。


文化史料館から道路を挟んだ側にからくり展示館があります。
馬の蹄がを並べた通路出迎える展示館は犬山文化史料館の別館で、管内はからくり人形に纏わるものが展示され、時間帯によっては解説が行われることがあり、実際にからくり人形を動かしたりする様子が見られます。


写真の敬道館跡は学問所としての場所だったそうです。

最後はどんでん館。
犬山のお祭り「犬山祭」の関する資料が展示されています。

巨大なシャッターの背後には空車状態で3tもの重量がある山車が展示されています。
祭で使われる山車は各町内にあり、全部で十数基有りますが、管内にあるのはそのうちの3基です。

山車が展示されている場所は祭の一日を6分程度の凝縮したものを照明・音源などで演出したもので、ラストは写真の提灯が点灯されるようになっています。
ちなみに「どんでん」とは犬山祭の山車が城下町の辻を豪快に方向転換する様子が由来だそうで、京都の祇園祭で言うところの辻回しに相当するのですが、京都は竹を下に敷いて方向転換するのですが、犬山祭は人力のみで山車が大きく揺れることによって方向転換をするというものだそうです。



これで残りの3館も巡りましたので、次は岡崎へ移動することにします。
→次に続く。
2009年7月12日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞9-3 東花園駅付近 
2009/07/16 Thu. 23:59 [edit]
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅5 犬山城・その2 
2009/07/16 Thu. 22:18 [edit]

今回入城に際しては「ワン丸手形」を利用しました。
これは犬山城天守の他、周辺の犬山文化史料館、からくり展示館、どんでん館との4館が共通で利用出来るものです。


天守の側らには大杉様という築城当時からある老木があります。
当時は天守と同じ高さを誇っていたそうですが、1965年に枯れたことから写真のように上部を伐採して下部のみ保存されています。

さて、犬山城天守へ入ります。

天守内部は撮影は可能ですが、三脚は使えません。

犬山城は近年まで江戸時代末期に家老から城主となった成瀬家が代々引き継い城で、個人所有の城は全国的にも珍しかったそうです。
現在は12代目城主であった成瀬正俊(1930~2008)の長女が理事長を務める財団法人犬山城白帝文庫に移管されています(移管は2004年)
現存天守である犬山城天守はやはり階段が急ですが、内部は思っている以上に広いようです。
最上階は若干狭くなりますが、ここには歴代の犬山城主の写真などが展示されています。
最上階からの長めは以下の写真の通り、城下町であった犬山の市街地や木曽川を挟んだ各務原市街地が一望出来ます。



これで犬山城巡りは終わり。
跡は共通で見られる犬山文化史料館、からくり展示館、どんでん館を見てきます。

→次に続く。
#2007.7.17 23:30 LastUpdate
2009年7月12日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞9-2 河内花園駅付近  
2009/07/15 Wed. 23:59 [edit]
続いては河内花園駅のレポです。
こちらも若江岩田駅同様、駅部分の構築が進んでいます。

高架橋の橋脚周辺を撮ったものですが、想定されるものから考えると確かに下り線+α程度で構築されているのが分ります。

駅部分の地上側の様子。
階段の取付状態から西側(大阪難波方)に出入口が設けられるとみましたが・・・。


東花園方を撮影したものですが、こちらは架線柱の建っている本数が多く、工事起点側よりも進んでいるのが分ります。

大阪難波方を撮影したもの。
こちらは道路と交差する箇所の主桁を架ける工事が進められている以外はほぼ構築が済んだ感じです。

駅前再開発事業の関連した北口整備工事はほぼ終わった段階となっています。

→9-3に続く。
#2009.7.17 22:40 LastUpdate
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅4 犬山城・その1 
2009/07/15 Wed. 23:30 [edit]
それが犬山城です。

城域の淵に沿って南側へ回り込むと右手に神社があり、その西側に犬山市体育館とそれに併設する形で同居する観光案内所があります。


案内所で犬山観光マップをゲットして、犬山城へ足を進めます。
犬山城天守へは写真の中御門跡の他に先程の神社からも行くことが出来ます。


先ずは中御門跡。

そこにある入城時間。
一応5ヵ国語対応です。

続いて黒門跡。
ここには門の基礎となる礎石が残されています。


石段を登り切ったところに石坂門跡があり、この付近にある券売所で入場券を購入。
本丸門を通って中に入ります。

→次に続く。
#2009.7.17 22:20 LastUpdate
2009年7月12日 近鉄奈良線連続立体交差事業見聞9-1 若江岩田駅付近  
2009/07/14 Tue. 23:59 [edit]
まずは若江岩田駅から。
以前のレポでは跨線橋の撤去工事が進められていた府道八尾枚方線の若江跨線橋があった場所は跨線橋の撤去は完了し、高架橋の主桁が架けられていました。

撤去された跨線橋跡は重機が撤収された後に更地→舗装されています。
現状は平面交差が続きますが、先に下り線が高架に切り替えられると渋滞が若干改善されると見られています。

駅本体の工事も着々と進められていて、ホームの主桁階段部分が姿を現していますが、ホームの全長から見ると若干大阪難波寄りになっている以外にホーム延長が既存よりも長く取られている感じです。


若江岩田駅~府道中央環状線側にある工事起点も一部箇所を除けば高架橋の構築がほぼ終わっている段階ですが、ここまでくると電気・軌道関係の工事が進むことから見た目では地味に進む感じです。

→9-2に続く。
#2009.7.17 22:05 LastUpdate
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅3 犬山遊園駅 
2009/07/14 Tue. 23:59 [edit]
犬山駅でないのは、木曽川沿いある犬山城へ行くには、犬山橋に近接した犬山遊園が近いからです。


犬山遊園駅は最近廃止されたモノレールの乗換え駅で、現在もモノレールの軌道が残されています。

犬山城へ行くので、西口から出ます。
2005年8月に来訪した時はモノレールの乗りつぶしのため東口から出たことから、西口へ出るのは今回が初めてです。


ここからはかつて鉄道道路併用橋であった犬山橋があり、橋梁上は1列車しか在線出来ず速度制限もあったことから長年ダイヤ上のネックとなっていましたが、後年道路専用の橋が架けられたことから現在は鉄道専用橋となっています。

犬山遊園駅から木曽川沿いに西へ歩いて犬山城を目指します。


→次に続く。
#2009.7.17 21:50 LastUpdate
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅2 名鉄犬山線で諸々撮影 
2009/07/13 Mon. 23:27 [edit]
まずは上小田井で編成写真の撮影です。
3050系以外は撮りましたが、来訪時間帯でここから撮影するのは逆光なので無茶なのですか・・・。


岩倉ではエレベータの設置工事が進められているようでホーム上屋の一部が撤去されていました。

岩倉から1000系特別車編成の廃車発生品を利用して造られた5000系(2代目)に乗りましたが、3300系ベースのステンレス車体を新製したものとなっているので、2200系一般車や3300系などとさほど変りませんが、走りっぷりはちょっと違います。
布袋では7000系が留置されているのですが、おそらく廃車待ちのための疎開かも知れません。

丁度側線に留置されていたため編成写真を撮影したのですが、この後折り返しの鶴舞線直通列車がこの間に割って入ったたので、タイミングよく撮れたなと思った次第です。

折り返しの鶴舞線直通列車は名古屋市営地下鉄の3000形。
これが出るまでには数本先だったらしく、無人の車内を撮っておきました。

中間車に押し込まれた先頭車を組み込んだ編成のようです。


布袋から再び乗車して犬山城を向かいます。
→次に続く。
2009年7月12日 花園駅前(北口)に導入された広告パネル付きバスシェルター 
2009/07/13 Mon. 02:01 [edit]

河内花園駅北口ロータリーにある写真の広告パネル付きバスシェルターはフランスの本社を置く広告代理店JCDecaux(ジェーシードゥコー)と三菱商事との合弁企業であるMCDecaux(エムシードゥコー)が出している広告付きバスシェルター「B-Stop」と呼ばれるもので、国内では34都市に導入されているものです。
東大阪市内では河内花園駅北口に1基の他、八戸ノ里駅南口に4基設けられ、いずれも同じものが設置されています。
近年の規制緩和によって増えている広告付きバスシェルターは主にPPP(Public Private Partnership)※1を活用したものです。
今回の広告パネル付きバスシェルターの例の場合、バス事業者または自治体からバス停を広告スペースとして広告事業者に委託し、広告事業者はスポンサーを募ってその収益で整備・維持管理費を賄われるというものです※2
この事業はフランスの広告代理店ジェーシードゥコーが先導し、アメリカの大手広告代理店のクリアチャネルHDとCBSアウトドアが参入し、日本ではジェーシードゥコー系のエムシードゥコーとクリアチャネル系の日本法人であるクリアチャネル・ジャパンが参入しています。
このバスシェルターはモジュールの組み合わせに様々なタイプが出来るようで、全国各地にはいくつかのバリエーションがあるようですが、基本的なデザインなどは同じ感じです。
とはいえ、それまで国内で見られたバスシェルターとは対照的にデザイン性は優れて都市景観の観点からも良い印象を受けます。
導入後の評価は比較的良く概ね受け入れられているように思われるのですが、思わぬ落とし穴があるようです。
写真で見ると分りますが、公道に面した開口部が1ヶ所しか有りません。

これは降車時はすぐ歩いて行くと言う前提となっているからで、国内外問わず広告パネル付きバスシェルターの多くはこのタイプが主流のようですが、バスの前扉に開口部を合わせると中扉以降はシェルターの外となり、その逆となると広告パネルが邪魔をして運転手から後方が状況が把握出来なくなると言う問題が発生します。
このため停止位置を何処にするか躊躇する運転手もあるようで、導入する地方によってはより大型で開口部が2ヶ所としたタイプで対処するケースもあります。※3
あと、シェルター内のレイアウトの問題で車椅子利用の乗降に支障があるとも言われていますが、これは設置前後の検証不足などの理由もあることから、この問題は既存のバスシェルターでもあり得ることなので、施工する時には考えておく必要があります。
今後も拡大されているようなのですが、こういったものを設置する際に仕様を詰めておかないと、実運用の段階で躓いて折角良いツールを生かせないまま撤去なんてバカな結果を残さないようにお願いしたいところです。
※1:参考
http://www.chugoku.meti.go.jp/sangyoshinko-hp/new_page_3.htm
※2:参考
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0712/18/news058.html
※3:参考
http://commu.cocolog-nifty.com/room/2009/04/post-631a.html
週末日記 2009年7月12日 
2009/07/12 Sun. 23:27 [edit]
今週末は12日だけお休み。
この日は近鉄奈良線の連立事業の見聞、そして湖西線へ移動して編成写真の撮影のためのお出かけをしてきました。
近鉄奈良線の連立事業は先に下り線から着手されているのですが、高架橋の構造物自体は工事起点と終点のアプローチ部分と若江跨線橋のあった箇所と除いて構築完了となっているようです。

▲写真は若江跨線橋があった場所(合成パノラマ写真:クリックする元のサイズで表示されます)
上記の3箇所以外では架線柱の設置や高架駅となる3駅の工事が進められてい、ホームや階段などが構築されています。



そんな中、河内花園駅の北側にあるロータリーから発着する近鉄バス吉田線ののりばにバスシェルターが設けられていました。
近年設置されたもので、同時期に八戸ノ里駅にも同じもの設置されているほか、神戸の三宮駅前にも見られるもので、これらはフランスの本社を置く広告代理店JCDecaux(ジェーシードゥコー)と三菱商事との合弁企業であるMCDecaux(エムシードゥコー)が出している広告付きバスシェルター「B-Stop」と呼ばれるもので、国内では34都市に導入されているものです。

さて、連立事業の見聞の後は学園前へ移動して編成写真の撮影。
30分ほどの短時間でしたが、今回は若干アングルを変えての撮影なので、見た感じでは安定感のあるものに仕上がっています。



続いて京都経由で湖西線へ。
前回と同じく堅田で撮影しましたが、夕方から曇ってきたため難儀しました。





堅田から折り返し京阪経由で21時前に帰宅しました。
次の週末は2ヶ月ぶりの首都圏遠征です。
2009年6月14日 尾張・三河の日本100名城を巡る日帰りの旅1 名古屋へ 
2009/07/11 Sat. 21:26 [edit]
今回は日本100名城を巡るシリーズの一環としての遠征で、名古屋入りするのは5ヶ月ぶりとなります。
大阪から近鉄大阪線の初電でる名張行きに乗って大和八木へ出ます。
大阪難波か大阪上本町から折り返して難波6:00発の名阪甲特急に乗ることも出来ますが、費用をちょっと抑えたいが早さもちょっとという選択肢で大和八木から名阪甲特急に乗り換えることしたのです。
丁度早朝夜間は大和八木に停まりますからね。

名阪甲特急が来るまでの間は編成写真のゲットとしました。
まずは12410系「サニーカー」

続いて1400系を引き連れて入線する1437系。

締めは5800系「L/Cカー」

大和八木から6:29発の名古屋行き名阪甲特急に乗り込みます。

今回は21000系「アーバンライナーplus」

これで名古屋へ一気にコマを進めます。
→次に続く。